第三章
ヒューズの調べたタッカーの宿泊場所に三人は向かった。本来ならグラン准将を通してタッカーに面会を求めるべきだが、その時間が惜しいのと、エドワードが『たぶんグラン准将はタッカーのやろうとしている事を知っている』と言ったのでそのままタッカーを直接訪問する事にした。
車の中でエドワードがギリギリと歯を鳴らしそうな顔付きになっていたので、ロイは「少しは落ち着け、鋼の」と言った。
「…こんな時に落ち着いてられるか!」
「だが君が慌てたところで車のスピードが上がるわけではない。冷静になれんのなら車から放り出すぞ」
乱暴な言いぐさだったがエドワードはその言葉で我に返った。
「……悪い。確かに冷静さに欠いてた。……大丈夫だ」
ヒューズは運転しながら背後に聞いた。
「しかしホテルに行くのはいいが、もしそこに何もなかったらどうするつもりだ? まさかタッカーに張り付いて監視するのか? 錬金術っていうのは材料が必要なんだろ? ロイの焔みたいに空気が材料だっていうならともかく、タッカーのは生きている動物が二体以上必要で、その一つが人間だとするとソイツに危険だからタッカーから離れろとでも忠告するのか? 合成しちまう前だと証拠がないから本人しょっぴく訳にもいかねえしな」
「そうだな。素材となる人間が部屋にいたとしても、錬成前だと逮捕できんな。しかし見ず知らずの人間なら大人しくタッカーの側にいるとは思えないから、誘拐して監禁しているのかもしれん。そうなれば逮捕できる」
エドワードは「違う」と言った。「タッカーは知らない他人を使ったりしない」
「どうしてそんな事が言い切れる?」
「タッカーにそんな時間はない。昨日の試験で不合格になって、それから実技の時間が早まったんだ。十日後の予定が一日後になった。材料を用意している時間はない」
「申請すれば犬猫や猿や豚なんかは軍の研究所から只で貰える筈だ。実験用の動物がいるからな。実技が早まったんだから自分じゃ材料を用意できない」とヒューズ。
「だが人間は用意できんだろう?」
「タッカーの近くで人間が行方不明になれば後から疑われるしな」
「ではタッカーは人をどうやって確保するのだ? 言ってはならない事だし認めたくはないが人身売買はセントラルでも行われている。殺されても誰も調べないし探さない人間を金で購う事はできる。だがタッカーのような素人がすぐにというのは無理だろう」
「確かに人身売買組織はある。検挙できねえのはお偉いさんと繋がっているという噂があって堂々とは探れねえからだ。まだ証拠固めの段階だな。……おっと、今はそんな話じゃねえ。タッカーの事だ。人目の多いホテルでそんな事はできねえだろ。やっぱエドの思い過ごしじゃねえのか?」
「私もそう願いたいな」
ロイはエドワードの頭を見下ろした。横顔は堅く緊張感に張り詰め、顔色は白く瞳は剣呑だ。エドワードはタッカーが人体キメラを作ると信じている。
「君は、タッカーのやろうとしている事を推測して焦っているが、もしかしてタッカーがどんな方法で人を捕まえて錬成するのかも想像がついているんじゃないのか?」
ビクリと揺れたエドワードの体がその答えだった。
「鋼の。知っているなら言いなさい。一刻も早く保護が必要だ。誘拐が確実なら人を動かせる」
エドワードは激しく首を振った。
「知らないっ!……」
信じないロイは厳しく言った。
「君の秘密主義によって助かるかもしれない人間が、実験材料にされるかもしれないんだぞ。確証はなくていい。誰がどうされるのか、言いなさい」
エドワードは横のロイを見上げた。一人で抱える秘密の重さに耐えられないが、さりとて抱えるには重たい荷物をロイに持たせていいものか迷う顔だ。救いを求めながらもそれはできないと決めている顔だ。子供が見せる表情じゃない。
