公爵夫人秘密 01
Alphonse×Edward♀


第一章

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 母が死んだ。
 トリシャ・エルリック。
 享年三十四歳。

 母は十七歳でオレを生んだ。その十四年後、この世を去った。
 身内の贔屓目を除いても充分美人だったと思う。三十代前半だったが実年齢より若い外見で、充分二十代でも通用した。その上明るく穏やかな性格だったから沢山の男達からモテていたが、生涯をオヤジ一人を愛して死んだ母さん。
 オヤジ……母さんの伴侶でオレの父親は母さんを迎えに来る事なく、母さんが死ぬ少し前に死んだ。まるで母さんを迎えるかのように。
 畜生。
 ロクなオヤジじゃなかったけれど、最期の最期まで家族を振り回さなくてもいいのに。
 母さんを連れて行くなんて。お陰でオレはたった独りだ。
 良い事なんか少なくて、薄幸のまま死んだ母さん。
 オレが一日も早く大人になって幸せにしてやると決意していたのに、母さんは待ってくれなかった。オレが大人になる前に死んでしまった。
 母さんが死んだ事は世界が真っ暗になるかと思う程辛く悲しかったが、最期に母さんが浮かべた穏やかなどこかホッとしたような表情にオレの心は慰められた。
 母さんは一人で死んだんじゃないと判っていたから。
 母さんは病気だった。死期が近かった。そして最期にオヤジと会う事を望み、オヤジが先に死んだ事実を知り安心して死んでいった。
 母さんは自分が死ぬ前に、
『これでやっとまた……あの人と暮らせるのね。………父さんを独り占めしてしまうわね。一人にしてしまってゴメンね、エドワード』……そう言った。
 どこか幸せそうな笑顔だった。
 そんなに好きだったのか。オレ達を捨てて帰ってこなかったあの男が。
 母が亡くなった後、オレは気力が抜けてしまった。
 母を幸せにし、出て行った父親をぶっ飛ばすという目標を無くしたオレはしばらく空っぽになってしまった。
 優秀で何でもできたオレだから、努力次第でいくらでも欲しい物が手に入るはずだった。
 だがその欲しい物が無くなってしまって、努力する理由がなくなってしまった。
 結果オレはただの無用の長物と成り果てた。いくら優秀でも使わない頭はただの飾りだ。
 腑抜けたオレを叱咤激励し立ち直らせたのは幼馴染みのウィンリィだ。
 彼女は持ち前の明るさとバイタリティで、湿気ったビスケットのようになってしまったオレに喝を入れた。正確には愛用のスパナで遠慮なしに毎日殴り続けたという事なのだが。
 流石に毎日殴られ続ければ落ち込んでもいられない。
 反撃しようと背骨を伸ばしたオレにウィンリィは大学受験の為の飛び級試験の申込書を持ってきた。

