第二章
納得いかないというアルフォンスに、ロイはそういう事もあるだろうと諭した。
「……錬金術の世界は色々あるからな。何を等価にするかは本人しか判らない事だ。鋼のはその師匠の欲しいものが判ったんだろう。もしくはなんとかして聞き出したのか。代価があれば錬金術師は動く。弟子入りが認められた過程はそんなに考え込む程の事じゃないと思うが」
「そうだといいんですが。……兄さんが関わると、みんな謎に思えてくるから困ります。兄さんがちょっとでもいいから本音を聞かせてくれればそれで我慢できるのに、何も言ってくれないから想像ばっかり膨らんじゃって」
愚痴を吐く子供を大人は優しい目で見る。
「疑心暗鬼になる気持ちが判らないでもないが、鋼のは君の事をちゃんと大事にしているんだろ? ならそれでいいじゃないか。人が隠しておきたい秘密は暴いてはいけないよ。心の強姦は罪だ。隠しておきたい事は隠したままにしておいてやりなさい」
「ご、強姦って……そんな大袈裟な。ボクは兄さんに酷い事をしたいわけじゃない。ただ昔みたいに本音で語り合って欲しいだけなんです」
「今も本音を語っているのでは?」
エドワードは頑な印象の子供だが、家族に対する愛情は本物だ。
「本音でも……大事な部分は隠したままだ。ボクらはただ兄さんに帰ってきて欲しいだけなのに、兄さんは故郷に背を向けている」
「人の心の中に踏み込もうとすると……鬼や蛇が出てくる事がある。それが清い心でもだ。一途な思いはマイナスにもなりかねない。知りたいと思うのは構わないが、無理矢理暴く愚は犯さないように気をつけろ」
鋼の錬金術師が隠している事とは一体何だろう? とロイは秘密の多い最年少国家錬金術師の事を思った。
子供らしからぬ陰りのある表情の下には誰も知らない確かな秘密がある。知ろうとすればエドワードの背後の陰から鬼や蛇が出てくるかもしれない。
「じゃあ……大佐は兄さんの秘密を知りたいと思わないんですか?」
「そりゃあ……思うとも。だが蛇が出てきた時に対処できるか判らないのに、ヘタには聞き出せないだろう」
「蛇って……兄さんはそんなに危険な人じゃないですよ。ただちょっと訳判らない所があるけれど。師匠と母さんには絶対服従ですし、ボクには甘いし、ウィンリィには殴られっぱなしだし」
「ウィンリィ? 鋼ののガールフレンドか?」
「ボクらの幼馴染みです。隣の家で家族ぐるみの付き合いです」
「あのクソ生意気な鋼のも幼馴染みのガールフレンドには形無しか」
「兄さんは乱暴者で女の子を泣かせてばかりいたけど、芯はフェミニストですよ。いざという時は身体張って助けますから。……でも普段は性格上、異性に優しくできませんけどね。というか、女の子にあんまり興味がないみたいで」
「思春期なのにつまらんガキだな。しかし鋼のがフェミニストか? 女の子を泣かせるようなガキがフェミニストなわけないだろう」
「一件乱暴ですが、兄さんはまっすぐで曲がった事が嫌いです。女の子に優しくする事はあんまりありませんが、傷つける事も絶対しません」
「愛想はなくても男気はある…か。まあガキだからな」
どこか世間を斜めに見ているフシのある喰えないガキだと思っていた鋼の錬金術師が、弟の目を介せばそこいら辺にいるガキに見えるから不思議だ。今も弟の目には兄はどうしょうもなくて愛しい家族にしか見えないのだろう。
「……折角イーストシティに来たのだ。ゆっくりしていくといい。母親の事が心配なら母親もイーストシティに呼べばいい。鋼のの家は広い。泊まる場所はあるんだし、いくらでも家族愛を温めるがいい」
ロイがそう言うと、アルフォンスは諦めたように首を振った。
「母さんは……父さんの帰りを待っていますから、リゼンブールを出られないんです。入院していた時は仕方がなかったけれど、今も母さんは父さんを待ち続けています」
エルリック兄弟の父親が出奔したという話は聞いている。
「君は父親を待っていないのか?」
「そりゃあ帰ってきれくれれば嬉しいですけど」とアルフォンスはどこか他人事だ。
「でもボクは父さんの顔も覚えていないんです。だから寂しいとか思う以前の話で。むしろ兄さん不在の方がよっぽど寂しいですよ」
「顔も覚えていないんじゃそんなものか。鋼のは父親の顔を覚えているんだろう?」
「ええ、兄さんは父さんの事を覚えていて……だからこそ捨てられた事が許せないんでしょうね。親らしい事なんか一つもしてもらった事がないって言ってましたし。覚えている分、反発するんでしょう。ボクと兄さんのどっちがいいかって言われたら困りますけど。もしボクが父さんの事を覚えていて、いい記憶がなかったら、ボクも兄さんと同じように父さんを嫌ったんでしょうか」
「さてな。父親を慕う子供は沢山いるが、その反対も沢山いる。嫌うにもエネルギーがいるから、君のようにどちらでもないという方が楽だと思う。反発されるより無関心の方が堪えるものだよ」