エドワードの知る情報というのは一体どんなものなのだろうかと、ロイは怯みながらも覚悟を決めた。ここまで関わったのだ。乗りかかった船を降りるわけにもいかない。
「言え」とエドワードに迫る。
エドワードの金の瞳が怯えに揺れる。右腕が支える物を探すかのように無意識に上がった。
「タッカーは…………アイツは自分の……」
キッと車がホテルの前で停まった。
「着いたぞ! 行くぞ!」ヒューズが車を飛び出した。
ロイとエドワードも続く。
ロイはエドワードの言葉を聞き損ねたと思ったが、どうせタッカーの部屋はすぐそこだ。
ヒューズがタッカーの部屋番号を尋ねると「それが……」とフロントマンは戸惑った顔をした。突然の軍の訪問に驚いているという様子ではなかった。
「タッカーに何かあったのか?」
「いいえ。……まだ判りません。今従業員が部屋を調べに行っております」
「調べなきゃならない事がタッカーが泊まっている部屋にあるって言うのか?」
「それが……タッカー氏の隣の部屋のお客様からのクレームで、ずっと子供の泣き声が聞こえると言うのです。タッカー夫人が部屋にいる筈なのですが、もしかして中で倒れているのかもしれないと心配しまして、係の者が合鍵を持って今部屋の方に行っています」
「部屋の番号は?」
「二階の端、201号室です」
聞くやいなや、エドワードは階段を駆け上がった。ロイとヒューズも続く。
「ニーナッ!」
エドワードが扉の開いた部屋に入ると、まだ乳飲み子といっていい幼女がホテルの従業員に抱かれ泣いていた。抱いている男は子供の扱いに困った様子だった。
「誰ですか? あなた方は?」
突然飛込んできた子供と軍人二人に仰天して従業員は尋ねた。
「ニーナッ!」
エドワードが赤子に手を伸ばす。
「あなたは誰ですか?」
エドワードから赤ん坊を守るように若い男が体を捩ると、エドワードはそれ以上無理に近付かず「ニーナ……」と赤ん坊の顔を顔を覗き込んで涙ぐんだ。
「オレはアメストリス軍中央司令部軍法議会所所属のマース・ヒューズ中佐だ。こちらはロイ・マスタング大佐だ。この部屋に宿泊しているタッカー氏に会いにきた。君の名前は? タッカーはどこに行った?」
別人のように厳しい顔のヒューズに従業員はひぇっと青くなった。軍人にも驚いたが中佐と大佐という階級の高さに竦み上がる。
「オ、オレは、このホテルの部屋係りをしてますポール・コーデイとです。フロントからの連絡でタッカー夫妻の部屋に入りました。そうしたらこの子が一人でベッドの上で泣いていて…他には誰もいませんでした」
「タッカー夫妻というと、タッカーは夫人連れなのか」
「はい。タッカー夫妻とお子様の三人で宿泊しております。タッカー氏はお出かけですが、夫人は部屋にいらっしゃるものだとばかり思っていたのですが」
「だがいる筈の母親がいなくて、子供が一人で部屋で泣いていたってわけか。……母親は何処に行ったんだ?」
ロイとヒューズが部屋を探したが、ホテルの部屋に隠れる場所などなかった。
「ニーナ」
エドワードが赤ん坊を見て、瞳を潤ませる。
「貸して」
手を伸ばす子供にどうしたものかと思っていた従業員だったが、軍人と一緒にきたという事で疑いながらもエドワードに赤ん坊を手渡した。
「ニーナ……」
間違いなくニーナ・タッカーだった。まだろくに言葉も喋れぬ幼子だったが、見間違るわけがなかった。清らかな茶色の瞳。もう一度生きて会えるなんて思わなかった。今度こそ助けるのだとニーナの重みに誓う。
エドワードは泣き続けるニーナの顔の上にポタリと涙を落とした。その雫がニーナの流した涙と混ざると、ニーナは泣き声を小さくし、不思議そうにエドワードに手を伸ばした。
