「……で、ロイ・マスタング公爵閣下。……オレに何の用だ。公爵っていうのは暇なんだな。こんな平民のガキを相手にのんびり茶なんぞ飲んでるんだから」
優雅にティーカップを持ち上げるロイに嫌味をぶつける。
出された紅茶は一級品、入れ物も極上品だ。
コーウェル社のボーンチャイナ四十年代モノ。今はもう生産されていない骨董品で価格が平民の年収に値する。マニア垂涎の品だが、壊してもこの男は平然とした顔を崩さないだろう。
「紅茶は嫌いかい? リザの入れたお茶は最高だ。それとも何か入ってるかもしれないと警戒してるのか?」
「いいや。……毒や薬に対しては耐性がある」
「耐性? それは父親の教育か?」
やっぱり。そういう目でオレはロイを見た。
「アンタは知っていて声を掛けたんだな」
ロイは優雅にうっすらと笑った。それが答え。
「目的は?」
オレは背筋を伸ばして戦闘態勢に入る。この男が敵か味方か判らない。
だがオレの父親を知っているという事はたぶん敵。
二人の距離は約九十センチ。
この男だけなら殺せてもホークアイさんがその前にオレを撃つ。彼女の上着の下には銃が隠してある。状況はかなり不利。
虎穴に入って果たして無事に出られるだろか。
「そう警戒しないでくれたまえ。……私は君の父親から君達の事を頼まれているんだ」
ロイはオレの警戒など意に返さない様子で言った。
オヤジの身分を考えれば面識があっても不思議じゃないが、二人の仲が判らない。オヤジに対し悪意があったとしたら、子供のオレも同じように憎まれるてるかもしれない。
「オヤジから頼まれた? 何を?」
「オヤジか……。私は父親をそんな風に呼んだ事はないな。ホーエンハイム公爵をそう呼べる君が羨ましい」
「あのオヤジはお父様ってガラじゃないだろ。何がそんなに羨ましいんだ?」
「我々貴族の間では親子といえど礼儀は欠かせない。情愛よりも形式が重んじられる。……ホーエンハイム公爵は博識な方で、私はあの方に沢山のモノを与えられた。気さくでそれでいて思慮深く……実の父親より身近にいた方だ」
「……へえ。だからオレの事も知ってるってわけ? じゃあオヤジに宜しくって言われたからオレに会いにきたってわけか」
皮肉げに言うとロイは頷いた。
「それもある。……私はホーエンハイム公爵に頼まれて君達に援助をしていた」
「君……達?」
「そうだ。君とトリシャ様……ホーエンハイム公爵夫人だ」
「なんだよ、それ?」
なぜここで母の名前が出る?
「君達の家には毎月ホーエンハイム公爵から生活費が届いていた筈だ。しかし公爵から直接送られるのでは足がつく。代わりに私の手のモノが動いていた」
「……どういう事だ? 何でオヤジは捨てた母さんに他人を介して金を送らなければならなかったんだ?」
「捨てた? 君はそう思っていたのか? 公爵が妻子を捨てたと? そんなわけないだろう」
「違うって言うのか?」
大貴族のオヤジと結ばれた平民の母さんは、オレを生んで数年でオヤジに捨てられた。母さんはいつかオヤジが迎えがくると信じて故郷でずっと待っていた。けれど母さんが死ぬまでオヤジは来なかった。ただの一度も。
だからオレはオヤジも公爵って地位も貴族も自分の中の血も大嫌いだ。半分は母さんの血だから自分自身を忌む事はできないが。
ロイは違うと言った。
「それは違う。公爵は妻子を捨ててなどいない。……公爵の言ったとおりだな。君は誤解している。……なぜ公爵は誤解を解かずにいたのだろう?」
ロイは何事か考えていたが、使用人が入ってきて会話が中断された。
「何事か?」
ロイの誰何に使用人はスッと身を屈めロイに耳打ちした。途端にロイの顔が苦いものになる。
「ちょっと失礼する。……すまないがリザに部屋に案内してもらってくれ。話は食事の後にしよう」
オレの返事も待たずにロイは部屋を出て行ってしまった。
取り残されたオレはどうしたものかとホークアイさんを見た。
ホークアイさんは少々困った顔で言った。
「申し訳ありません、エドワード様。ロイ様はお忙しい方なのです。今日だって本当ならいくつか仕事が入っていたのですが、エドワード様がこちらに来ているのを知って急遽スケジュールを変更してエドワード様に会いに来られたのです」
「……オレが頼んだわけじゃないし、あいつの行動は大迷惑だ」
「はい、判っております。エドワード様は貴族社会に関わる事を由としていないと聞いております。どうか不手際を御容赦下さい。ロイ様はホーエンハイム公爵様のお嬢様との会話をお望みです」
「話すだけならわざわざ屋敷に呼ばなくてもいいじゃないか」
「エドワード様のお立場を考慮しての事です。公爵が直接御会いになるというだけで、その方の身分が問われます。万が一エドワード様の御身分が日のもとに晒されますとお立場が危うくなります。それではホーエンハイム様のご遺言に反する事になります」
「オヤジの遺言? 何それ? ホークアイさんは内容知ってんの?」
母さんでさえ知らないオヤジの遺言を赤の他人が知っているというのは面白い事ではなかった。完全に縁が切れてたのなら関心すら捨てて忘れてしまえばいい相手だが、母さんが愛し待ちわびた相手だ。無視できない。
あの男は死んでまで子供に迷惑を掛け続けるのか。
ホークアイさんは直立不動のままに答えた。
「御遺言の内容は存じ上げております。しかしその内容は主人の許可なくお話できません」
すまなそうな顔に仕方が無いという気持ちになる。諦める事譲歩する事は嫌いだが、強要はできない。
「貴族に飼われている狗じゃしょうがないか。……ロイがホークアイさんの主人なんだろ? マスタング公爵家なら仕える理由にはなる」
侮辱した言葉だったがホークアイさんは怒らなかった。内心でも怒っていたのかもしれないが、それを顔に出さないだけの器量はあるらしい。
毅然とした女は嫌いではない。貴族社会とは関わり無いところで知り合ったならきっと好きになれた筈だ。
だがこの人は貴族の狗だ。命令されたらオレを裸にしてふん縛ってあの男の前に転がす事だってする。そういう人だ。すまなそうな顔をしてもそれだけだ。
主人の言葉には忠実な忠犬。正義は常に主人の言葉。
狗相手に本気で怒っても仕方ないのでやれやれと立ち上がる。
「じゃあ部屋に案内してよ。オレの荷物が運んであるんだろ?」
「はい。御案内します」
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