第三章
ロイはエドワードが言った事を考えた。
ショウ・タッカーの国家錬金術師の銘が『綴命』だと? タッカーは査定の為に二年後に自分の娘も実験に使った? そして暗殺者に殺された? グラン准将も?
バカな、ありえない。グラン准将は軍隊格闘の達人だ。テロリストなどに殺されるものか。
荒唐無稽だ。でっちあげにしてはよくできているストーリーだ。
しかし陳腐に聞こえないのは国家錬金術師が言った言葉だからか?
否。
エドワードの言葉が……
『殺された』
『国家錬金術師に拝命された』
『キメラは死んだ』……全て過去形だからだ。
……まるで知っているかのように。
エドワードはいつもそうだ。全ての事を知っているかのように話す。そして理解を求めない。どうせ判らないと理解させることを放棄している。
バカにしている。
だがそれを批判できる立場だろうか。ロイもまたエドワードを子供だと侮っている。戦争の悲劇も人を殺す痛みも知らない頭でっかちな子供だと。自分は相手を侮るが侮られるのはイヤなどロイの方こそエドワードをバカにしていた。年齢を侮りの理由にするなど愚かな事だ。ロイとエドワードの年齢差はたった十四歳だ。ロイを侮る上層部とはもっと開きがある。
ロイはいつのまにか自分が頭の固い古臭い無能な上層部と同じ思考に陥っていた事に気付いて、恥じ入る。
「鋼の。君は未来を知っているように話をするな」
「……知っていると言ったら?」
「なら聞くが、私は何歳まで生きられるんだ?」
「オレが知っている未来は今から二年後までだ」
「なぜ二年後までなんだ?」
「……冗談だよ。未来なんか……知る訳がない」
「そうか。だが君は……タッカーの件に関しては自分の予想を現実のものとして信じている。単なる想像じゃないとしたら……それが君の秘密になるのか?」
「秘密、秘密ってうるさいな。信じない男に何を言っても無駄だろう。あんたはオレを信用していない。オレの年齢を見て、オレ個人を見ていない」
知っていたのかと恥じ入る。羞恥は怒りに変わり、何も知らせずに関わらせようとするエドワードに向かう。
「私は君に巻き込まれ動いている。必要な事を話さず利用しようなどと、勝手が過ぎるのではないのか?」
「確かに。オレの勝手で大佐の立場を危うくしたとしたら謝る。だが一応名目はハクロ少将命令の視察だ。ハクロの名前を出してゴリ押ししろよ。タッカーは間違いなく自分の妻をキメラにする」
「君の確信が当たれば悲劇だが、こちらにとっては有利か……。君の妄想が単なる想像で、こちらが恥をかき無能の烙印を押されるか……。どちらにせよ結果はマイナスだ。後味が悪い」
「マイナスなどいくらでも逆転できる。非はあっちにあるんだから」
「軍の法は一般の法とは違う。軍にとって有益なら多少の犯罪は揉み消される」
「多少? 人を使ったキメラ製造が多少の事?」
「失言だった。だがそう考える者が軍上層部にはいる」
「知ってる」
人体錬成や人体合成獣を軍は何年も前から裏で秘密裏にやっている。そんなのは今更だと知っている。……などとエドワードは言えなかった。
第二錬金術研究所についたロイは、車を下りて切り出した。
「ここだ。……私は東方司令部所属ロイ・マスタング大佐だ。ここに錬金術師のショウ・タッカーがいると聞いている。タッカーに面会したい」
「お待ちしておりました、マスタング大佐。アームストロング少佐からお電話が入っております」
受け付けで言われてロイは不思議に思った。
「何故アームストロング少佐から? 彼にはここに来る事を話していないというのに」
「さあ? しかしさっきから何度もお電話があり、必ず折り返し電話をするようにとの伝言です」
「判った、かける。……その前にタッカーに会うよう手配しろ」
「それが……」とロイに対応した者はすまなそうに言った。
「折角ここまで来られたのに申し訳ありませんが、タッカー氏は午後よりグラン准将に連れられて外へ行き、まだ戻ってきてはいません」
「何処に行ったか判らないのか?」
「はい。聞いておりません」
「……仕方がない」
ロイはアームストロングの件を先に片付ける事にした。
「大佐……ほら、アームストロング少佐から電話」
いつのまにかエドワードが受話器を持ってロイに差し出している。
「何をしている?」
「待ってる時間が惜しいから大佐の名前で電話を掛けた。何か少佐が焦ってるみたいだけど」
「よこせ。………ロイ・マスタングだ。アームストロング少佐か?」
『おお、大佐。お久しぶりです。お元気でしたか?』
気の良い、低い声が受話器を通して響く。
「挨拶はいい。急ぐから用件だけ言え」