「でも……覚えてもいない人に関心を持てって言われても困るんですけど。情報だけじゃ愛情は持てませんよ」
サラリと言われて、ロイは弟の方が対父親ではドライだと思った。エドワードのように反発してくれた方が親としてはいいのかもしれないが、妻子を捨てた男に同情の余地はない。
「しかし鋼のが父親に反発ねえ……。普段はこ憎らしい顔をしているのにまだまだ青いな。……だが十三歳の子供が青くなかったらそっちの方が不気味か。鋼の錬金術師は一見複雑だが中味は単純、しかし謎は多く子供の浅慮と能力の高さが絡み合って、一言ではこうと表せない微妙さがある。ただの背伸びをしているだけのガキなのか、それともガキの顔の下に深慮遠謀長けた老獪な顔を隠しているのか、分りかねる。さてどちらだろう。君はどっちだと思う?」
アルフォンスはどちらでもないのでは? と答えた。
「兄さんは背伸びをしていますけどただのガキじゃないし、けど老獪なんてそんな単語は兄さんには似合いません。兄さんは無茶苦茶だけど、中味は単純なんです」
「確かに単純な性格に見えなくもないが、ただのガキんちょと言うには含む所があり過ぎだぞ。信用するには裏が有りすぎる」
「でも……」とアルフォンスは考え込んだ。
「でも兄さんは……大佐を信用していると思います」
「まさか」
断言されてロイは一笑した。鋼の錬金術師がロイ・マスタングに対してそんな信頼を寄せるはずがない。理由もなければ態度にもそんな素振りは見えない。
「何かそう考える理由でもあるのかね?」
「ええ……まあ……」
何故かハボックをチラと見るアルフォンスだった。
「ハボックさんて……信用してもいい人ですか?」
アルフォンスの躊躇いがちな問いに何故そんな事を聞かれるのか判らなかったが、興味がわいたロイは大丈夫だと頷いた。
「ハボックは抜けているところはあるし体力バカだが、一応私の幕僚だ。私の傘下にいるからここで喋った事も外に漏らすような事はしないよ。案外口は固い」
「抜けているって言うのは余計です」とハボック。
ロイとハボックが顔を見合わせるのにアルフォンスもホッとする。
「それならいいんですが……」
「他に漏れては困る事があるのかね?」
「一応兄さんの後見人はハクロ少将という事になっていますから。……マスタング大佐はハクロ少将とは仲が良くないと聞きました。……というか大佐は上層部に煙たがられているから、表立って親しくするのはいけないって、兄さんが」
「まあ……鋼のはハクロ将軍の保護を受けているからな。……しかしそんな事まで弟に話さなくてもよさそうなものだが」
「兄さんは……」
いったん言葉を切って、アルフォンスはロイを真直ぐに見た。
「兄さんはボクにこう言いました。『もし……オレに何かあって誰も頼る事ができなかったら……セントラルにいるマース・ヒューズ中佐かアレックス・ルイ・アームストロング少佐を頼れ。だがセントラルに行く時間が惜しい時は……ロイ・マスタングと連絡を取れ。決してハクロ将軍や他の軍人は頼るなよ』……と」
瞬間ロイは信じなかった。そんなセリフがエドワードの口から出るはずがない。
信じないロイは納得いかない顔をしていたが、アルフォンスも納得いかないという顔だ。
互いに疑問と疑惑を顔に浮かべ見詰め合う。
「でも……兄さんがそう言ったんです。ヒューズさんは判ります。母さんがセントラルにいた時にお世話になった方だそうですから。でもなぜマスタング大佐なのでしょう? 大佐は兄さんと昵懇というわけではないんですよね? ……じゃあどうして兄さんはそんな事言ったのかな?」
首を傾げる子供に、ロイの方こそ聞いてみたかった。エドワードの事は判らないと思っていたが、ますます判らなくなった。何を考えて弟にそんな事を言ったのか。
「それを信じろと? 到底信じられんが」
「信じなくても兄さんはそう言いました」
「だから信じる根拠がない。……君のでっちあげだとは思わないが、信じる事はできない」
冷やかなロイの拒絶にアルフォンスはムキになるでなく事実のみを述べた。
「……兄さんは軍に所属していても軍人を信用していない。その兄さんがマスタング大佐を頼ってもいいと言ったんです。何故その人なのかと聞くボクに、兄さんは『軍人は軍人という生き物であって、人ではない。だけどそんな軍の中でも人として信頼できる奴はいる。……でもギリギリの時でなければ連絡はとるな。どうしても、という時だけアイツらの手を借りろ』って言いました。理由は教えてくれなかったけれど、兄さんがマスタングという人を信頼しているのが判りました。だから……てっきり兄さんと大佐って信頼し合っているんだとばっかり思ってた」
アルフォンスのセリフに本気で不可思議な顔になるロイだった。
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