第二章
チビと言われても以前ほどキレなくなったエドワードだ。機械鎧をつけていないから身体に無理が掛らず、前より背が伸びている。確かに年齢にしては小さい方だが、それでも以前より五センチほど高いので御満悦だった。
「兄さん、背が伸びたんだ。……視線が変わらないから気が付かなかった」
弟にまで素で驚かれ、エドワードはヘコむ。
「お前も伸びたからだろ。……くそう、見てろよ。いつかアルを追い抜かすんだからな」
ビシッと指を立てるエドワードにハボックが「弟の方が高いのか……」と余計な一言を言った。
エドワードの額にシワが増えた。
「……ハボック少尉……」
「なんだ、エド」
「副流煙が成長の妨げになるって知ってる? 上官命令! これからはオレの前じゃ禁煙!」
「んな殺生な!」
ギョッとなるハボック。
だが機嫌を損ねたエドワードは冷たく「成長過程の子供の前じゃ、当然の気遣いだろ。なんなら中尉にお願いして仕事場を禁煙にしてもらおうか? タバコの煙は女性の肌にも悪いんだぞ」と言った。
「大将ー、禁煙になんかされたら気が狂う。タバコはオレにとっちゃ生きる糧なんだぞ」
「じゃあ狂え。……タバコに酒に女、少尉には生きる糧が沢山あっていいな。そんなにあるなら一つくらい減っても大丈夫だろ」
「大丈夫じゃない。頼むよ……」
酒と女があれば充分だと、エドワードは冷たい。
その全部に興味のないエドワードは喫煙者を諸悪の根源のような目で見た。
「知っているか? 喫煙しているよりその周りにいる人間の方がより汚染度が高いって。直接吸引より吐き出した煙の方が毒素が強いんだよ。ハボック少尉は弟や妹の前じゃ吸わないんだろ?」
そう言われてしまうと返事のしようのないハボックだった。
本気で暗くなるハボックの背をバンッと叩く。
「別にオレの前で吸わなきゃいいよ。子供の前で吸わない気遣いくらいは常識だろ」
「大将…………ううう……」
「そんな顔しても駄目。オレは今度こそ背を伸ばすんだから」
「今度って?」
「何でもない。言葉のアヤだ。……それにタバコ吸うと肺活量が落ちるだろ」
「それがそうでもないんだよな。体力だけならバッチリだぜ」
「そうだな。ハボックは体力だけなら人一倍だ」
何故かロイがニヤリと笑ってフォローする。
「鋼の。喫煙くらい許してやりなさい。ハボックの人生の糧はそれしかないのだから。酒はともかく、女は……フッ…………可哀想すぎてその続きは言えないな」
「ヒ、ヒッデー! 酷いっスよ。そのセリフはあんまりっス。確かに今カノジョはいませんが、そのうち可愛い恋人ができる予定なんですから不吉な事言わんで下さい」
「希望を持つのは勝手だが、高望みすれば後悔するだけだぞ。傷を小さくする為にも今から諦めた方が無難というものだ」
「誰が諦めるもんですか。ぜってー可愛いカノジョをつくりますったら。……大佐があちこちに周波を送らなきゃ、もうちっと若い者にも春が来るんですよ。ちょっとは自粛して下さいよ。女は本命一人いれば充分でしょ」
「しかし私には本命がいない。だとすれば誰が本命になるか判らないのだから、判るまでじっくり見極める事にしようか」
「ギャーッ! そう言ってアチコチの花を手折るのはやめて下さい。花屋の彼女も看護婦のお姉さんもみんな纏めて持っていきやがって。大して好きでもないなら適当に付き合わんで下さいよ」
「向こうから声を掛けてくるのだ。女性に恥をかかせるわけにはいかないだろう」
「ヒデエ。自慢してやがる。あからさまに自慢してる」
「モテる男の方に女が寄って来るのは当然だろう。モテない男が何を言っても僻みにしかならんよ」
「どうして女はこんな性格悪い男がいいんだろう。確かに出世してるけどオレの方が背が高いし、いい男だと思うんだけど」
「女性はよりよい子孫を残す為に本能的に優秀な遺伝子を持つ方に惹かれるのさ」
フッと気障に笑ったロイは「そういう事だから」とエドワードを振り返った。
「哀れなハボックから生きる糧を奪うのは偲びないだろう。タバコくらい許してやれ」
「まあ……そうだな。せめてタバコくらいはなあ……」
本気で同情する子供に、ハボックはより落ち込んだ。なまじ悪意がないだけ胸に堪える。
「ハボック少尉はさ……いい人だしモテないわけじゃないと思うけど」
エドワードのフォローにハボックは、慰めなんかいらない、いい人っていうのはフラレ文句の定番なんだよ……と肩を落とした。
「慰めじゃなくて……女の人はちゃんと真剣にハボック少尉に向き合っていると思うな。だから本気じゃない男とは付き合えないんだよ。フラレる原因は絶対ハボック少尉の側にあると思う」
