モラトリアム
第ニ幕


第三章

#24
◇エドワードの苦悩◇
『タッカー事件』




 バスク・グラン准将は軍人であり国家錬金術師でもある。だから部下や一般から錬金術師を推薦するのはごく当然の事であった。

 ロイ・マスタングは上がってきた資料を見ながら思案していた。普段なら国家錬金術師の推薦など気にもしない。だがエドワードがイーストシティに来てから自然と気にかけるようになった。
 エドワードはロイに国家錬金術師の受験者を知りたいと言った。
 何故ハクロ少将に頼まないのかと聞いたら、すぐそばに大佐がいるのにわざわざニューオプティンのハクロ少将の手を煩わせるのは心苦しい、との返答だった。
 じゃあ私はいいのか? と思ったが目くじら立てるのも大人気ないと思ったので、頷いた。
 知りたがる理由を問い質したら『これから、未だ見た事も聞いた事もない錬金術を扱う者が出てくるかもしれないと期待しています。野に埋もれている有能な錬金術師は沢山います。もしかしたらオレの研究の参考になるような、同じ研究をしている者がいるかもしれないと思ったからです』と建て前丸判りの返答が帰ってきて嘘付けと思ったが、大した手間ではないし、そのくらい理由がなくてもまあいいだろうと、請負った。
 去年はエドワードのメガネに適う人物はいなかったようだ。
 エドワードはもう一言付け加えていた。
『グラン准将が、もし国家錬金術師を推薦する事があったら、知らせて欲しい。……内密に、でも絶対に。必ず!』
 エドワードの顔は真剣そのもので、ロイはそれにも同意した。
 明確な理由も聞かずエドワードの言う事を聞いているロイの事をどう思っているのかは知らないが、後見人のハクロよりロイを信用しているのは本当らしい。根拠のない信頼は気持ちが悪いだけだが、エドワードなりの根拠があっての事らしいから、ロイも正確な理由が判るまでその件は保留にして動いている。
「ショウ・タッカーか……」
 エドワードは資料を見て顔を凍らせていた。それがエドワードが探していた錬金術師らしい。
 だが待ち望んでいた割には顔にあったのは怒りと焦りだ。
 「知り合いか?」と聞くと否定されたので、見ず知らずの他人らしい。
 そんな相手にこだわる理由は何だろう。このタッカーという人物は天才少年がこだわるほどの錬金術師なのだろうか。
 その後、エドワードはハクロ少将に、グラン准将推薦の錬金術師に会わせてもらえないかと頼みに行ったらしい。だがハクロ少将は忙しくて一介の錬金術師の願いを後回しにした。
 だからロイにお鉢が廻ってきたというわけだ。
 電話一本でエドワード・エルリックに同行してセントラルに行ってこいとハクロ少将に言われた時には、本気で電話口で相手を灼き殺す方法はないものかと思った。暇だったらそんな事は思わない。しかしその時の忙しさときたら、一週間風呂に入っていないくらいなのだ。残業どころか家に帰る事すらままならない。司令部に連泊で、とてもじゃないけれどセントラルに出張している時間などとれなかった。
 エドワードがどんな話をしたのかは知らないが、用心深いハクロを動かしたくらいだから、それなりの説得力があったのだろう。
 ニューオプティンから帰ってきたエドワードを睨んだのはロイだけではなかったのだが、エドワードはチラリと司令部の惨状を見ると手伝ってやるからと言って、あと一週間はかかるだろうと思われた仕事を二日半完徹で終らせて、中尉に「後は宜しく」と頭を下げ、フラフラになったロイを引き摺ってセントラル行きの列車に乗り込んだ。
 エドワードの手腕に唸りっぱなしだったホークアイ中尉以下の部下達はまだ残る仕事を仕方がないと諦め、小さな錬金術師に手を振って快く追い出してくれた。
 エドワードは優秀だった。
 連続強盗事件、銀行襲撃、テロか事故か判らない爆発事件、毎日来る脅迫状……今月に入ってまとめて起こった事件は通常の倍以上あった。
 一つが終らないうちに次の仕事が来て、人員も足りず一向に事件は解決せず市民は怒り、怒りの鉾先を向けられた軍は犯罪者達と何も判っていない市民達に苛立った。
 険悪になった空気が更に事態を悪くしていると判っていても、どうする事もできなかった。事件が解決すれば淀んだ空気に一気に風が通ると判っていても、次から次へと起こる事件に憲兵も兵もその場の対応に追われ、それ以上どうしようもなかった。
 そんな時にエドワードがハクロ少将を通してロイを動かそうとしたのだから、友好的でいられるわけがない。
 エドワードは険悪な司令室に顔を覗かせホークアイ中尉にペコリと頭を下げると、二日で終らせるから状況を説明して、と言った。
 二日で終るなんてハボックが禁煙を誓うより無理があると子供の気楽さをバカにしたが、ハボックは禁煙しなかったが仕事は終った。
 全部はさすがに無理だったが、あとは捕まえた犯罪者達を締め上げて裏をとって報告書を書くだけにはなった。その報告書がクセ物なのだが、事件の見通しがつくとつかないでは気持ちの持ちようが違う。現場の兵にとっては犯人が捕まれば(その後の細々した事後処理とまとめがあるが)半ば仕事が終った気持ちになれる。