「マン……マァ……?」
「ニーナ。オレだよ、エドワードだ。……久しぶり」
エドワードは頬擦りすると、ニーナの汚れた顔をハンカチで拭った。そうして名残り押しそうにニーナから目を逸らすと、ロイ達に言った。
「大佐、中佐。一足遅れた。タッカーは……どこか別の場所で錬金術を試行する気だ」
「どうしてそんな事が判る?」
「ここに子供がいるのに母親が近くにいない。普通の親ならこんな小さな子供を放って出掛けたりはしない。考えられる事は二つだ。無責任な親で子供を放置したか…………もしくは、連れ去られたかだ」
「連れ去られた? どうやって?」
「母親がどうしても子供を置いて外出しなければならないのなら、一言フロントに連絡していく筈だ。そうでなけりゃ心配でホテルの外には出られない」
「しかしこんな人目のあるところで誘拐などしたら誰かが目撃しているはずだ」
「本人が自らホテルから出た後なら、見つからずに済むかもしれない」
「自ら出たのなら、やはり自主的に子供を置いて出たという事か?」
「いや。例えば電話で呼び出されたとか……すぐに戻るつもりだったから、ニーナを置いてったんだ……」
「しかし誰が?」
「一人しかいない。……夫からの緊急の呼び出しでもなければ……母親は子供を置いて出て行ったりはしない」
「タッカーか! ……しかし夫婦なら誘拐する必用などない」
「タッカーが妻を呼び出した事実が残っていたら困るからだ。妻が消えたを知らなかった事にしておけば、夫婦仲が悪くて失踪したとか、他に男ができて出ていったとか言い訳できる」
エドワードが何を言おうとしているかに気が付き、ロイは顔色を変えた。
「まさか……タッカーは……自分の妻を?」
「そのまさかだ。タッカーは……もっとも身近にいる人間を犠牲者に選んだ」
そんな筈はないとロイは思ったが、赤ん坊が一人で泣いている以上、エドワードの推論が正しく思えてくる。
ロイとエドワードは顔を見合わせて最悪の考えに至った。
「とにかくタッカーを探すぞ。ヘタをしたら間に合わなくなる!」
「ニーナはどうしよう?」
エドワードの腕の中の赤ん坊は何が起こったのかと不思議そうな目でエドワードを見ている。
「ホテルに預けておくのも困るな。……しかし赤ん坊の保護など……福祉センターに連絡して引き取りにきてもらうしかないだろう」
「そんなの可哀想だ」
「今赤ん坊に同情している暇があるか? 赤ん坊から母親が失われるかもしれないんだぞ」
「ニーナ」
エドワードは赤ん坊を抱きながら逡巡した。いつかのように少し目を離した隙に取り返しのつかない事が起こったらどうしよう? と疑心にかられて動きが鈍る。
「じゃあさ、オレの家じゃどうだ? グレイシアももうじき母親になるし、練習になっていいんじゃないのか?」とヒューズが提案した。
「でもグレイシアさん、お腹大きくて、ニーナの世話できる? 大変なんじゃないの?」
「今、グレイシアのお袋さんが家に来てるから、家の事は大丈夫だ。連絡先を知らせておけばホテルから連れ出してもかまわないだろう。何なら軍の人間を誰か家にやるし」
「軍の人間に赤ん坊の世話なんてできるのかよ」
「長い時間じゃなければ大丈夫さ。ロス少尉をうちに置いておこう」
「ロス少尉か。……なら大丈夫かな」
「……という訳だからオレはこっちに残って赤ん坊の事をやっとくから、オマエら二人でタッカーと夫人の行方を追え」
「判った。行くぞ、鋼の」
ロイに促され、エドワードはニーナをヒューズに手渡した。名残惜しいが今一番大事なのは母親の行方を探す事だ。
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