背中から聞こえた声が割合い真剣で、ハボックはおや? と思った。
「オレはいつでも本気だぞ」
「本当に?」とエドワードはまるで信じていない目だ。
「ハボック少尉はさ。もし仕事か女かって選べって言われたら、仕事を取るだろ」
「そんなの……比べる事じゃない。デートより仕事を優先するのは仕方ないだろ」
「判ってるよ。でも仕事を優先して恋人を後回しにしても、フラれない男だっている。ハボック少尉は仕事が忙しくて女性を放ったらかしにして、フラれても、どこか心の中でまたか、って思ってるだろ。ほったらかしにしたからフラれても仕方がないって。少尉は本当にその人の事が好きだったのか? 本気で好きなら一度くらいフラれても引き下がらない。そんな風に簡単に諦められるんなら、その程度しか好きじゃないんだよ。女の人はちゃんとそれが判るから、離れていくんだと思う」
含蓄深い言葉である。
「……じゃあ大佐は? あの人はとっかえひっかえだぞ」
「大佐に付き合う女の人はいいんだよ。みんな片思いだって知ってるから」
「何だよそれ。タラシの方がマシって事か?」
「だから、大佐に寄って来る女の人は初めっから片思いだって諦めてるんだよ。でも好きだからチャンスがあれば望みをかけて頑張るんだ。女性の側の一方的な片思いだから、大佐が複数の女性と付き合っても当然で、恋人じゃないから文句を言う筋合いもない。大佐は誰も好きじゃないんだ。特定の人を作らない。だから女の人達は妥協してるんだ。大佐はモテてるけど本当は誰とも付き合っていない。でもハボック少尉はちゃんと互いに好き合ってつき合ってたんだろ? 女の人はハボック少尉が好きだけど、少尉の方じゃいずれ壊れるかもしれないってどこか諦めてて、だから放っておかれた女の人も諦めちゃうんだと思うよ。誠実さが足りないのはハボック少尉の方だよ」
グウの音も出なかった。エドワードの言っている事は正しい。
ハボックは恋人に対して誠実であると信じていたが、心の中では裏切っていた。女性といると楽しかったし心がフワフワと浮き立った。だが心底愛していると聞かれればイエスとは言えなかった。
エドワード曰く、ロイ・マスタングは女性に心を求めないので不誠実ではなく、ハボックは心を求めているのに自分はそうしないので不誠実だ、という事らしい。
「……と言っても、女ったらしの野郎なんか最低だとは思うけど。ヒューズ中佐の所みたいに、たった一人に対して誠実であればいいんだ。だからどっちも恋人作る資格なし」
子供は年相応の潔癖さで穢れた大人に一線を引く。
「私の場合は仕方がないだろう。次から次へと女性の方から声を掛けてくるのだ。…………しかし、まさか君のような子供からそんなセリフを聞くとは思わなかったぞ。本当に君は十三歳か? 子供の皮の中に大人が入っているんじゃないのか?」
ロイの驚嘆にハボックも同意見だった。
聡明というだけでは理由にならない心の機敏を悟る力をエドワードは持っている。たかが十三歳の持つ見解ではなかった。
「子供だと思って甘く見るなよ。恋も愛も……大人だけのものじゃない。十三歳でも二十三歳でも、相手を想う心が一度根付けばそれは一生なんだ。早いか遅いかで事の真偽の是非にするな。真実っていうのは……年には関係ない」
またも子供らしからぬ事を言われて大人達は戸惑う。エドワードを子供と侮れないのは中味が一部突出し老成しているからだ。
「鋼のは本当の恋を知っているとでも言うのか?」
「知っている」
「……えっ……」
「……と言ったらどうする?」
「どう……って」
「他人の恋愛なんか放っとけよ。それよりちょっとは自粛してそろそろ本気になれる相手を見つれば? ヒューズ中佐にも心配されているんだろ?」
会う度にそろそろいい人見つけろよ、と親友が言うのはありきたりの挨拶ではなく、ロイの空虚を埋める相手がいればいいとの気遣いだ。
それを正確に言い当てるエドワードはイヤな奴だが、それは言われたくない事を言われているからだ。年齢もあるだろうが、基本エドワードの恋愛観は誠実だ。
車に乗り込んだ四人は、なんとなく白けた空気を誤魔化すようにたわい無い話に興じた。
司令部に着いて降りた車の陰でアルフォンスが言った。
「兄さんて……やっぱり判りません。頭を打ってどうにかしちゃったみたい」
同感だと、ロイは思った。
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