モラトリアム
第ニ幕


第二章

#18



「人の弟を伝書鳩にするよりオレに直接言えよ」
 突然エドワードが現れた。
「鋼の?」
「兄さん?」
「大将?」
 三人は驚く。
「何故此処に?」
 エドワードはいつのまにか三人の側にいた。ロイの問いかけに返事の代わりに肩を竦め、ウェイターに運んでもらった椅子に当然のように腰掛けた。
「アル、二ヶ月ぶりだな。元気にしてたか? 突然来るからビックリしたぞ」
 最近髪を伸ばしつつあるエドワードが弟を愛おしそうに見る。
「元気だよ。……兄さんこそ、風邪なんか引いてない? ちゃんとゴハン食べてる?」
「食べてるよ。風邪も引いてない。心配しなくても元気だよ」
「兄さん……会いたかった……」
「オレもだ」
 抱き合う兄弟を見ながら、ハボックとロイが「どうしてここにいるのが判った?」と聞いた。
「東方司令部に用があって顔を出したら、オレを訪ねて弟が来たと門番が教えてくれた。しかもマスタング大佐と一緒に車で同行したって事だから行き先をホークアイ中尉に聞いた」
「ち、中尉がこの場所を知ってるのかね?」
「いいや。中尉も詳しい行き先は知らないって言うから、大佐の彼女達によく行くデートスポットを教えてもらった。リストアップしたカフェやレストランで、車が停められるスペースのあるのはここしかないから、すぐに判った」
「それは……手数を掛けたな」
 自分の交遊関係がいつのまに知られていて、戦慄するロイだった。
「弟が世話を掛けました。マスタング大佐」
「……いいや。こちらも久しぶりに子供らしい子供と会話ができて楽しかったよ」
 イヤミを含んで言うもエドワードは気にせず「アルフォンスは性格が良いから、大抵の人間には好かれます」と弟自慢で流した。
 アルフォンスは兄を見ると顔全体で喜びを現わした。
「兄さん。ボク本当に会いたかったんだよ」
「オレもだ、アル。来るんなら電話をくれれば良かったのに。そうしたらすれ違わずに済んだのに」
「兄さんを驚かせたかったんだよ」
「母さんは元気か?」
「うん。元気。身体はもう何ともない。……でも父さんについで兄さんまでいなくなっちゃって、母さん寂しがってる。せめて自分の誕生日くらい帰ってきてよ」
「あ、そっか。誕生日か。……ゴメンな、寂しい思いをさせて。今日は誕生日か……。忘れてた。アルと母さんのは忘れないけど、自分のだと忘れちゃうんだよな」
 エドワードは今気が付いたと言った。
「全く兄さんたら……」
「お前一人で来たのか?」
「うん。だって母さん家を出るのはイヤだって。でも兄さんに会いたがっていたよ」
「母さんもあんなクソオヤジの事忘れてしまえばいいのに。女の純情につけこむ男は最低だな」
「父さんの事はいいよ。兄さんが帰ってきて前みたいに暮らしてくれれば母さんも安心できるのに」
「オレもあの最低クソオヤジと一緒か……。母さんに寂しい思いをさせている。親不孝者だな」
 エドワードは子供らしからぬ憂いを顔に上らせる。
「そんな事ないよ。兄さんは立派な仕事をしてるんだもの。でも自分がまだ子供だって事忘れちゃ駄目だよ。兄さんはまだ十三歳なんだよ」
「そっか。今日から十三歳か。……アレから四年近くが経つんだな。……時間が過ぎるのは早い。ぐずぐずしてたらあっというまに大人になっちまうな」
「やだ、兄さん。近所のオジサン達みたいな事言わないでよ。なんかジジムサイよ」
「そ、そうか? 大人に囲まれて仕事しているから中味まで老衰し始めたかな。この年で若者らしさを無くしたら単なるフケたガキだ。気をつけなくちゃな」
「真面目な顔して何言ってんのさ。それジョークのつもり?」
「真面目に言ってんだけど」
「やだな。どう聞いても冗談にしか聞こえないよ」
 クスクス笑うアルフォンスに、エドワードもつられるように笑った。
 ほのぼのした兄弟の会話は微笑ましいものだったが、普段の鉄面皮を知っているロイにすれば、誰コレ? という感じである。
 エドワードの瞳は輝き、頬はバラ色表情も声も柔らかく甘えを含んで、アルフォンスよりも幼く見えた。
 兄さんは本当は優しい人なんです、というアルフォンスの言葉が判ってしまったが、その変わり様はないだろうと、裏表の差違に大人達はただ呆れる。
「うわ、大将、メチャメチャ可愛い」
 思わず盛れたハボックの言葉にロイは不覚ながらも頷いた。元々見た目が良いから、微笑むと本当に可愛い。
 可愛いが、納得いかない。
「弟の前だとこうなのか。……私の前だとなぜこうならんのだ?」
「そりゃ……やっぱり軍人相手と家族相手じゃ対応も違いますよ。ましてや大佐相手に可愛こブリッコしてもしょうがないでしょ」
「それはどういう意味だ」
「だって大佐って可愛いだけのガキなら相手にしないでしょ。子供は苦手だって言うし。ガキが苦手な相手にガキらしくしてどうすんですか」
 ハボックの言った通りだが、エドワードの弟の対するあからさまな無防備さと比べると、なんとなく面白くない気持ちになるロイだった。
「ところで鋼の。東方司令部に用とは一体何だったんだ?」
