第三章
車に乗り込んだ二人はグラン准将管轄の錬金術研究所に行く事にした。そこしか思い当たる場所がない。
ロイは隣でイライラとしているエドワードに聞いた。
「鋼の。……君の想像が当たりそうだな。当たって欲しくはなかったが」
「……でも……まだ間に合う。今からタッカーを捕獲すれば間に合うんだ」
「そうだな。……ところで鋼の。……タッカー夫人の顔を知っているか? 名前は?」
「どっちも知らない。会った事ないからな」
「娘はニーナと言ったな。あの大きさだと一歳か二歳くらいかな。……確かにあんな赤ん坊をホテルの部屋に置いていく親はいないな」
「タッカーは……あんな可愛いニーナが側にいて、どうして……あんな非道な事ができるんだろう。殺すより……酷い」
「その娘の事だが…………鋼のはどうして母親の事は知らないのに娘の事は知っていたんだ?」
「知ってなんか、ない」
「私も、そして恐らくヒューズもタッカーの娘の事は知らなかった。親子揃ってセントラルに来ている事すら知らなかったんだから、娘の名前など知るわけがない。だが君は泣いている赤ん坊を間違いなくタッカーの娘だと知っていた。名前まで。私は君が赤ん坊の名前を呼ぶのを聞き驚いた。誰もあの子がニーナという名前だなんて言ってないのに。ヒューズもおかしいと気がついている。……君はどこでタッカーとその娘に会った?」
エドワードは返事に詰まった。適当な事を言ってもあからさまな嘘にしからないだろう。しかしエドワードの『本当の事』は語り始めれば長く、しかもあからさまな嘘より嘘臭い。
「話せば長くなるし、それにかなり突拍子もない内容だから、アンタは信じないかもしれない。今、信じさせてる時間はない。……後でゆっくり話すよ」
「絶対だな?」
「アンタだけにな。誰にも言えない事だから」
「ではとりあえずその事も保留にしておくか。しかし君は秘密の多い子供だね」
「なりたくてなったんじゃねえや、こんな性格」
「おや、自分の性格まで誰かのせいか?」
「自業自得だっていうのは判ってるけど、オレの人生ボロボロすぎて語りきれねえんだよ」
「ヒヨッコのくせに厳しい人生を歩んでいるような事を言うな」
「そりゃ……禁忌にまみれて生きてりゃ厳しすぎて生きてんのヤんなるんだよ。逃げないって誓ってるから何だってするけど」
「禁忌? 君は軍属である事を除けばしごくまっとうに生きているじゃないか」
「九歳からな。……九歳になるまでの人生でさんざんあれこれやり尽したから、今そのツケを支払ってるってわけだ。現在人生やり直し真っ最中」
「また訳の判らん事を言う。九歳のガキがどんな禁忌を冒せるというんだ」
「国家錬金術師になれる九歳だぞ。何か裏事情があるに決まってるじゃないか」
「その裏事情というのが君の秘密か?」
「うん」
「その秘密は誰も知らないのか?」
「一人を除いて」
「その一人とは?」
「アルフォンスの師匠」
「何故その人だけ君の秘密を知っている?」
「オレが喋ったから」
「何故その人にだけ、君は心を許したんだ?」
「師匠は……アルだけじゃなくオレの師匠でもあるから。知らせなくちゃいけない事があった」
「知らせなくてはならない事? 意味深だな」
「とても、大事な事だ」
「君は師匠はいなかったのではないのか?」
「いないよ。………でも、いる」
「どっちだ?」
「どっちも正しい。冗談でも嘘でもないぜ。現十三歳鋼の錬金術師エドワード・エルリックは一度も誰にも師事した事がない。だが、オレの記憶の中ではイズミ師匠はオレのセンセイだ」
「意味が判らんな」
エドワードは笑った。哀しい笑みだった。前を見て運転していたロイは気が付かなかった。
「本当の事を話して……嘘つきだと言われるのは辛い。乗り越えてきた……いや、立ち向かって流され、時には抵抗しここまで来た道程を否定されるんだったら、オレは何も語らずに一生を過ごす。師匠にオレの『本当』を語ったのは、師匠が信じる事を知っていたからだ。師匠にはオレと同じ傷がある。その傷の痛みを共有するが故にオレの言葉を信じるしかない」
「君は何か傷を負うような秘密があって、師匠とその傷を舐め合っているという事か?」
