モラトリアム
第ニ幕


第三章

#28



 ヒューズが資料室なら鍵を掛けられるからと、二人を案内した。本が乱雑に数多積まれた狭い部屋に入ると、エドワードは誰か聞き耳を立てていないか気にするように扉をジッと窺い、話を切り出した。
「大佐。至急タッカーに会わなきゃいけない」
「何故だ? 急ぐ理由は?」
「ショウ・タッカーは人語を話すキメラを作り出すという事だが、タッカーは二流の錬金術師だ。そんな高度なものは作れない」
「君は確かそんな事を言っていたな。だが作れないのなら不合格になるだけだ。筆記が良くても実技の評価が低ければ落ちるだろう。反対に実技が良ければ筆記が悪くても受かる事があるが」
「タッカーは後者だぞ」とヒューズが口を挟んだ。
「ショウ・タッカーの筆記試験は不合格だったそうだ。だがグランのおっさんが捩じ込んで、実技試験に持ち込んだ」
「筆記が悪かったのなら駄目だろう」
「それがグラン准将の発言したネタが面白そうだから実物が見たいって、上層部が興味を示した」
「ネタとは……人語を話すキメラか」
「そうだ。人語を話すキメラだ。タッカーが作れるのなら見たいと上が言い出して、早速実技試験だ」
「そりゃ……確かにそんなモノができるなら見てみたいという気持ちは判るが、筆記試験すら受からない錬金術師に作れるのか? なんだか嘘くさいぞ」
「だがグランのおっさんが断言したんだぞ。わざわざ恥をかく為に、そんなでっちあげは言わないだろ」
「そうだな。……鋼のの意見は?」
 エドワードは本棚に背を預けて低く言った。
「人語を話すキメラを……作らせちゃいけない」
「何故? 人の言葉を話す動物は、合成獣の錬成をする錬金術師にとっては夢だ。それが作れるという事は、タッカーという男は実は優秀なのか?」
「優秀どころかタッカーの中味は二流だ。………聞け。もし……タッカーが人語を喋るキメラを造れなかったら?」
「できなかったら……どうにもならんな。試験が不合格になるだけだ」
「グラン准将が上層部に大見得切っておいて、今更どの面さげて『できませんでした』なんて言うと思うんだよ。何がなんでも造らせるに決まっているだろ」
 吐き捨てるようなエドワードの声に、ロイとヒューズはその荒んだ様子にらしくないと思った。
「作らせると言っても、できないものを無理に造り出す事は……」
「たった一つ…」エドワードがロイの言葉にかぶせるように言った。
「たった一つ、二流の錬金術師でも人語を話すキメラを造り出せる方法がある」
「それは何だ? 君は合成獣の研究もしていたのか?」
「してない」
「では何故そんな方法を知っている?」
 エドワードは喉を抑えた。再び過呼吸になるのを防ぐ為だ。今倒れている暇はない。
 息をあまり吸わないように掠れた声で言った。
「組み合わせる獣のうち…………片方が人の言葉を喋る事ができれば…………人語を話すキメラはできる」
「片方が元々人語を話せる動物? そんな動物いたか? インコとかオウムとかか? 他には……」
 思い出せないといったロイに、エドワードは消え入りそうな声を何とか出す。
「それは…………錬金術師の……いや…………人としての禁忌だ。絶対にやってはならない……悪魔の所業だ。タッカーは…………人倫を捨て…………人道を踏み外そうとしている」
 体を震わせるエドワードに、ロイはある事に思い当たり、まさかと思った。
 しかしそんな事は……ありえない。あってはならない。
「鋼の。…………そんな事をしたら国家錬金術師の資格どころか、刑務所行きだぞ」
 そんな事をする筈がないとロイは否定するが。
「錬金術師の守秘義務を…………説明したのはアンタだろ。……錬成法が他に漏れなければ…………軍は………タッカーを起用するだろう」
「おい! そんな事、鋼のの口から聞きたくないぞ。そんな不吉な事を言うんじゃない!」
「だって…………じゃあタッカーは……どうやって錬成を成功させるっていうんだ? アイツは筆記試験も通らない錬金術師なんだぞ。人語を話すキメラなんて、どんな動物をかけ合わせてもできるわけないんだ! だからタッカーは……」
 ロイの声というより自分の発する声を聞きたくないとばかりに、エドワードは耳を塞いだ。
 落ち着けと、ロイはエドワードの腕を掴む。
「鋼の。あまりに想像が突飛すぎる。第一そんな簡単に急に人間を用意できるか? 人語を話すという事は、自我があるという事だ。万が一その禁忌の錬金術で人語を話すキメラを造っても、会話ができるのだからタッカーのした事は全部バレてしまう。タッカーもそのくらい判るはずだ」
「タッカーは……そこまで考えていない。目の前に材料があり、チャンスがある。人道を踏み外した男に禁忌はない。道徳より知識欲が勝る科学者は沢山いる。タッカーがそうでないとどうして言える?」
「それはそうだが……。禁忌の一線を踏み出す学者は多いが……タッカーがそうだというのか?」
「間違いなく。思うようにならない研究にタッカーは追い詰められている。ギリギリまで決断しないと思うが……今のタッカーは後がない。あと一歩を踏み出すのなんて………とても簡単だ。心を消せばいい。良心を消せば呵責を感じる事なく望むものを得られる。多くの犯罪者がそうしてきたように。……タッカーを止めるんだ!」
 ギラギラした瞳のエドワードに、君こそ常軌を逸しているとロイは思ったが、言葉には一蹴できない説得力があった。
「止めるのはいいか、もし…もう作られた後だったら?」
「それは判らない。だが…作るとしたらセントラルに来てからだ。だからまだ作られてはいないかもしれない」