「あ、そうだ。忘れてた。図書館の禁書を閲覧したいんで、許可くれ」
 エドワードが持っていたファイルから紙を取り出した。
「ああ、またか」
「そう、まただからよろしく」
 手元に判子がないので手書きでサインする。
 エドワードが錬金術の研究の為に図書館を利用するのは判るが、閲覧するのが軍が規制を強いている禁書ばかりでは何をしているのかと疑問に感じずにはいられない。禁じられていなくても一般にはなかなか出回らない貴重な資料も他にはあるというのに、エドワードの興味は更に濃くマニアックな種類ばかりに集中している。
 他の資料は見ないのかと聞くと「もう全部読んだから」と言われてしまった。そんな短期間に読める量ではないというのに。一体何時勉強したものか。試しにいくつか質問してみたがちゃんと内容は頭に入っているのが判ったので、何も言えなかった。
「ほら、これでいいだろ」
「サンキュー」とエドワードは上官にするのとは思えない返事をした。
 思えば初めて出会った時からこんな感じだった。エドワードは初対面から、まるでロイを知っているかのように馴れ馴れしくふてぶてしく接してきた。
 勿論ロイはエドワードとは面識がなく、子供にそうされる理由も判らなかったが、当然のようにそうされるといちいち咎めるのも面倒な気がして、また自分にだけは胸襟を開いているかのような錯覚があって、エドワードの傍若無人さを許していた。錯覚は錯覚でしかないのだが。
「時に鋼の。おめでとう」
「何が?」
 本気で判らない様子のエドワードに、ロイは
「今日は君の誕生日だろ」と言った。
「ああ………ありがとう。年を取る事のどこにめでたさがあるか判らないが、とりあえず礼は言っとく」
「君もいちいち可愛げのない事を言う。素直に大人になる事を喜びなさい」
 フン、とエドワードは鼻で笑った。
「年をとる事と大人になる事は別だろう。いたずらに年をとっても中味が大人なるどころか子供のまんまという始末に負えない大人も沢山いる。それに大人になると頭が固くなったりフットワークが悪くなるからな。オレは別に大人になりたくなんかないね」
「確かに……君の言う事も最もだが……もうちょっと子供らしい返答をしなさい。子供が背伸びしてそういう事を言っているのなら可愛げがあるが、君の場合単なる本音だから耳が痛い。どうしたらこんなガキができあがるものかね。成長過程を見てみたいものだ」
「見たって判らねえよ。オレがこんな風になったのは母さんのせいでも弟のせいでもない。自分自身の業のせいだ。今まで積み上げられた経験と体験がオレをこうした。……できるならオレだって子供のままでいたかったが………子供のままじゃ家族は救えない。オレは今の自分に満足はしちゃいないが、これ以上どうしたらいいか判らないというのも本当だ」
 見た目十三歳、中味十九歳のエドワードはシニカルに表情を歪めロイを伺った。自分が子供らしくない事は判っているが、無邪気で陰のない人格を装おう事は疲れる。それにアルフォンスの前であまり嘘をつきたくなかった。
「……兄ちゃんて……なんかスゴイ。大人みたいだ。カッコイイ」
 アルフォンスの賞賛の瞳にエドワードと大人二人は「そうかぁ?」と思ったが特に否定はしなかった。
 大人から見れば可愛げのない態度も、弟の目には兄は立派に見えるのだ。
「ねえ兄さん。今日はどうするの? 一緒に家に帰るんだよね。兄さんの借りてる家って大きいよね。そっちでお祝いする?」
 ウキウキと話すアルフォンスにエドワードはうーんと考え込んだ。
「マーサさんが家で一人分の食事を用意しているからな。今から行ってアルの分も作ってもらわなきゃ」
「それは大丈夫。最初に兄さんの家に行った時にマーサさんに会ったから。兄さんの誕生日の事を話したらケーキも焼いてくれるって」
「じゃあケーキは買って帰らなくていいか」
 マーサさんというのはエドワードが雇っている家政婦の名だ。通いで日々の炊事洗濯をしてもらっている。
 エドワードのような子供が一人で暮らすにはどうしても手伝いが必要だった。生来家事においては面倒くさがりのエドワードは私生活において手抜きを決めこんでいた。
「ハボック少尉も来るか? マーサさんの事だから沢山作りすぎると思うし。仕事の手が空いたら来いよ。デートの予定はないんだろ? タダメシ食えるぜ」
「ヤな事言うな。どうせ今フリーだよ。……でもまあ残業にならなけりゃお邪魔させてもらうかも」
 送迎などでエドワードの家には何度か入った事のあるハボックは、気軽に承諾した。
「鋼の。私は招待してくれないのか?」
「大佐は無理だろ」
 エドワードのロイを斜めに見た。
「どうして? 上官の私が来たら迷惑か?」
「今サボってて残業無しなわけないだろ。帰ったらホークアイ中尉が銃片手に待ってるんじゃないのか。日付けが変わらないうちに仕事が終るといいな」
 正論にロイはグッと詰まった。
 昼休みというには長い時間を外で過ごしてしまった。帰ればエドワードの言う通り副官に缶詰めにされるだろう。