第二章
エドワードとロイの仲は良いとは言えない。というかハッキリ言って悪い。エドワードはハクロ将軍の下にいて属する陣営が違うし、普段の態度も事務的で冷やかかだ。子供らしくないが、子供らしく我侭を言われたり甘えられたりする方が困るし、そんなものだと思っていたのだが。
「……なんか……気持ちが悪いな」
顔を顰めるロイにアルフォンスが口を尖らせる。
「気持ち悪いって何ですか」
「理由の判らない信頼は気持ちが悪いに決っているだろう。優しくした事もなければ懐柔した事もない。鋼のに信頼される筋合いはこれっぽっちもないというのに。それに鋼のは…。アイツはハクロを信頼してないのか?」
「兄さんの言葉が本当なら」
「ハクロは信頼に値する男ではないが、一応鋼のの後見人だぞ。……ハクロの事はどうでもいいが、何故鋼のはそんな事を言ったんだ? 理解に苦しむ」
「大佐には心当たりがないんですか?」
「あるわけないだろう。私達はそこまで親しくない。私が鋼のの後見人ならともかく……」
言い掛けて、ロイはふと脳裏に引っ掛かるものを感じた。
「……でも兄さんは確かにそう言いました。大佐に心当たりがないというなら、兄さんの冗談だったんでしょうか。でも兄さんは大真面目に見えました」
「……判らないな。今度会った時に鋼のに聞いてみよう。それまで私見は保留だ」
ロイは今日は不思議な事を聞く日だと思った。
鋼の錬金術師の事は気にならないでもない存在だ。
だが日々の多忙さについ後回しになり、連絡も途絶えがちになっていた。
ハクロ少将を後見人に優秀な錬金術師として名を上げつつあるエドワードが、何故後見人のハクロではなくどちらかといえば敵対する側のロイを頼れと言ったのか、理由が判らない。
エドワードは判らない事だらけだ。年不相応の錬金術の腕と知識。愛する家族との別離。時折含むような視線。淡々と、だが確実に軍という土壌に根を下ろしつつある子供。
ああ、そういえば。……とロイは引っ掛かっていた事柄を思い出した。
エドワードが初めて軍とコンタクトを取った時、対応したのはロイだった。ハボックが迎えに行って、エドワードと出会ったのだ。混乱するテロ警戒区域で、子供は奇蹟のような錬金術をロイ達に見せた。
そうだ。何故今まで忘れていたのだろう。エドワードがつながりを持ちたかったのはハクロではなく、ロイ・マスタングの方だったのだ。だがエドワードの力を見たハクロはロイの目の前でエドワードをかっ攫っていった。対面していた時間も短いしその頃は本当に日々多忙で、エドワードの事は気になりはしたが、いつしか細かい事は頭の引き出しに仕舞われて忘れていたのだ。
「鋼のは……始めから私を信頼していた?」
そんなバカな、と思ったが推理してみるとそんな気がしてくる。だがロイは楽観主義ではなかったのでエドワードから信頼される理由が見つからない以上、油断は禁物だと思った。案外ロイを油断させ引っ掛ける為の罠かもしれない。
「兄さんて……変ですよね。何考えてるんでしょうか。ボクには兄さんの考えている事が判らない。錬金術バカなのは判りますが、本当に錬金術だけをやりたくてイーストシティにいるのかな。他に目的があってイーストシティにいるんじゃないのかな…」
「何か気付いた事でもあるのか?」
「いいえ。でも大佐も言ったとおり錬金術だけならリゼンブールでもできると思います。なんであんなに故郷に帰りたがらないんだろう」
自身が理由と知らないアルフォンスはただ首を傾げるばかり。
「……こちらに執着する理由があるとか? 錬金術の研究の為。専門図書館は軍司令部にしかなから。……他に思い当たりそうな事は……恋人ができたとか…はないか。背伸びして一人暮らしをしてみたいだけ……とか?」
「それだけじゃ理由としては薄いんじゃないんスか? 子供が一人で暮らしてて、寂しくない訳ないと思いますけど」
ハボックはそろそろ戻らなくてはホークアイ中尉の顔が般若に変わるんじゃないかなあ、と思いながら言った。
上司が帰る様子がないのでハボックも帰れない。ハボックとて暇ではない。サボった分のツケは後から来るのだ。サボリは好きだが中尉に叱られるのは困る。
「鋼のがこちらにいる理由ねえ。……ハボック、貴様鋼のから何か聞いていないか? 貴様らそこそこ親しかっただろう」
