公爵夫人秘密 01
Alphonse×Edward♀


第一章

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「……アンタ、もしかしてお貴族様なのか?」
「どうしてそう思うんだ?」
「優雅さと鷹揚さと傲慢さといやらしさと自信を同時に持てるのは生っ粋の貴族だけだ。成り上がりのブルジョワには無理だ」
「ほほう。君には参考になるような貴族の知り合いでもいるのかい?」
「いるわけないだろう。オレは由緒正しい平民だ」
 ロイは口の端を上げた。笑ったのだ。
「何がおかしい?」
「失礼。バカにしたわけじゃない。……自分を平民だと自慢げに言う女性は初めて見たもので」
 自らを平民だと卑下する女は知っていても、逆はいないと思っているのか。本当に失礼な男だ。
 貴族の価値基準しか知らない男に何を言っても無駄だと判っているが、ひとこと言ってやりたい。
「お貴族様の価値観じゃ判らないかもしれないが、爵位なんてありがたがるのはその価値観に縛られる者だけだ。オレにはオレの価値観がある。オレは平民である自分が好きだし、貴族は嫌いだ」
「君は貴族が嫌いか。……しかし普通貴族というのは敬意を払われるものではないのか?」
「一生田舎暮しの田舎女が身分を気にしてどうする? 誰にも頭を下げられる事はなくても、誰にも頭を下げなくていい、上にも下にも人のいない暮しを望む人間に身分は邪魔なだけだ。絹の服を着られない事は不幸な事じゃない。むしろそれを不幸と思い込む思考こそが不幸な事だ。あんたは根拠のない敬意が欲しいのか?」
「……若いな。考え方が」
「実際オレは若いんだよ。若さを軽んじているようだけど、若くない考え方の全てが正しいと本当に思ってるのか? 既存の概念に凝り固まり、狭い世界での思惑が正義と秩序であり常識だと思うなら、教育者なんてやめちまえ。人は自由でも平等でもないけれど、自由平等であろうとする事は間違いじゃない。貴族は確かに偉いのかもしれないけれど、それは枠組みの中の順列であって人としての本質や尊厳には比例してないからな」
「君はリアリストなのかロマンチストなのか判らないな。自分ではどっちだと思うんだい? 言っている事は正しくても、認める者がいなければそれは机上の理論だよ?」
「リアリストに決まってるだろ。ロマンチストなら田舎に引きこもって詩でも書いてるよ。大学に行こうなんて考えるのは現実主義者ばっかりさ」
「……それもそうか。……もし君がもし今回の受験に合格したら、大学は何処へ? 飛び級は珍しい事じゃないけれど、君みたいな子供が大学に入るのはやはり珍しい。相当優秀そうだから中央の大学に行くつもりなのかい? それともイーストシティの大学に?」
「まだ決めてない。……大学に行くかどうかも決めてないし」
「なら何で『大検』なんて受けたんだ? 女性に年齢を尋ねるなんて失礼だと前置きして聞くが、君はいくつだい? 十二歳? もしかして十五歳くらいはいってるのかな? 年若いのにかなり優秀らしいが、目的も無しにイーストシティ辺りまで来たのは、試験を口実にした物見遊山かい?」
「じゃあオレも答える義務はないと前置きして応えよう。……物見遊山に近いかな。やりたい事がみつからない。だからとりあえず自分で何ができるか判別する為と、次への足掛かりを作る為に、イーストシティまで来て試験を受けた。……それが悪いか?」
