第二章
そういうロイから見ればガキのエドワードなど取るに足らない存在なのだが、どうしてか目を惹いて気になる。
「ああ、そうだ」とロイは思い出した。
「今年の国家錬金術師受験者のリストはまだ全部手に入らないが、鋼のの言った通り、グラン准将の推薦で国家錬金術師試験が行われる事になったぞ」
「……本当? だ、誰が受験するんだ?」
「名前は覚えてないな。資料を見れば判る。資料は司令部にある。後で取りに来なさい」
エドワードは別人のように顔を引き締めた。
「今日これから一緒に行く」
「だが今日は弟が折角田舎から出てきたんだろう。ゆっくりすればいい。司令部には後で来なさい」
「いや今日行く。後じゃ……駄目だ。間に合わなくなるかもしれない。これから行くよ」
「間に合わなくなるって何がだ? グラン准将の推薦した錬金術師に何か問題があるのか? そいつは鋼のの知り合いか?」
ロイの問いかけにエドワードは考え込むように目を伏せた。
「……グラン准将推薦の錬金術師に会いたい……。詳しい事が知りたい」
「鋼の? 今日は君の誕生日だ。帰ってゆっくりしなさい。弟がいる間くらい錬金術の事は忘れろ。普段真面目な君が休息しても誰も非難しないよ」
「そんなんじゃない。オレは……」
言いたい事があるが言うには憚られると言った態度に、ロイは何かあるのかと勘ぐった。
「君のする事はたまに判らない事があるが、君なりにちゃんと道理があるんだろう? 直接の後見人でない私では相談できないか?」
「いや…………そうか。大佐には協力を仰がなくちゃならないから…………でもハクロ少将の方がいいか。……だけどあの人腰が重いしな。…………理由を説明するのも…………」
「何を訳の判らない事をブツブツ言っているのだ。君が何を考えているのかちゃんと言え。何か気になる事でもあるのか?」
「…………とりあえずはその資料を見てから説明する。中味を見ないうちは詳しい事は言えない。……もしかしたらオレの勘違いかもしれないし」
そうだといいけれど、という風にエドワードは言葉を窄めた。
「じゃあ後で説明しろ」
ショウ・タッカーをエドワードは探していた。現時点で彼はまだ国家錬金術師になっておらず、一介の錬金術師にすぎない。
本来の歴史なら、エドワードが十三歳になった年にショウ・タッカーは国家錬金術師になっている。
エドワードはロイに、国家錬金術師受験申請者のリストを見せてくれるように頼んであった。国家錬金術師の受験は、エドワードがしたように上層部の誰かの推薦を受けて突発的に行われる事もあるので、そういった情報も欲しいと頼んだ。
ロイはエドワードの申し出を不審に思っていたが、理由も聞かず忙しい合間をぬって願いを叶えてやった。子供の戯れ言には思えない真剣さと無駄な事はしないエドワードの性情を鑑みてだ。いずれ全部吐かせてやると思いながら。
「まさか…………もう…………間に合えばいいけど…………ニーナ…………タッカー…………本当に……」
エドワードは自分の世界に入り込んだようで、ブツブツと細切れに判らない事を言っている。
錬金術師達は自分の世界を持っているが、エドワードのそれはとびきり謎に満ちている。
内心を吐かせたい気持ちを抑えてロイは物わかりの良い上官を装った。
「じゃあ…………そろそろ司令部に帰ろうぜ。ホークアイ中尉も待ってるだろ」
エドワードに言われてロイの顔が引き攣る。叱られるのは判っているが、忘れていたかったのも本当だ。
サボり癖のある上司を演じているうちに、本当にそれが身体に染み付いてしまうとは思わなかった。アルフォンスに語ったように、仕事はエンドレスで切れ間がない。息抜きしなければ頭がおかしくなってしまいそうだ。
しかしその理屈は中尉には通じない。
「……中尉に殺される……」
ロイは呻いた。
「大丈夫だ。仕事が終らない限り殺されない。仕事が終った後は知らないけど」
「冷たい言いぐさだな鋼の。私は多忙な中、君に便宜をはかってやったというのに」
「それは感謝している。借りは必ず返す。等価交換だからな」
「じゃあ君の秘密を教えろ」
「秘密なんかない」
「じゃあ何故錬成陣なしの錬金術が使える?」
エドワードは嘆息して応えた。
「この世の理のひとかけらを見たから」