 エドワードは連続強盗事件を起こした犯人が隠れている場所を探りあて、銀行強盗が次に狙う銀行の当たりをつけ、爆発を起こしたのはパン屋で炭塵爆発の事故という結論を導き出し、届いた脅迫状全部に目を通し悪戯か脅しか本気かで分類した。一週間かかっても終らないはずの仕事が二日で終った。
 あとは任せていいですか? とホークアイ中尉を伺い、中尉が頷くと、すぐさま仕事に振りまわされてヘトヘトになった部下達の目の前から颯爽と消えた。
 風呂に入っていないロイは寝不足の隈と疲労と無精髭と汗臭さでかなりしょっぱくなっていたが、中尉の指示で部下に両腕を抱えられ、車に乗せられ、汽車まで引き摺られ、一等車に座り込んだ途端、眠るというより意識を失った。
 十五時間後、一等車特別貴賓室の柔らかい椅子の上で目を覚ましたロイは(普段はそんな高級な席は取らないが、ロイが倒れる事を見越してホークアイ中尉が裏から手を廻し特別室を用意させた)目を爛々と輝かせ椅子に膝を抱え小さく丸まるエドワードの、余裕の無さに驚いた。
 固まった体をバキバキと伸ばし、ロイは大きな欠伸をした。長時間眠ったので思考はクリアになっていたが、同じ姿勢で眠っていたので体の節々が痛んだ。風呂に入って酒でも飲みたいなと思った。改めて車両の豪華さに驚き、ホークアイの気遣いに感謝した。代金は裏金でこっそり支払われるのだろう。
 セントラルにロイが行ったら上層部は驚くだろう。イーストシティの惨状はセントラルにも届いている。毎日忙しく電話を受ける時間も惜しいというのに、まだ解決しないのかと上からクレームが再三きていた。
 セントラルに行き、こんな所に来ている余裕がよくあるなと嫌味を言うジジイ共に、事件はあらかた解決しましたと言ったら胸がすくだろう。その時の事を思って一人ニヤリと笑う。
「君がハクロ少将を使って私を動かしたと知った時には本気で殺意を覚えたが、今は感謝しているくらいだ」
「あ…………ああ。……そう、……悪いな、つき合わせて」
 エドワードは言葉のキレが悪いというより、考え事をしていて自分の世界に入っているように気もそぞろな様子だ。
「……忙しかったからな。君も疲れただろう」
「いや……。オレが手伝ったのは短期間だし、大佐に比べりゃなんでもない。大佐こそ大丈夫かよ。今にもぶっ倒れそうな顔色だったぜ」
「こんなに眠ったのは久しぶりだ。汽車ではなくベッドで手足を伸ばしたいが仕方が無い。気分は悪くない」
「そう……良かった」
 歯切れが悪いというより、怯えているようにも見えた。
 だがエドワードが恐れる理由などないし、これから行く場所は馴染みのあるセントラルだ。エドワードも二年前までいた場所で、する事といえば国家錬金術師の受験に立ち会うだけだ。大した仕事ではないし緊張する理由はない。
「鋼の。ショウ・タッカーという錬金術師を知っているんだな。どんな錬金術師だ?」
「……知らない。タッカーなんて聞いた事ない」
 青白い顔をしたエドワードの嘘は見え透いていたが、頑な子供に真実を吐かせるのは容易ではない。今回の鮮やかすぎる仕事の処理能力といい、エドワードには判らない事だらけだ。
 ジッと見ているロイにエドワードは鬱陶しそうに「なんだよ?」と言った。ロイが余計な事を聞かないか警戒しているようにも見える。
「……いや。……よくあの銀行強盗の次の襲撃先が判ったなと思って」
「……ああ」
 イーストシティのあちこちでポツポツと発生した銀行襲撃は、小さめの銀行をターゲットにし成功していた。多くを狙わず短時間で仕事を終らせ、軍が到着する前に逃走して尻尾も掴ませずロイの頭を痛ませていた。
 場所も西へ東へ南へ北へ法則がなく、兵を配置しようにも広範囲すぎて使える人数にも限りがあった。結局銀行側に用心を求めるしかなく、市民からは軍の無能を責められ耳も頭も痛かった。
 銀行強盗が成功する要因の一つとして揺動作戦があった。時限式爆弾を病院や鉄道に仕掛けたと脅迫状が届き、じっさいに爆発が起こり軍が出動した合間を縫って、銀行強盗が起こるのだ。軍は出動が遅れ、結果犯人を取り逃がしていた。
 エドワードは次に襲撃される銀行に目星をつけ、見事犯人達を検挙した。
 なぜ襲撃される場所が判ったのかと聞けば『情報収集の結果』という事だが、エドワードが犯罪者の裏情報に詳しい事自体おかしな事だ。
 正しい情報を持ち的確な指示を与えながらも、エドワードは犯人検挙の際には表
に出なかった。ロイに情報を与え、どうしたらいいか進言するだけだった。
 エドワードは、手柄はいらないからオレの名前が出ないようにして欲しいと言った。
 エドワードには家族がいる。犯罪者達の恨みを買い、報復が家族に向かっては困る、というのが理由だ。
 そう言われてみればそうだ。軍内部の情報は隠されているが、秘密は絶対ではない。家族を巻き込まないという保証は何処にも無い。逮捕された犯罪者の仲間が逮捕した兵士に報復するという事は、公にはされないがたまにあった。
 賢いエドワードは名を売る事より安全を選んだ。
 しかし銀行を襲撃した者達も驚いたと思う。押し入った銀行の職員どころか客と思われた者まで全員が軍人の変装だったのだから。
 もしエドワードの情報がガセだったらロイは恥をかき上層部には無能と叩かれただろうが、策は功をそうし事件は短時間でカタがついた。
 エドワードを信じたロイの一人勝ちだ。
 エドワードが名前を出すなと言ったので、手柄はまるまるロイのものになる。