モラトリアム
第ニ幕


第三章

#25



「しかしいいのか? 本当に君の功績にしなくても。報告書はこれから作成するから、やはり鋼のの名前も足しておくか?」
「いらない。絶対にオレの名前を出すな。母さんやアルにとばっちりが及んだら困る。鋼の錬金術師がリゼンブール出身という事は、知っている奴は知っているんだから。裏の情報屋をナメるなよ」
 それだけは譲れないとエドワードはロイを睨む。大抵の情報は金で買える。特別なルートがあって一見様では知る事はできないがそれだけに確実で、エドワードは自分の情報が漏れるのを怖れていた。
 鎧の弟と旅をしてきた時は結構な無茶をしてきた。だがエドワードには弟以外の家族がいなかったので報復のしようがなかったのだろう。アルフォンスは強く報復の対象にはならなかった。なにせライフルやナイフで狙っても全身が鎧なのだ。
『こちらの世界』にきたエドワードがした事は、情報通になる事だった。自分の行動と身の安全の為には情報こそが武器になると気がつき、秘かにイーストシティを拠点に様々な人間から情報を買い集めていた。
 今回の銀行強盗の件が判ったのは情報屋からの情報ではない。エドワードは未来に起こるはずの事故や事件をできうる限り思い出し、記録しておいたのだ。銀行強盗の件は割合大きな事件だったので覚えていた。予め判ってる事なので、対処も難しくない。
「君の助言には助かったが、報告書の言い訳が面倒だな」
「でっちあげや言い訳は得意だろ?」
「まるで私がいい加減な性格みたいじゃないか」
「そうだろ」
「酷いな。こんなに真面目には働いているのに。君は私を誤解している」
「誤解じゃなくて理解しているだけだ」
「口が減らない」
 言いたい事はそんな事ではなかったが、ロイはどう問い質したらいいものか考えあぐねていた。
 今のエドワードはらしくなく明らかに落ち着きが無い。ここまで余裕のないエドワードは初めてだ。いつもの尊大さ不遜さが見えない。何かに怯えているように見えた。だが、エドワードは何に怯えているのだろう。ロイには見当もつかない。
 エドワードは夜が明け始めた車窓の外を見ていた。朝日が目に眩しい。
 だが浮かんだ表情は陰が濃い。憂いる内情はエドワードの精神を追い詰めている。精神の揺らぎが表に出ていた。いつものエドワードらしからぬ余裕の欠如。
「いい加減にしろ」とロイが言うと、何が? とエドワードは聞いた。
「今からそんな状態ではセントラルに着いた時に、中央司令部には連れて行けない。何かポカをやらかしそうだ。心の内を面に出すな。付け入られるぞ」
「んなことっ…! ………………オレ…………そんなに余裕無さそうに見えるか?」
「ああ。他の事を考える余裕なんか何処にもありません、という顔だ。考えているのはイーストシティの仕事や錬金術ではなくタッカーという男の事なんだろう?」
 エドワードは逡巡していたが、やがて「ああ……アンタの言うとおりだ」と言った。
「タッカーとはどういった人物だ? 君とはどういう関係だ」
「ショウ・タッカーは生体錬成を主に行う錬金術師だ。合成獣の研究をしている」
「ほう。どこで知り会った?」
「会った事はないから、向こうはオレを知らない」
「じゃあなぜ君はタッカーを知っているのだ?」
「………情報屋から色々情報を集めているうちに…な」
「何故タッカーを探していた?」
「探してなんかいないよ」
「探していただろう」
「探してない」
 頑に言ってエドワードは下を向いた。
 なぜ見え透いた嘘をつくのだろう。
「タッカーに会いに行く理由はなんだ?」
「生体錬成の研究をオレも齧っている。参考になればと思って……」
「タッカーはまだ国家錬金術師にもなっていない錬金術師だぞ。四年前から国家錬金術師として働いている君の参考になるような情報を持っているのか?」
「ないなら……それでもいい。ただ、一度会って話したい」
「本当の理由は……聞いても教えてはくれないのだろう?」
 ロイの言葉に苦渋を浮かべるエドワードの様子に、苛めているような気分になってくる。
