連れて行かれた屋敷は大きかった。
貴族の家がどういうものかはっきり知っているわけではないが、門扉の大きさと外装から家の格が窺える。
蔦の絡んだ巨大な扉が中を隠し、どこか暗く秘密めいている。
中に入ると門から屋敷までがまた遠かった。
庭は一面の緑の芝生ばかりで屋敷からの眺めは良い。つまり入口から誰から入ってくればすぐに判るわけだ。シンプルだが、やたら木や花があるより泥棒対策としては正解だろう。
貴族の屋敷に入ったのは初めてなので素直に感嘆した。
まず天井が高い。そして扉が重くてデカい。これでは閉じ込められたら自力での脱出は難しい。
まあ錬金術師のオレにとっちゃ扉なんてあって無いようなものだけど。
階段の手すりがピカピカに磨きこまれている。触ったら指紋がつきそうだ。きっとメイドさん達が毎日家の手入れをしているのだろう。これだけの屋敷がちゃんと管理されているのだ。維持費だけでも恐ろしい金額が掛かっているに違いない。
だされた紅茶は夕日と同じ色で香気が漂っていたが、すぐに手をつける気にはなれなかった。
「……で?」
オレのベッドより柔らかいソファーの上でふんぞりかえってロイと後ろにいるホークアイさんを睥睨する。
「で、とは?」
自宅(かどうかは判らないが)に帰って着替えたロイは尊大さを隠さなくなった。
面白そうな表情を隠す事なくオレを見た。
オレも真面目に対峙する気にはなれなかったのでぞんざいに本音を語る。
「用があるのはそっちだろう。なんでオレから話を振ってやんなきゃならないわけ? 手の込んだ嫌がらせをした挙句、最後は『何のご用でしょうか理由をお聞かせ下さい』って相手から会話を振られなきゃ要点に踏み込めないのがアンタのルールってわけ?」
「口の悪いお嬢さんだ」
「言葉遣いは相手によって変える。礼儀を払わなければならない相手にはそれ相応の態度を取るよ」
「私には礼儀はいらないと?」
「貴族だからって当然のように礼儀が払われると思うならそう思ってればいい。けどオレがアンタの思い込みに従わなきゃならないルールはない。自分の意に従わないからって怒るのはただの我侭だ。オレはあんたの従者じゃないんだから。この世は平等じゃないが尊敬は強要できない。オレは相手に対しそうすべきだと判断すれば年下だろうとオカマだろうと礼儀を尽くす。反対に礼儀に値しないと思えば公爵閣下本人だろうと礼儀は払わない」
「…………私の正体を知っているのかい?」
ロイの視線がより冷やかかになる。
「たぶんね。オレの想像が間違ってなければ、だけど」
「私の正体を想像したのかい? どうやって? 誰かに聞いたのではなくて?」
「誰にもアンタの正体は聞いてねえよ。けど見たものから推測すれば判るだろ。ダイヤを所持してる事から男爵以上の階級だという事は判る。ロイという名前は珍しくないけれど高位の貴族に絞れば想像はつけやすい。この国で一番有名なロイといったら南のマスタング公爵家の当主ロイ・マスタング公爵本人だ。……違うか?」
「それだけで私がマスタング公爵だと判ったのか?」
「んなわけないじゃん。マスタング公爵は年若いと聞いてたけど、まさかアンタみたいに威厳の無さそうなのがそうだとは思わなかったぜ」
目の前の男に肯定され自分の推測が当たった事を知るがちっとも嬉しくない。それどころか余計なトラブルに舌打ちした気持ちでいっぱいだ。
この童顔が公爵閣下? 冗談じゃないぜ。
「……なら何故私がそうだと思ったのだ?」
「あのなあ。正体を隠したいのならマスタング公爵の家紋が入ったハンカチなんかこれによがしにポケットから出しとくなよ。それにあの護衛の数。見せ掛けだけのカカシじゃなくみんな相当の手だれみたいだし、守る相手が相当大事だって事だろ。マスタング家の人間でロイって名前で公爵本人じゃないロイさん他にいるのか? 想像っていうよりそれで判らない方がバカだぞ」
「君は私が公爵本人だと知ってその態度か?」
「礼儀を払って欲しいならそれなりの態度を取れって言っただろ。威張りくさってふんぞりかえってわたしは公爵だから控えよ崇めよ平民ふぜいがって礼を強要するなら、オレはさっさと出てくぜ、公爵様」
「ふんぞりかえって礼を強要してるのは君の方だろうが」
「ふん。泥棒相手に相応しい態度を取ってるだけだ。さっさと人の荷物を返しやがれってんだ」
「君の荷物は上の部屋に運び込んである。宿泊代も荷物の上だ」
「途中で出てきたからキャンセル料が掛かってるはずだけど?」
「それは私が勝手にした事だから私が負担する」
「当然」
オレ達の会話はとても貴族と平民のものではなかったが、誰もそれを咎める事はなかった。
この男の命令なのだろう。増々胡散臭い。
オレの目の前にいる男はロイ・マスタング。この国に四人いる公爵の一人。
いいや、この国に四人しかいない四公爵のうちの一人だ。
この国----アメストリス王国には国王の下に貴族がいてその下に平民がいる。
判り易い二分化社会だ。身分の差は固い壁であり破る事のできない境界線でもある。
国王----キング・ブラッドレイの城は国の中心、セントラル・シティにある。現国王はちょうど三十代目で切れ者って噂されている。
国王の下には政治の補佐をする四人の公爵がいる。それぞれ国の四方に住んでいて、マスタング公爵家はサウスエリアが直轄地だ。
貴族の名前や身分に疎い平民だとて国王と四人の公爵の名くらいは知っている。
平民と貴族の間には大きな格差があるが、貴族の間にもその格差がある。
マスタング公爵より上の人間は王族しかいない。
四人の公爵の立場は対等で、その他大勢の貴族平民はこの男の下に位置する。
だからロイが公爵本人だと知って無礼な態度を取る事は絶対に許されないのだが、オレは平気だった。
ロイに乱暴な口をききありえない態度を取っているのに、誰もオレを咎めなかった。
ロイの後ろにいるホークアイさんも顔色一つ変える事なく置き物のように動かない。普通なら顔色を変えて咎めるはずなのに、言い含められているのか何事も無さそうな顔だ。
うーん。こりゃ一緒に来たのは失敗したかな? と後悔した。
マスタング公爵本人が接触してきてただの平和なお話し合いの筈がない。荷物なんかどうだっていいから田舎に帰っちまえば良かった。
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