「まあ……軍に来た時に顔を合わせるくらいですが。あとエドの送り迎えとか」
「鋼のも一人暮らしなら独身寮に入ればいいのではないか? あの小ささなら狭い寮の部屋も広く使えると思うぞ」
と、失礼なロイだったが小さいというのは本当だった。
「エドは一応国家錬金術師なんで……。他の部下達が畏縮しちまって困ります」
「寮に入ると内緒でイケナイ事もできないから、一人暮らししているとか? 鋼のも年頃だ。女に興味がないとは言っているがそれは建て前で、そんな甘酸っぱい桃色話があってもおかしくない」
自分が十三歳だった頃を思い出して言うロイを、田舎育ち純朴少年のアルフォンスは冷やかな目で見た。
「……兄さんをイヤらしい目で見ないで下さい。兄さんは、兄さんはそんないかがわしい理由で家を離れたりしません。あの人は乱暴でガサツ意地汚く寝穢く口も悪く背も伸びない人ですが、そんな『わーい女連れ込み放題だぜ』なんてみみっちい理由で国家錬金術師になったりはしないし、家出もしません。穢れた大人と一緒にしないで下さい」
少年の嫌悪を含んだ視線に、大人達はやや気まずい顔になる。
大人にすれば軽い冗談かもしれないが、子供の拒否反応は大きかった。
「……ま、まあ。そういう冗談は置いておいて、エドが家に帰らないっつーんなら無理矢理にでも引っ張って帰るとか? もしくはこうやってアルがイーストシティにくればいい。……しかしエドが大佐を信頼してたっていうのには驚きましたけど。……まさか大佐の側にいたいからエドはイーストシティにいる…とか? ははは、まさかな」
「冗談でも止めたまえ。気持ちが悪い。第一その『信頼』というやつすら眉唾物だ。鋼のは私など信用するものか」
ハボックの冗談を一蹴するロイ。
「冗談っス。……しかしエド一人の事でこんなにも盛り上がれるんだから、ある意味大したもんじゃないスか?」
「……盛り上がるどころか盛り下がっているような気もするが……。エドワードが誕生日なのに家に帰らない理由は……『アレ』じゃないかな?」
「そりゃなんです?」
「もうすぐ国家錬金術師の査定がある。その準備だろうな」
「査定っつーと、報告書出したりするんスか?」
「主に研究レポートだな。研究物を直接提出する事もある。ようは高額の国家錬金術師研究費用を受け取るに値するかどうかの見極めだな」
「何だか大変そうスね」
普段からコツコツ研究を進めているエドワードは、査定間近だからといって今更慌てる事はない。しかしそう言っておいた方が無難だとロイは思った。
「……じゃあやっぱり兄さんは忙しいから帰ってこれないだけなんですね?」
アルフォンスの問いにロイは頷いた。
「軍属であるという事には少なからず責任がつきまとう。鋼のは子供だが国家錬金術師だ。子供だからと言って甘えは許されない。君の兄は日々頑張っている。余裕がないからといって責めるなよ」
「……はい」
今更あのふてぶてしいガキが甘えているなどとは更々思っていないが、仕方がない。
たかが十三歳。されど十三歳。エドワードは大人でも子供でもない微妙な年頃にさしかかりつつある。
自分も子供だった時期があるが、その年代のガキが何を考えているのかさっぱり判らない。おまけに中味は希代の天才ときている。
あの頭脳と知識で師がいないとはふざけるなと言いたい所だが、身内すら首を傾げる変容の理由を他人のロイが知る由もない。
「一度……鋼のとは肚を割って話してみたいものだ。あの子供の中味が蛇や鬼だとしても何も判らないよりは余程いい」
「兄さんは蛇でも鬼でもありませんよ。本当はとっても優しい人なんです」
優しい人間でもひとたび軍に入隊し戦争にかり出されれば、場合によっては無辜の民を虐殺する人間兵器になるのだと、ロイは言わなかった。
個人の善悪と組織の善悪は比例しない。一人を殺せば人殺しで、数万を殺せば英雄というのだから笑える。………事実は笑えないが。
「君の優しいお兄さんに言っておいてくれ。私を君の訳の判らない事情に巻き込まないでくれと。巻き込むなら本音を言えと。それが等価交換だろう」
「伝えておきます」
アルフォンスが返事をした時だった。
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