「何故そんな事が判る?」
「キメラに人の意志があるからだ」
「キメラの意志? そりゃ人の意識が残っていれば色々面倒が起こるかもしれないが……」
「理由はそんな事じゃない。まともに考えてみろよ。……もし人が動物とかけ合わされ人でない獣にされて……そんな事になって正気を保っていられると思うか? 自分がもう人間じゃないなんて! 元に戻れるのならともかく、一生そのままだと言われたら? 檻に入れられて、食事だってフォークやナイフを使うんじゃなく動物用のトレイに適当なエサを入れられて、排泄だって檻の中で人に見られながらするんだぞ。勿論服を着る事もなく、会話できるのは自分をそんな目に合わせた男だけ……。そんな事になったら復讐を考えるか……もしくは絶望して発狂するか、理性の残るうちに自殺すると思う。長い間側には置けない」
 人間がモルモット以下になると聞いて、ロイは絶句して狼狽えた。
 エドワードの言う事はにわかには信じられないが、嘘だと決めつけられない重みと、耳を塞ぎたくなるような絶望の響き込められていた。
 しかし信じてしまえばあまりの気分の悪さに嘔吐感が込み上げる。人の意識を保ったまま獣になり檻の中で見せ物になるなど、悪魔の所業だ。
「鋼のの言う事は判るが……簡単に材料となる人は攫ってこれないぞ。タッカーはホテルに寝泊まりしている。ホテルは人目があるから監禁には向いていない。タッカーは東部出身でセントラルに土地勘はないから、密かに人目のない部屋を借りて…という線は薄いだろう」
「人を攫うんじゃない」
「ではどうするというのだ?」
「それは……」
 言いかけたエドワードをヒューズが止める。冷静になれと間に入る。
「おいおい、お前さんら、随分ぶっそうな話をしてるが、それって人と獣を組み合わせて他の動物作っちまおうって事か? それって禁じられてるんだよなあ」
「勿論禁じられている。知られれば終身刑か銃殺刑だ」
「それをタッカーがやろうとしているっていうのか? んなバカな」
「私もそう思うが、鋼のはそう信じている。理屈では頷けなくもないが、話が突飛すぎて信憑性がない」
「だよなあ」
 信じたくないと大人二人はエドワードの発言に戸惑う。
 しかしロイはエドワードの見てきたかのような言葉を、心の何処かで疑いながら信じてしまった。
「だが………鋼のは嘘は言わない。それに嘘臭くて常識外れで突飛で信じ難い現実でもありえると知っている。年齢一桁の子供でまだオネショしてそうでとてもじゃないけれど錬金術師には見えなかったガキが、四年前国家資格を取った事がある。そのガキが言った。『ありえない、なんて事はありえない』と。九歳の子供が国家錬金術師になる現実があるなら、人体実験をするマッドサイエンティストがいてもおかしくない。全ての事柄には例外があり『もしかしたら』という隙間がある。突拍子がなくても可能性がある以上、調べてみた方がいい」
「随分エドを信用してんだな。いつのまにそんなに仲良くなったんだ?」
 エドワードの言を信じるロイにヒューズが言う。
「仲良くなどしてない。だが錬金術に関しては一目置いている。錬金術師としての意見なら聞く価値はある」
「そうか、だが調べている時間はないぞ。タッカーの実技試験は今日だ」
 サラリと言われた簡単な一言にロイはギョッとした。
「は? 今日? 何故? 予定では十日後の筈だ」
「一人しか受験者がいないのだから十日も間を空ける事はないと、上からのお達しだ。筆記試験が不合格なのに実技まで受けさせてやるのだから、これ以上手間かけさせんなって事だ」
「上層部め……。実技は今日の何時から行われる?」
「予定では午後六時だ。大総統も出席するというから、金魚のフンの他のお歴々も参加する。タッカーに会うなら今すぐにでないと厳しい」
「急がねばならないようだな。……ヒューズ。タッカーの泊まっているホテルは判るか?」
「チョイ待ち。今調べてくる。待ってろ」
 ヒューズが部屋を出た後、ロイは今にも倒れそうなエドワードに「大丈夫か?」と何度も聞いた。
 エドワードが今まで言いたがらない気持ちが判った。隠していたのはこの事か。本当なのだろうか。
 どうやって調べたのだろう。
 エドワードはタッカーと面識がないと言った。会った事もない人間の行動をエドワードが把握しているのは何故なのだろう。
 エドワードが調べた情報がどこまで正しいか判らないが、人間を使った人体実験など口に出すのも穢らわしい。人の尊厳を踏みにじり獣とかけわせてしまうなど、誰が考えついたものか。
 杞憂であればそれに越した事はない。
 だがエドワードの顔を見ていると、不吉な予感がどんどん膨れ上がってくる。
 もしエドワードの言った事が本当だったら?
 もしタッカーを止められず間に合わなかったら?
 もし……とIFを何度も繰り返したが、仮定は仮定でしかない。
「しっかりしろ。冷静さを失ったり、体調を崩したら置いて行くぞ」とロイはハッパを掛けたが、陰の濃いエドワードを見ていると疑いが真実に思えてくる。
 エドワードに引き摺られて、ロイまでが気持ちが不安定になってきそうだ。こんな時こそ冷静でいなければいけないのに。
 しかしエドワードはなぜタッカーのしようとしている事に気がついたのだろう?
 ロイは時計の針を気にしていたエドワードの気持ちが判った。ヒューズの帰りが遅い。
 無意識にポケットの発火布に手をやる。
 エドワードの言った言葉が全て正しくて悲劇に間に合わなかったら、私はどうするのだろう? …と、ロイは迷いながら自問自答した。