公爵夫人秘密 01
Alphonse×Edward♀


第一章

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 貴族というのは自分がしている事が全て正しいと思う人種だ。特に平民に対しては絶対比で自分が正義だ。
 そういう人間とまともに会話できるわけがない。学んできた常識が根本から違うからだ。
「……今すぐにオレの荷物と金を返せ」
「それはできない。私は君と話がしたいのだ」
「……そうか」
 ブンと蹴り上げた足が空を切った。
 ロイの股間めがけた足先が避けられて空を舞う。
 タメのない予測しにくい動きだったのに避けるとは、ロイは素人ではなさそうだ。
 それともオレがそうすると予想していたのか。
 足を戻せば相手に防御する時間を与えてしまう。左足が空にあるのをそのままに、今度は右足を蹴り上げた。
 つまり両足が地面から浮いたわけだが、この攻撃は予測しにくい。
 ロイもまさか両足が時間差でくると思わなかったのだろう。完全には避けきれなくて足先がロイの顎を掠った。
「……っ!」
 ロイの上半身が揺らぐ。
 オレは腹筋を反らせ、両手を地面について逆立ちのまま足を回転させる。
 足技が直撃しなくても勢いがあるから、相手も反撃しにくい。
 攻撃は相手に態勢を整えさせる隙を与えない為のフェイクだ。
 こちらが身体を立て直すと今度は身を屈めてロイの足を払う。よろけた所を下から拳で突き上げる。
「うおっ!」
「わっ!」
 突然ロイの身体がぶつかってきた。
 捨て身の体当たりとはやるじゃないか。体格差を考えれば有効な防御と攻撃方法だ。
 距離が短い。パンチの攻撃力は半減された。
「な、何をするんだ、君は!」
「?」
 ロイはオレに攻撃したわけじゃなかったようだ。
 振り返って背後にいる人間に文句を言っている。
 誰だ?
 見た目二十代の金髪美人がいた。彼女がロイの身体を突き飛ばしたのか。
「ロイ様。人前で騒ぎを起こすとは非常識にも程があります。御自分のお立場をお考え下さい」
 言っている言葉は丁寧だが、明らかな命令口調だ。
 途端にロイは氷柱でぶったたかれたような顔になった。
「ミズ・ホークアイ。私が悪いんじゃないぞ、この山ザルのようなお嬢さんが私に突然攻撃をしかけてきたのだから」
 なんだとこの野郎。さらっと人を見下しやがったな。誰が山ザルだ。
 サーッとホークアイの周りの空気が冷える。
 冷気にロイはビクッと身体を引いた。
「判っております。しかしエドワード様の憤りは身堅く貞淑な女性としては当然のものかと。見知らぬ男性からいきなり手を掴まれ食事への同行を強要され、一人ぼっちで故郷から遠く離れた不安な状態で、宿まで勝手に引き払われ所持品を持ち出されたなら、攻撃的な気持ちにもなりましょう。恐怖に怯え自力で男の腕から逃れようと反撃するのは当然の事かと。自らを守ろうとした女性を山ザル扱いする前に、御自分の所業を反省なさって下さい。紳士にあらざる振るまいでございます」
「……具体的に言われると私が酷い男みたいじゃないか」
「ありのままです。実際酷い事してるのですから文句を言えるお立場ですか。それとも何ですか? 気弱な女性のように、エドワード様が怯え泣き崩れてロイ様を罵れば御満足ですか?」
「そんなわけないだろう」
「始めから道理を通して行動していれば、このような騒ぎにはなりませんでした。あなたが面白がって事を面倒にしたから余計な軋轢が生じました。反省して下さい」
「……はい」
 ロイとしては言いたい事が山ほどあるのだろうが、それを言わせない迫力がホークアイという女性にはあった。鷹の目って名前がぴったりすぎて恐え。本名か?
 ロイに反論させない手際は見事だが、敵にまわしたら恐そうだ。
 なんだか師匠を思い出す。タイプは全然違うけど。
「あなた……エドワード様」
「はい」
 突然呼び掛けられて怯む。
 様って身分じゃないんだけどね。
 スッと頭を下げられる。
「私共の主人が失礼を致しました。見知らぬ男性からの乱暴にさぞかし驚かれたでしょう。しかし主人はこのような考えなし……ゴホン浅慮なところが少々あり女ったらしではございますが、決して悪人でも犯罪者でもロリコンでもございません。警戒を解き、どうか数々の振るまいお許し下さい」
「…………まあ……はい。貴女がそう言うなら」
 毅然とした男装の麗人に頭を下げられたら、最後まで反抗的ではいられない。
 正面から見たホークアイという人はとても美人だった。ただの美人ではない。隙というものがない。華はあるが弱々しさがない。まるでオレの師匠みたいだ。
 ロイの部下らしいが、主人を叱り飛ばしている所をみるとよっぽど優秀なのか、それともロイがヘタレすぎるのか。
「貴女は?」
「失礼しました。私はリザ・ホークアイと申します。ロイ様にお仕えするものです」
「ロイ…さんの家にって事? それともロイさん個人に仕えてるの?」
「そうですね。私の家は代々ロイ様の家に仕えてきましたが、私はロイ様個人に仕えているつもりです」
「つまりロイさんが家と関係が切れてもロイさんについて行くって事?」
「はい。この方は私のただ一人の主人でございます」
 ただ一人の主人に体当たりするのか、この人。
 ロイは胡散臭い笑顔でホークアイさんに言った。
「やあ、すまないね、リザ。……というわけだから、リザに免じて一緒に来てくれないか? 勿論荷物もお金もお返しするし、迷惑料もお支払いしよう」
「……リザさんに免じるとしてもアンタについて行く理由にはならないだろ。話があるならここでしろよ。人前でできない話をするつもりはない。互いにやましいところがなければ誰に何を聞かれたとしても困る事はない。……それとも何か? 誰かに知られたら困る話をしようっていうのか?」
「……いくら頭が良くても、君の年では世間は正論だけでは渡っていけないという事を知らないのか。人の正義はそれぞれで、やましいところがなくても人には知られたくない事が三つや四つあるものなのだよ。内緒話は大人のたしなみだ」
「なんだよそれ? つまるところ内緒話の勧誘って事じゃないか。オレは生まれてこのかた自分を晒して生きてきた。知られて困る事なんか何にもない。初対面の人間に秘密の話をしようって誘われて、ノコノコついていくバカがどこにいる。話をしたいんならせめてどんな内容なのかさわりだけでも話すのが礼儀だろ」
「……いいのか、言っても?」
「どういう意味だよ?」
 ロイの表情がまた別人のように締まった。
 自信と傲慢さが見える。人に命令するのに馴れた顔だ。
 ふうん、こういう顔もできるのか。
 できそうなリザさんが家とは関係なく主人と呼ぶ人間なのだから、それなりの器量はあるはずだ。
 舐めてると足元すくわれるかもしれない。
 だからこそ迂闊にはついて行けない。
 せめてこいつの目的の一端でも知らなければ。
 ロイは傲然とオレを見下ろして言った。
「君には知られてはいけない秘密があるのではないのか?」
「……別に?」
「顔色一つ変えんとは君も案外ポーカーフェイスが上手だな」
「アンタに言われたかねえな」