「この世の理とは何だ?」
「世界の全て。歴史と生と死……すなわち世界。けれど誰もが見られるわけじゃない」
「なら誰なら見られるんだ?」
「罪人。己を過信した愚か者への罰と共に世界は情報を与える」
「またもそういう意味の判らない事を言う。……なぜ罰と共に情報を与えるのだ? 誰が与えるというんだ? 判るように話せ」
「世界。己であり全てであり一つのもの。情報は等価交換だ。失った代償の分だけ見る事ができる」
「君は何かを失ったのか?」
「沢山の物を失った。……そして今は得ている。だけど一番大事な物が欠けているので常に満たされない。もう一度門を開く勇気がオレにはない」
禅問答のような抽象さにロイは額に手を触れた。こんな十三歳イヤだと思った。
口先だけのガキなら始めから相手にしないのだが、ロイの勘がエドワードから目を離すな声を聞き逃すなと言う。訳が判らない。
「本当に訳が判らないな。……まあいい。問答している時間はない。帰るぞ」
ロイが全員の分の精算を済ませると、アルフォンスが気を遣うように兄にこっそり言った。
「ボク達の分はお金を払わなくてもいいの? 初対面の人に御馳走になるなんて失礼だよ。ボクお母さんからお金を沢山貰ってきたんだ」
「いいんだよ、アルフォンス。子供は遠慮しないものだ」
声が聞こえたロイは安心させるようにそう言った。
「すいません。御馳走になります」
アルフォンスはペコリと頭を下げた。
「そうだぞ。アルには初対面でもオレは違うんだし。それにこういう場面で子供が財布を出したら大人が恥をかくんだ。大佐はガッチリ稼いでいるからオレ達に奢ったくらいじゃ何ともないさ。いっつも女の人に御馳走してるし。…つーかむしろたまには部下にも奢れって感じ?」
「………君はたまには遠慮したまえ。弟の殊勝さを見習え。……というか君こそ私にまけず劣らずがっちり稼いでいるじゃないか」
国家錬金術師に支給される研究費用は飛び抜けている。
「家族持ちは違うんだよ。大佐は独身だろ」
「君も独身だろうが……」
何が家族持ちだと思ったが、エルリック家は父親が消息不明の母子家庭である。エドワードが家に送金しているのを知っているロイは反論の声が小さくなる。
「兄さん、御馳走してもらったのに何その言い方。失礼だよ。……すいません、兄が失礼な事を言いました」
代わりに謝るアルフォンスにエドワードは面白くない顔をする。
「いいんだよ。大佐とはいつもこんな感じなんだから」
「いつもこうなの?」
アルフォンスの声が尖る。可愛い顏が厳しくなってエドワードは増々面白くない。
「兄さん、兄さんが失礼な事をするとお母さんまで悪く言われるんだよ。兄さんは子供なんだし、無礼な態度をとると、親はどんな育て方してるんだって言われるって判ってる? 兄さん一人暮らしなんかしてるから我侭になるんだよ」
遠慮のない批判にエドワードはしょんぼりする。弟の言い分は正しい。エドワードの所業は全て保護者に直結するのだ。大人ならともかく、エドワードのような子供の教育は親の責任である。
「モウシワケアリマセン。無礼ヲ申シマシタ。ドウカオ赦シ下サイ」
見事な棒読みセリフにロイは苦笑する。
エドワードの態度にいちいち目くじらを立てていては、本音など聞きだせない。
エドワードは他の上官達の前では殊勝で可愛コぶっているのを知っている。だがロイに限っては本音を曝け出しているようだ。態度を改めさせれば仮面の顔しか見えなくなるのが惜しくて、ロイはエドワードの無礼を赦している。
「アルフォンス。私はいいんだよ。寛容な上官だし。お母さまの教育を疑ったりはしない。君を見ているとどれだけまっとうに育てられたか判るというものだ。鋼のの性格は生まれつきなのだから仕方がない。鋼のは外側と同じく、中味も成長が伸びなやんでいるのだと諦めている」
「誰が栄養が脳にだけいっちまった豆チビだって? これでも身長は伸びてるんだぞ」
「……相変わらず身長に関してはボキャブラリー豊かだな。……身長、伸びてるのか?」
「本気で疑ったな、このヤロウ。これでも前よりは伸びてるんだよ!」
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