第二章
エドワードは正気のまま狂っているようだった。
歪みなど欠片も見せなくても、内から壊れて行くような印象をエドワードは与えていた。
「……兄さん。兄さんの言ってる事、難しくて全然判らないんだけど。まるでこじつけばっかりいって中味が全然ない二流哲学者みたい。なんでそんな風に言うの?」
アルフォンスが口をへの字に曲げて聞くので、エドワードはニヤリと笑った。
「知ってるか? 人間っていうのは人間らしさを削ってみせればみせるほど、畏怖を受ける生き物なんだぜ。そして難解な事をありがたがる。単純明解である事を望む癖に、そうして見せるとそれは幼いと勝手に烙印する。反対に装飾華美な単語を並べるだけで相手を優秀と勘違いする。オレが訳の判らない態度を取る事があっても、それは処世術だと思ってくれ」
えっへんと偉そうに講釈を述べるエドワードはガキ臭い笑顔をしていた。それは本当に子供にしか見えなかったので、ハボックは混乱した。
今さっきエドワードが見せた表情は何だったのか。
あれが子供のする表情か? 穏やかな波の下に苛烈な激流が流れているようだった。
アルフォンスはエドワードの言葉をそのまま受け止め、先ほど見せた顔を演技と思ったようだが、演技で出せる瞳の色ではなかった。
あれは怒りの色、自らの力のなさと理不尽さを嘆く辛酸を知っている人間の色だ。
そういえばエドワードは名前だけの錬金術師ではなかった。強大な力を持つ人間兵器なのだ。
力には責任が付き纏うというが、エドワードも責任を負っているのだろうか。
「兄さん。つまりそれは兄さんはへ理屈を言ってただけって事? 何かバカみたい」
アルフォンスが呆れる。
「オレがバカなんじゃなく、へ理屈を崇める阿呆な大人が多いのが現実なんだよ。そのバカが多い世界でいっぱしの顔をしてるには、バカに同調しなきゃなんないの。だからオレがおかしな言動してもバカになった訳じゃないからな」
「兄さん、軍でもその調子なの?」
「そうだが?」
「言っちゃ悪いけど、本当に……すっごいバカみたいなんだけど」
子供は容赦がない。
弟の一言に撃沈するエドワード。
「……バカみたいで悪かったな。オレはお前みたいに可愛い性格してないからこれでいいんだよ」
「可愛いって何さ。兄さんの方が可愛いのに」
「アルの方が可愛いに決っているだろ」
「ムキになんないでよ。ボクらまだ子供なんだから子供らしくていいんだよ。変な事いって大人ぶる兄さんってちょっと……キモチが悪いよ」
「うおっ。何だよ、気持ち悪いって。兄ちゃんショック。……アルが反抗期だ」
本気でしょげる兄に、アルフォンスはやっぱりエドワードはエドワードだと思った。
さっきロイと話していたエドワードはまるで知らない人に見えた。兄の皮を被った兄ではない生き物のようだった。
だがアルフォンスを見る目だけは、昔と変わらぬ優しい瞳だ。
だから余計に判らなくなる。さっきの兄と今のエドワード。どちらが本当なのだろうと。
「……兄さんは本当はどういう性格なの?」
「どういうって? 見たままだけど」
「判っている。けど見たままって言っても……見せてない顔もあるよね。それは兄さんが国家錬金術師になった頃に生まれた顔だ。ボクはその兄さんの顔を知らない。どうして兄さんはボクに隠し事をするようになったの?」
アルフォンスに言われてドキリとしたエドワードだった。国家錬金術師になった頃。つまりはこの世界のエドワードの精神が、未来からきたエドワードと融合した頃だ。
アルフォンスはちゃんと、兄がおかしくなったと気が付いていた。
九歳のエドワードと十五歳のエドワードは似て非なる存在だ。アルフォンスは違和感を感じていた。どこがおかしいとは具体的には言えないが、時折エドワードがエドワードではないように感じてしまうのだ。愛情を疑っているわけではない。兄の真摯さ、思いやりを嘘だと思ったわけではない。単なる直感だ。それは正鵠を射ていた。
アルフォンスは十三歳のエドワードではなく、十九歳のエドワードの素顔が見たいと言った。
だがそんな事ができるわけない。
エドワードは困ったと思い、そのままの笑顔でアルフォンスを見た。
「アルは鋭いなあ。……でもオレはオレだ。お前の兄のエドワード・エルリックだ。誰よりお前を愛している者だ。それだけは間違いがない」
「兄さん。でも……」
「オレがこんな性格だからお前には混乱させていると思うが、でもお前を想っている心にウソ偽りはないぞ。だからあんまり疑わないでくれよ。オレはオレでしかないんだから」