『ヒューズ中佐からの伝言です。必ずマスタング大佐にお伝えしろとの事です。『タッカーの国家錬金術師の実技試験の時間が早まった。六時予定が四時に変更した。至急中央司令部に戻れ』…と、中佐がおっしゃいました』
「何だって?四時? あと三十分しかないじゃないか!」
ロイは慌てて壁に掛かった時計を見た。
『大佐? 何事ですか?』
「いや……判った。伝言ありがとう。後程そちらに窺う。これから司令部に戻る」
『そういえば鋼の錬金術師も来ているのですね。我輩あの子が大好きで会うのが楽しみです』
「いくらでも会える。急ぐので失礼する」
電話を切るとエドワードの顔が固く強ばっていた。
「大佐。……今電話の話が聞こえたけど、実技試験の時間が早まったのか?」
「そうだ。二時間も早まった」
二人は無言で走り、車に飛び乗った。
残された研究所の職員が突風のような二人の様子に、何事かとポカンとしていた。
エドワードは吼える。
「大佐! 何故時間が早まったんだ? 実技試験は六時からじゃなかったのか?」
「私に聞くな! 情報通のヒューズが知らなかった事だぞ」
「何分で中央司令部に着ける?」
「ここからだと十五分くらいかかるぞ」
「五分で着いて」
「無茶言うな!」
殆ど怒鳴り合いだが、そうでもしないと心の不安を誤魔化せそうにもなかった。いつの間にか人の死が軽くなっていたロイだが、さっき会った赤ん坊の母親が父親によってキメラにされる事を考えると吐き気がした。
「鋼の!」
「なんだよ」
「聞かれたくないだろうし言いたくないだろうが、あえて聞くぞ。もしタッカーがすでに妻をキメラにしていたらどうするんだ?」
「もしもの話なんでするな!」
「しなくてどうする! 現実から目を逸らすな! タッカーが人体実験をしようとしていると言ったのは君だぞ。我々のしている事は後手にまわっている。もしかしてもうすでにキメラは錬成されてしまったかもしれん。そうしたらどうするんだ? タッカーを糾弾するか? だがそんな事をしたらタッカーの妻は死ぬ事もできずに生かされて実験動物扱いだぞ。それとも君のさっき語った妄想のように自殺を見逃すか? その後タッカーを捕まえるか?」
「それは……」
「その可能性を考えなかったとは言わせんぞ。聡明な君が考えないわけがない。実験動物として生き地獄の中を生存させるか、望みどおり死なせてやるか、君が決めろ。私はその決定を尊重し、タッカーの逮捕を考える」
自分でも荒唐無稽な事を言っているとロイは思った。これではエドワードがさっき語った妄想を全面肯定しているようではないか。
だがエドワードは会話を当然のように受け止めている。エドワードの中で妄想は現実なのだ。
エドワードの表情はショックと恐怖で歪んでいたが、ロイは手を弛めなかった。
「大佐。人は……死んでしまえばそれまでだ。生きていれば……いつかは元の姿に戻れるかもしれない」
「では……」
「だけど……それがいつか判らないのに絶望の中で生きろなんて……言えない。人でない姿でどうして……希望を失わずに生きられる?」
エドワードは人体実験で失敗してできた母親の姿を思った。鎧の姿のアルフォンスを思った。父親に犬と混ぜ合わされたニーナを思った。人は簡単に道を踏み外す。
ニーナ。どんな姿でも生きていて欲しかったと思う。
だがニーナはその生を望んだだろうか?
子供のうちはいいが、大人になれば己の身に起こった地獄を理解し、自分自身と父親を呪うだろう。キメラはキメラであり、もう人ではない。たとえエドワードがニーナを人だと認めても、世間はそう見てくれない。
人前に出られず友も作れず恋もできず、迫害され観察され実験される苦痛にまみれて生きろとは言えなかった。
「もし……オレ達が間に合わなかったら……そのキメラの言う通りにしてやってくれ」
「死にたいのなら死なせて構わないと言うのか?」
「獣の姿にされてそれでも生きろと……オレには言えない。絶対に元の姿に戻してやると約束できない。軍の手から守ってやると言えない。オレは……何もできないんだ!」
エドワードは両手で頭を抱えて絶叫した。
エドワードの無力感をロイは蔑んだが、同時に言い分をもっともだと思った。
人体実験の結果のキメラなど軍の恰好の実験材料だ。大佐であるロイだとてうかつには手が出せない。ましてや人の姿に戻すなど……無理だった。合成した生き物は二度と同じ姿を取り戻せないのだ。
「どうするかは実際にそのキメラを見てから決める。安易な約束はできない」
ロイの冷たい言葉にエドワードは頷いた。
「……判っているさ。そんな事」
「……本当に?」
どう答えるべきか、エドワードはその答えを持っていなかった。
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