 エドワードはしきりに時計を気にしているが、列車は予定時刻を運行している。もうすぐセントラルに着くだろう。
「……なぜそんなに急いでセントラルに行きたいのだ?」
「別に急いでなんか……」
「ない、と言うならそんなに時間を気にするのは止めなさい。列車は正午に到着予定だ」
「正午……。司令部に行けるのは午後か……」
「タッカーの国家錬金術師筆記試験は昨日だ。それに合格したら十日後に実技試験が始まる。私は十日もセントラルにいられないから、筆記試験の結果を聞いたら帰るぞ」
「うん……。判った」
「鋼のは……タッカーと面会するのだろう?」
「アンタと一緒の時でいい。グラン准将に邪魔されるかもしれないから、そん時はフォローよろしく」
「何故グラン准将が邪魔をするんだ? 推薦者だからといってそこまで厳しくする事もないと思うが。それともグランが警戒しなければならないような事でもあるのか?」
 エドワードの肩が揺れた。
「ない……と思う」
 あるらしい。増々キナ臭い。
「ふうん? ……まあいい。それより君はハクロをどうやって動かしたのだ? 私を同行してセントラルを訪問など、ハクロがよく君の言う事を聞いたな」
「……ハクロ少将は大佐の事も嫌いだけど、グラン准将の事も嫌っている。グラン准将の推薦する国家錬金術師に問題有りかもしれないと囁いたら、確証のない事だから本人は動かないけれど、あっさりセントラル訪問を許可した」
「問題有りとは? どういう根拠があってそんな事を言った?」
「情報を集めていて…………推論して、もしかしたら、と思った。……けど間違いだったら、いらない疑惑を持った事になる。だから今回の訪問はあくまで国家錬金術師試験の見学って事になってる」
「なるほど。君が何を問題にしているのかさっぱり判らないが、ハクロの狙いは判った。グラン准将の推薦した錬金術師に問題があればグランの失点になる。それをハクロの指示だという事にすればハクロの手柄だ。鋼のの疑惑が杞憂なら、私や君を動かしても表向きは視察なので何の問題もない。保身だけは堅い男だからな。……しかしハクロはよくそれだけの情報で君の言う事を聞いたな」
「難しい事じゃない。ハクロ少将の前で言おうか言うまいか迷う素振りをして、我慢できずに進言しましたという雰囲気で、実は……と切り出せばいい。後はグラン准将を怒らせたくはないから下手な事は言えないけれど、不正が行われているかもしれない…と囁けばいい。……ハクロ将軍はお忙しいでしょうから、誰が一緒に行ってくれる人をお願いします。確かイーストシティのマスタング大佐も国家錬金術師でしたっけ。あ…でも今東方司令部はとても忙しいみたいですから、駄目ですよね。……なーんて言ったら、大佐を困らせたいハクロ少将は快く大佐に連絡してくれた。……扱い易い人で助かる」
 ロイは呻いた。
 子供に扱われるとは迂闊というよりバカである。エドワードが狡猾なのか。
「君はそうしてハクロや私を動かしてまで、何がしたいんだ? 忙しい私を連れて何をさせたい?」
 エドワードは躊躇い、考える様子で揺れていたが結局答えなかった。
「鋼の。……人に協力を頼みたい時は理由を挙げろ。そうでなければ協力できん。私が君を信用できないのはそういうところだ」
 言われてエドワードは口を開きかけ、両の拳を膝の上でグッと握り締めた。
「タッカーは…………良くない噂がある」
「良くない噂?」
「タッカーは生体錬成を研究している。合成獣を作っている。だが……」
「だが? その男に何がある?」
「タッカーにはキメラを造り出す能力はある。だが……それだけだ。国家錬金術師になるだけの器量はない」
「実力がなければ国家錬金術師にはなれんだろう。不合格になるだけだ。それが?」
「だが、ズルをすればなれる」
「ズル? 不正という事か? 例えばどんな?」
 エドワードは一度立ってドアを開け、扉の外に人がいないか確認をとった。
「随分用心深いな。人に聞かれては困る話なのか?」
 エドワードは声を出さずに頷いた。