「……暇だ」
今日一日は試験に費やすつもりでいたのに午前中で試験が終わってしまって、オレは時間を持て余していた。
「腹が減った……」
グ〜〜とお腹が鳴る。朝は宿でしっかり食べたが、成長期の身体は食物を欲していた。
「食堂はどこだっけ……」
試験会場になった建物は広く、ちゃんと確認しなければ迷いそうだった。
こんな大きな建物が普段は講議や会議にしか使われていないなんて、なんて無駄だ。
階段を下りて案内板で食堂の場所を確認し、人けの少ない食堂にフラリと入る。
トレイを取ってセルフサービスの食事を楽しむ事にした。
都会では珍しく無い料理の数々。だが田舎育ちの目にはなんでも新しく見える。大学に直結している場所だから値段も手ごろで、トレイの上はたちまちいっぱいになる。
子供の存在が珍しいのか時折向けられる奇異の目を気にすることなく、食事を終えて一段落すると、ぼんやり外を見ながらこれからの事を考えた。
試験は合格するだろう。
大学だって受ければ一発合格は間違いない。
しかし大学へ行って何を学べばいいのだろう。目標はまだない。
オレは実は錬金術師だ。幼い頃から学んできたので慣れ親しんでいる。
大学に行って錬金術師を学ぶのも楽しそうだと思う。
だが錬金術の、『何』を学ぶかという目標がない。
小さい頃は単純に錬金術の全てが学びたかった。
だが実際は全てを学びきる事はできない。広く浅くでは錬金術を極める事はできないからだ。
錬金術は科学だ。研究にはテーマが必要だし、それによって手掛ける分野も違ってくる。
医療系、工業系、食品、薬学、あげればキリがない。
もし錬金術学科に入れば、いずれはどの道に行くか選択しなければならない。
しかし今のオレは、まだ将来何がしたいか見えてない。
いくら優秀で大学に行く力があっても、やりたい事がないというのでは行く意味がない。
「やりたい事を見つける為に大学に行くんじゃダメかなあ……」
ズルズルと身体を崩し机に伏せる。
お腹がいっぱいになるとまた暇になる。
ガラス越しに入る暖かい日射しを受けながら、空いた時間を持て余す。
母が死んで努力する目的を失った。いずれ心に張りが戻るとしても、それはまだ先だ。
今は何もしたくなかったが、何かをしていなければ心が苦しくて呼吸もままならない。肉体的精神的余裕など欲しくはなかった。
ウィンリィに言われるままにイーストシティに『大検』を受けに来たが、早くも後悔し始めている。
誰も自分を知らない場所にいると孤独が身に沁みた。
まだ母の匂いの残る家から離れたくはなかったのに。
家に戻った時に母の匂いが薄れていたらどうしよう。寂しさに泣いてしまうかもしれない。
ハアと溜息を吐くと。
「エドワード……ハーネット?」
上から声がした。
「誰?」
顔を上げると黒髪の青年が前にいた。
「……金髪金色の瞳。……君がエドワード・ハーネットなのか?」
「アンタ誰? 何か用?」
知らない顔だった。身なりはそれなりに整っている。若そうだが学生には見えなかった。
隣接する大学の関係者だろうか。
これは失礼と男はオレをそうと確認すると、
「私はロイ。……実は試験を途中で抜け出した者がいると聞いて興味を持った。よければ話を聞かせてもらいたい」と言った。
ロイと名乗った男は許可も下りないうちにオレの前に座った。
そんな情報がリアルタイムに手に入るのだから、今回の試験の関係者である事は間違いない。
無視するわけにもいかないと嘆息して、「…で、何かご用ですか?」と面倒臭いと思いながらも聞いた。
素早く男をチェックする。
「君はわざわざ田舎から試験を受けにこちらに出てきておきながら、なぜ途中で試験会場を退出した? まだ始まってから時間は半分も過ぎていない。一旦席を立てば再入場はできないと知っているはずだ。それとも試験が難し過ぎるから諦めたのか?」
「問題は全て解きました。終わった時点で部屋を出ていいと言われていたので出ました。それだけです」
「だがまだ時間は大分余っているぞ」
「時間はあってもする事がなきゃいる意味ないですから。問題は解きました。満点合格を狙ってるわけじゃないから多少の間違いがあっても平気です」
「では本当に君は試験問題を解いてしまったから、部屋を出ただけなのか?」
「そうです」
「そうか……」
やれやれと呆れ半分で見られる。
「……何ですか? 自信過剰だと思われてます? こんなガキに簡単に問題が解けるわけないとでも?」
若いのに偉そうな態度の男なので某かの権力を持っているかもしれないと、一応礼儀を欠かさない程度に接していたが、使いなれない敬語が段々面倒臭くなってくる。
身なりからして金だけ出しているスポンサーの貴族のボンボンかもしれない。華美ではないが、着ている物はえらく高級そうだ。身体にフィットしているベストやズボンはつるしではなく全てオートクチュールだろう。正絹の服なんて貧乏な平民は結婚式でもなければ一生着る事はできない。靴は見えないがカフスボタンは年代物の骨董品だ。細かい所に気を配った服装は近付かなければ手の込みようが判らない所がさり気なさすぎて嫌味だ。
「ロイ…さんはどういった方なんですか?」
胡散臭さ全開な野郎だ、と本音は言えずに正体を尋ねる。
「私は……実は今回の試験問題作成に関わっていてね」
ロイは肘をつき指を顔の前で汲んで苦笑した。
「へえ……」
予想外の答え。
もしかして教師か学者なのだろうか。
男が嘘を言っているようには見えなかった。
「だからあっさり解かれてしまって、失敗したかな? と思っている所だ。易しい問題を作ったつもりはないのだが、君には易しかったらしいな。……大学入試程度の問題だから難易度を上げるわけにもいかないと思っていたのが失敗だったか。……さっき事務の者から話があって、まだ午前中なのに試験を終了した者がいると聞いてね。答案はほぼ完璧だし、しかも受験生はまだ子供だと言うじゃないか。耳を疑ったよ」
「こんなガキが受験者で驚きました?」
「驚いたのはそれだけじゃないのだが……」
ロイという男は何かを考えるようにしてヒゲのない顎を触った。
こいつは一体何歳なのだろう。二十歳くらいにも見えるが、今回の試験作成を手掛けているというのが事実なら三十歳を越えていてもおかしくない。
間をとって二十五歳くらいか?
大学の講師かそれとも貴族お抱えの優秀な家庭教師か、どこぞの研究者か。
身なりからして貴族兼学者ってところか?
ジッと見られて居心地が悪い。子供だというので真偽を疑われている……という視線ではなかったので、見られている意味が判らない。
相手が読めないという事は、裏があるという事。
警戒サイレンが鳴りっぱなしだ。
もしかして……この男はオレを知っている?
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