「やな言い方だな。傷を舐めあったりはしない。師匠は師匠、オレはオレの傷を持っているだけだ。共有はできない」
「もっと分りやすく説明しろといつも言ってるだろ。結局君の秘密とはなんだ? 君は真実が二つ有るといつも言う。なぜ正反対の事柄がどちらも正しいんだ?」
「それは……」
「この忙しい切羽詰まっている時に君のヨタ話につき会っている暇はない。今は一刻も早くタッカーを捕まえなければならない。グラン准将に邪魔されないといいが」
エドワードは「聞け!」と強く言った。
いきなり枷が外れた。
「……ショウ・タッカーは1912年に自分の妻を材料にして人語を話すキメラを作り出し、国家錬金術師資格を取る。銘は『綴命の錬金術師』その秘密を知るのは後見人のグラン准将だけ。錬成されたキメラは一言『死にたい』と言って絶食して死亡。……タッカーは翌年の国家錬金術師査定の評価が悪く、二年目の査定がふるわなければ国家錬金術師資格を剥奪の予定だった。だがどんなに頑張っても二度と人語を話すキメラを作り出せない。当たり前だ。そんな力量は何処にもないんだし、人を使う以外には適わないんだから。二年目の査定においてタッカーは………今度は自分の娘をキメラにした」
「おい、何だその話は。……1912年って今年じゃないか。銘が『綴命』?」
「人語を話すキメラは自分の妻だった。タッカーは悪魔に魂を売ったんだ。だからキメラにされた奥さんは夫の所業と自らの体に絶望して『死にたい』とだけ漏らし、自殺した。タッカーは周りには妻は離婚して実家に帰った事にした」
「それは君の想像だろう。それに二年後の事まで想像するとは想像力豊かだな」
「タッカーのした事は軍に知れ、タッカーは資格を剥奪され拘束された。だが国家錬金術師を狙う暗殺者に娘のキメラごと殺された」
「おい……」
「タッカーの所業を許してはならなかったのに、グラン准将は己の出世欲の為に利用した。そして天罰が下った」
「……鋼の」
「タッカーを殺した暗殺者は全ての国家錬金術師を狙っていて……グラン准将も殺された」
「………………」
「大佐もオレも狙われたけど、何とかギリギリ生き延びた」
「…………いい加減にしろ。それは全部君の作り話だろう。今はそんな事を話している時ではない」
エドワードの語り口があまりに重く現実味を帯びていたので、逆にロイは聞いてはならないと思った。
エドワードの語る言葉は重い。それは信じる信じないという域を越え、納得できてしまう説得力がある。
エドワードの本音を知りたいとは思ったが、こんな話は聞きたくなかった。でたらめすぎるのに体で納得してしまうなんて、あんまりだ。
ヨタ話を信じるような甘い生き方はしてこなかった。なのにエドワードの言葉にはいちいち真実の重みがあるのだ。
「鋼のっ……!」
「ロイ・マスタング。アンタが一流の錬金術師と信じ、今ひとたび禁忌を明かそう。口伝えのみで伝えられる禁断の錬金術、アンタはそれを知ったら秘密を共有しなければならない。覚悟はいいか?」
「覚悟……」
「アンタに覚悟がないのなら……これ以上の事は言わない。今言った事の全てを忘れろ」
「忘れられる訳ないだろ」
「では覚悟もなしに他人の秘密に足を踏み入れるか? 聞きたくなかったなんて、後から言っても遅いぞ」
「それは…………聞いてから決める。君に指図される謂れはない」
「確かに。では言わない事もこちらの自由。今はまだ語る時ではないのかもしれない。本当の事を、アンタに言うべきかどうかまだ迷っている。オレの秘密はオレだけのモノだ。アンタを巻き込んでいいか判らない」
「もう巻き込まれている。タッカーを捕まえて彼のしようとしている事を止めれば、私はグラン准将を敵にまわす」
「だからタッカーのする事を見逃すと? タッカーが自分の妻をキメラにした犯罪の証拠があれば、タッカーを逮捕しても誰も文句を言わないから」
「まさか。人を獣と掛け話せるなど……あってはならない」
「そう思うならもっと急げよ」
「これが精一杯だ。グラン准将配下の錬金術研究所まであと少しだ」
「頼むから、間に合ってくれよ……」
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