「そんな……疑うなんて。ただ兄さんが前みたいに何でも話してくれなくなったから判らないだけだ。前は何でも話してくれたのに、今の兄さんは殻に入ったカタツムリみたいに中味が見えない。頭のツノだけじゃなく、顔を全部見せてよ」
「アルフォンス……」
エドワードは増々困り、助けを求めるかのようにロイを見た。エドワードは弟に嘘を吐くのが辛い。
しかしエドワードの素顔を面白いと思ったロイはフォローを入れるどころか、増々困らせたいと言葉を次ぐ。
「鋼の。弟もそう言っている事だし、ここいら辺で本音を語ったらどうかね。建て前が大事なのはわかるが、君はオブラートに包んだ言動が多すぎる。今此処には我々しかいない。たまには胸襟を開いてもいいんじゃないか?」
女性曰く魅惑的、男性曰くわざとらしい笑みを浮かべたロイをエドワードは不機嫌に睨んだ。
「大佐。ワタクシはいつだって胸襟を開き軍の為に日夜努力し貢献してまいりましたが、ワタクシの忠義に何か御不満がおありならそうおっしゃって下さい。態度を改める努力を惜しむワタクシではございません」
「君ねえ。そのおもいっきりわざとらしい口調で努力を惜しまないも何もないだろう。なぜ弟君のように素直な顔が見せられんのかね」
しかし実年齢十九歳のエドワードはケッとロイを鼻で笑った。
「……これでも十分素顔なんだけどね。ガキらしいのが好みならそうしてやってもいいけど。そうしたらオレが付け入る隙を作るのを待っている、権謀術数権力大好き根拠のないプライドだけは一人前の最低豚野郎共の介入をあんたが阻止してくれるかい? これでも隙を作らないように用心深く行動してんだぞ。オレは大総統の覚え目出たいから下手には手を出されなかったけど、中央から目の届かないイーストシティじゃちょっかい出しても大丈夫なんじゃないかと勘違いするバカヤロウもいる。アンタだって普段からそういう気遣いしてるんだろ? 胸襟だの腹筋だのくだらない戯言言う暇があったら、能力ないくせに他人の足を引っ張るのだけは上手な狗共の始末を急げよ」
何とかしろと言われてもすぐには何とかできないから努力しているロイである。乱暴な言いぐさだが、エドワードの言っている事はすべて正しい。
「無茶を言うな。タヌキ達は老獪だし子ダヌキ達もなかなか尻尾を掴ませない。もうちょっと時間が必要だ」
「あんたがさっさと望みを叶えれば、軍にいても、もう少し呼吸がしやすくなるんだけどな。道が平坦でないのは判るが、頑張ってくれ」
「君に言われずとも」
ロイは思わずそう言った。
エドワードがロイの野望に気付いているような空気は感じていたが、あからさまに「望みを叶えろ」と言われたのは初めてだった。エドワードは当然の事を言っている風でそこには驕りも疑問も見えなかった。
いつもそうだ。エドワードはロイの心を見透かすような事を言う。
冗談や引っ掛けではなく、知っている事をごく当然のように話す……ようであるから、ロイはエドワードが苦手だった。
いつからエドワードはロイの望みを知っていたのだろう?
この子供は危険だ…と、ロイは改めて思った。
「初めから知ってたさ」
エドワードはいつものように答える。
強い確信の瞳。揺るがない鋼の色だ。苛烈な金色がロイの視線を跳ね返す。
「……初めとは……君が国家錬金術師になった時からと言うことか?」
「うんにゃ。まだ会う前だ。アンタがイシュヴァール戦争の英雄と言われた後か。何を見て何を感じたのかは知らないが、ソレがあんたに決意させたんだろう。オレは個人的には大佐が嫌いだけどその信念には賛同できる」
「だから信頼したとでも言うのか?」
「信頼?」
「アルフォンスに聞いた。君は何かあった時の保険に私の名前を挙げたそうじゃないか」
エドワードは思わず舌打ちしかけた。
「……アルフォンスが喋ったか。……まあ確かにそう言ったけど」
「何故だ?」
「理由を言わなきゃならない?」
エドワードは弟の頭を小突くフリをする。
「言わずとも良いが、私は君に協力する気も義務もない。君の後見人はハクロ将軍だろう」
「ハクロ将軍を信用できるわけないだろ。あれは典型的俗物軍人だ。判りやすすぎて笑えるくらいな。だからこそ扱い易いとも言うが」
「確かにハクロは典型的な俗物野郎だが、君の後見人だぞ」
「オレが望んでそうしたんじゃねえや。オレが初めに連絡取ったのはアンタだぞ」
やはりそうかとロイは思った。エドワードはロイを後見人にと考えていたのだ。
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