「大学に行くか判らないのに『大検』を受けに来たのか?」
「高校に行くのが面倒だし。学ぶ事がない高校に行って三年も潰すのがイヤだったしな」
 自慢じゃなく事実だからそう言った。
「確かに試験に通るくらいに優秀だったら高校など必要ないか……」
「この年で『大検』に受かれば奨学金がもらえるだろ。大学で何を学べばいいかまだ決められないから、決めてから大学に行くつもりだ」
「余裕だな。……そう言い切れるなんて随分自信家だ。しかし『大検』さえ余裕でこなせるのだから、自信も根拠があるか……。奨学金を申請するという事は……失礼だがお家はあまり裕福ではない?」
「うん。……まあね。家は田舎の貧乏暮しだよ」
 初対面の人間に両親が亡くなっている事など言う必要はない。憐れまれたりしたらウザイ。
「君は両親の誉れだな。その若さでこの優秀さ。……見た限りでは試験は無事通りそうだし、いる所にはいるものだな、天才というのは」
 年齢に対しての賞賛なら馴れているが、嫌味でなく感心されてどうにも座りが悪い。
 この男が言うと全て裏があるように見えてしまう。
「どうした? 褒めているのだよ。そう言われた事がないわけじゃないだろ?」
「田舎のガッコのセンセイに言われるのと初対面の人間に言われるのじゃ何となく違うだろ。……それに天才っていうのは本当でも、それが偉いわけじゃねえし」
「どうして? 人より優秀だという事は誇ってもいい事だと思うが」
「いっくら優秀でも何もしてないのに胸を張れるかよ。威張っていいのは何かを成し遂げた人間だけだ。何も為してないのに、たかだか試験の点数なんてレベルの低いとこで偉そうにする方が恥ずかしい」
「君は……とても誇り高いんだな」
 ロイは感嘆した様に言った。
「誇りなんて……誰にでもあるだろ。その基準が何処にあるかの違いじゃねえ?」
「確かに。誇りというのには根拠がなくてはならない。理由のないプライドなど誇りとも呼べない。だがそれを知っている者は実は少ないのだよ。貴族は貴族というだけで平民を理由なく見下すし、大学を出た者は学歴の低い者を見下す。人は自分を価値基準にし、それを根拠だと勘違いする」
 同意見なので鼻で笑った。
「大人はつまんない思い込みが大好きだもんな。自分が何も為せないから他人が作った基準に従うしかない。迎合主義者達の群れが殆どだ」
 ロイが綺麗に揃えられた爪でトンと机を叩き、声を潜めて言った。
「どう考えようとこき下ろそうと勝手だが、場所と人はわきまえて会話するように心掛けろ。根拠のないプライドを持つ人間は図星を指されると立腹する」
「アンタに言われなくてもンな事、判ってるよ。……そういうロイさんこそプライド高そうだけど、本当は何をやってる人なんだ?」
「……まあ色々と……いくつか仕事を手掛けている。私が誇りを持つ理由ならあるさ。私は努力を惜しまないし、結果を常に出してきた。期待されればそれに応え、期待以上の成果を出している」
 つまり自分は優秀だからそうでない人間を見下しているわけか。
 ……にしても、色々って何だ? 本当の仕事は?
 オレには職業を教えたくないのか?
 やってんのは大学の教師だけじゃないのか?