 大学受験をする為には三つの方法がある。
 学校の推薦状を得るか、高校を卒業するか、試験を受けて大学に通えるだけの学力が足りていると証明するか。
 オレはまだ中学生なので(とはいってもろくに通ってないけど)大学受験したければまずその資格を得る為の試験を受けなければならない。
 試験は平等で、出身や年齢に関係なく点数によってのみ評価されるが、しかしその分難易度は高い。
 高校に行かない連中が高校をスルーして大学に行こうというのだから、手を抜くなと言わんばかりに合格率を下げるような狭き門にしてある。
 だが逆を言えばそこを通れた人間は間違いなく本物だと証明されるわけで。
 試験を受けて大学受験の資格を得る人間は、九十九パーセントの確立で大学の方にも合格する。当然だ。資格試験の方が大学受験より難しいのだから。
 そうしてオレことエドワードは高校どころか中学すら卒業していない十四歳だったが、高校どころか大学すら園児の遊び場所? って学問を嘗めきった学力の持ち主、すなわち天才だったので、する事も無いしと大学受験をしてみる事にした。
 本当ならもっと早くに大学にでも何処にでも行ける頭脳はあったのだが、母一人子一人の生活で母を置いて家を出る事はできなかった。
 家は国の東の外れの畑と羊しかないような田舎にあって、主だった大学は大都市にしかない。
 とても母さんを置いてはいけないとオレは田舎でくすぶっていた。
 立身出世も全て母の為。ならばどうして母を田舎に独り置いていけるだろう。
 だから、もう少し大きくなったら母さんをばっちゃんに預けて、大学に行ってもっと多くを学んで、母さんを支え安心させてやろうと思っていた。
 家は母子家庭だがオヤジが送ってくる生活費のお陰で充分暮らしていけていた。
 金しか送ってこないオヤジは大嫌いだったが、金には罪はない。
 しかし母さんが無理に働かなくても家計が潤っていたのはオヤジの金があったからではない。故郷のリゼンブールは本当の田舎で、自給自足で事が足りるのだ。
 野菜や果物は畑からとれるし、魚は川で釣れ、肉もお裾分けがあるし、週に二度は市場が立つ。露天に毛が生えたような小さな市だが村人がそこで生活するには充分だ。
 そんな場所に暮らしていたので、母子が細々と暮らす分にはお金はあまり必要なかった。
 オヤジが死んで母さんも死んで一人になったオレに、幼馴染みで姉妹同然に育ったウィンリィは目標を与えた。
 とりあえず大学に行けと申込願書を顔に叩き付け、試験会場のあるイーストシティに蹴り出された。
(乱暴な女だが行動力はオレ以上だ)
 そんな気にはなれなかったのだが、する事もないしウィンリィも恐いので、物見遊山よろしくイーストシティまでふらふら列車で出てきた。
 イーストシティはイーストエリアの中心なだけあって華やかで活気のある都会だった。
 こんなに沢山の人間と建物を見たのは初めてで、都会の景色に圧巻され、流石のオレも絶望的な心を紛らわせる事ができた。
 適当な宿を取って田舎者丸出しで街を散策し、図書館の蔵書量に圧倒され、ついで試験会場を下見した。
 する事がある分には悲しい気持ちを忘れていられるので助かった。




 大学を受ける為の資格試験の正式名は『大学受験資格取得検定試験』……略して『大検』と呼ばれる。
『大険』は国語、数学、科学、外国語二種、歴史、の六種の科目の総合点によって合否が出される。
 試験は六時間かけて全教科の試験を一気に行う。
 オレの姿は試験会場では浮いていた。周りはみんな大人ばっかりで、当たり前だがオレみたいなガキは一人もいなかった。
 大学に行くには学力も必要だが金も必要で、家の事情で高校に進学できない者は、自分で稼いでから遅れて進学する。
 民の貧富の差は大きく、貧しい者は高校に行かずに働いてお金を溜め、その後『大検』を受けて資格を得る。
 学位をとればそれだけ良い職につけるので、そうやって努力している人間は多い。
 そんな理由で『大検』受験者は大人ばかりだ。オレのようなガキはいない。
 飛び級して進学する子供がいないわけではないが、そういう優秀な子供は普通、学校の推薦を受けてくる。
 周囲の奇異の目を気にする事なくオレは受験の手続きをし、教室に入り席についた。
 ざっと見た様子では試験の為に講堂や教室がいくつも使われている。受験者の人数は何百人もいるようだ。
 毎年の合格率は二十パーセント未満という事だから、この中から出る合格者は大体百人前後というところか。
 試験は十時より開始された。
 始めてしまえば六時間は会場の外には出られない。どの教科にどれだけの時間を掛けるのかは当人の配分になる。得意科目に時間を割き苦手教科を捨てるか、それぞれ一時間づつ解答するかは当人次第。
 休憩時間はあるが、基本六時間の耐久試験だ。
 試験が始まると会場は一気にカリカリという鉛筆を動かす音だけになった。
 オレも試験を始めた。
 流れるように全部記入して顔を上げると首がポキと鳴った。同じ姿勢をとっていたので首がこる。
 うーんと背伸びをしてふと時間を見ると、まだ半分も過ぎていない。
 まだ午前中だ。試験は四時まであるというのに。早く解きすぎたか。
 見直すのも面倒だと思い、筆記用具をしまい解答用紙を持って席を立った。
 満点合格が目標ではないのでミスの一つや二つどうという事はない。解答欄は全て埋まっている。試験内容はさほど難しくは無かった。
 オレは高校卒業程度の学力基準というのを知らないので試験の難易度はよく判らなかったが、今回は簡単に作られていたのだろうかと首を傾げるような単純な問題ばかりだった。……ので解答用紙を提出して、驚く監督者を尻目にさっさと会場を出た。