 やっぱり胡散臭い男だ。
 傲慢な男だが無能な癖にプライドばかり高い人間よりマシか。貴族にはそういう連中が多い。
「それで……優秀で誇り高いアンタがオレに何用なんだ? アンタの好奇心は満たされたはずだろ」
 ハッキリ邪魔だからあっちへ行ってくれと表情に出す。肚が坐ってそうだからこれくらいじゃ腹も立たないだろう。
「好奇心か……。確かにそうかもしれない。だが……」
「だが……なに?」
「いや…………ところで、これから君は何か予定があるのか? ……いや、ないよな。さっきそう言ったからな」
 とってつけたような言い方だ。
 ロイという男は好奇心だけではなくオレに確実に用事がありそうだ。となると目的があってオレに近付いてきたという事か。
 この男が自分に絡む理由が判らない。
 随分ハンサム(オレの好みではないが)な男だ。
 女には不自由してないだろうし、ロリコンの気配もないから(オレは変態の臭いには敏感なのだ)ナンパ目的じゃなさそうだし、金持ちそうだから誘拐の類いでもないだろう。
 単なる暇つぶしにしては笑顔の裏から覗く(気付かれていないと思ってるらしい)探るような目付きが気になる。
 用心には越した事がない。保身を考えるならこの場からさっさと立ち去るのが正解だ。
 しかし好奇心と警戒心が疼く。この男の目的を知っておきたい。
「だから何だって言うんだ? オレの予定なんて初対面のアンタには関係ないだろ? それともナニか? 自分の作った試験問題が簡単に解かれたのが気に入らないから、ちょっかい出してるとか? 難癖つけてんの?」
「私がそんな小さい男に見えるのか? 心外だな」
 大仰な呆れたというポーズに、こいつ絶対鏡の前で『自分が格好良く見えるポーズと角度』を研究してるな、と思った。
「アンタの中味の大小なんかどうだっていいが、そんな胡散臭い目付きでジロジロ見られたんじゃ、裏がありますって言ってるようなもんだろ。目的は何? 回りくどい事は止めろよな」
「ははは。自信過剰なお嬢さんだ。確かに君は美しいが、男がみんな君に夢中になるとでも思ってるのか? 私はロリコンではないし、自分から女性に声を掛けずとも花には不自由した事はないよ」
「その裏じゃないんだけど。……じゃあ、裏がないなら消えろよ。これ以上用はないんだろ?」
 ジッと見つめるとロイもこちらを覗き込むような目で見た。強い視線。
 それがアンタの本当の眼かよ。
 やれやれ。始めからそういう顔で来いよ。
「私が用があると言ったら君は私に付き合ってくれるのか?」
「こっちはアンタに用はない」
「もしかしたら君にメリットがある話かもしれないぞ。おかしな意味でなく、優秀な君に興味があると言ったら? こう見えても私は金持ちで方々にツテがある。私は利用する価値がある人間だぞ」
「そう直球で言われても困るんだが。こっちも幼児教育はちゃんと受けてるんで」
「幼児教育?」
「『知らない人について行っちゃいけません。お菓子をくれると言われても知らない人から物を貰ってはいけません』……アンタもお母さんに言われなかった?」
「……私は君に菓子などやらないし、君はもうそんな子供じゃないだろう」
「だから用心している。変質者や犯罪者がそれらしい顔をしているわけじゃないって事は知ってるから」
「……私は変質者じゃないぞ」
 失礼な、という顔をされたのでこちらも理由を述べる。
「もしオレが……アンタが人畜無害な良い人そうで……間違ってもそうは思わないけど………そう勘違いして、誘われるままにアンタについて行ったら、アンタはどう思う? よく知りもしない人間に簡単に付いて行く尻軽で軽率な娘だと思うだろ? 用心したからって自信過剰だなんて思われる方が心外だ。女の子が親戚でもない男と二人きりになって、軽率に見えず用心しすぎない対応があるって言うならそれを教えてくれよ」
 言われてロイの目が泳ぐ。
 こういう質問に答えられる男はあまりいない。自分は紳士だから安全だと言いたいのだろうが、それが他の男に置き換えた時にそう言い切れなくなるからだ。
 少女が初対面の男にノコノコとついて行ったら、誰だって軽率だとその振るまいを咎めるだろう。常識があればそう思う。
 オレの用心深さは常識の範囲内なのだ。
 オレにそう言われてロイは困った顔になる。
「いやまあ………そう言われてしまうとミもフタもないのだが………どう言えばいいのかな? …………ううむ、その問いは後回しにさせて貰おうか。時間もないし」
「時間がないなら行けば? オレにもう一度会いたきゃ一週間後の合格発表の時に来ればいい」
「時間がないのは君なのだが……」
「は?」
 ロイは胡散臭い笑顔で言った。
「時間が空いたなら試しにもう一つ、試験を受けてみないか?」