第二章
アルフォンスも国家錬金術師になるのだろうか?
ハボックは人間煙突になりながらそんな事を考えた。
「……で、君も錬金術を使えるのだね?」
「ええ、兄さんには全然及びませんがそれなりには」
「いいや、大したものだ。その年でそれだけの錬成ができれば。君の兄が特別すぎるのだよ。比べて恥じる事は何もない」
「お世辞でも大佐にそう言っていただけると嬉しいです。ボクも兄さんに負けないように努力していますが、全然追いつけなくて……」
「国家錬金術師になる事は考えていないのか? 今はまだ未熟でもその年でその知識があれば近年合格する事もできるだろう。試しに受験してみるか?」
「ありがとうございます。でもそれはできません」
「何故? 始めは試し受験でも構わないのだよ?」
「いいえ。兄さんとの約束なんです。絶対に軍には関わるなと、兄は会う度に口を酸っぱく繰り返します。ボクは兄との約束を破れません」
「鋼のがそんな事を? 何故だ? 自身も国家錬金術師のくせに」
「たぶん、兄は苦労するのは自分だけでいいって思っているんです。軍の狗と呼ばれるのは自分だけでいいと。ボクを守ろうとしてるのは判るのですが、守られているだけなんてそっちの方が辛いのに。ボクだって兄さんの側にいて助けてあげたい。でも母さんを一人にする事なんてできないし。兄さんが家に戻ってきてくれれば一番良いんですが」
「鋼のの過保護が鬱陶しいか? それとも単純に嬉しい?」
ロイの揶揄を含んだ声にアルフォンスは「どうでしょう?」と言った。
「兄さんの……あの必死な顔を見てしまうと、むげにできないんです。泣き出しそうな顔をしてボクに言う事をきかせようとするから。確かに鬱陶しい面もあるけど……それより自覚のない泣き落としの方がより鬱陶しいですよ。ないはずの罪悪感が生まれると言うか、どうしてボクがそんな風に感じなくちゃいけないんだろうと思ったり。……たぶん兄さんはボクらを守る事を支えにしているんだと思います。守る物があれば、人間強くあれますから」
「……君のその年齢にそぐわない口調は確かに鋼のに似ている。血は争えないな。ますます国家錬金術師に推薦したくなってきた。……ところでアルフォンスは鋼のがいなくなって一人で錬金術の勉強をしているのか? 一人じゃ大変だろう」
「いいえ。ボクには師匠がいますから」
「そうなのか? リゼンブールには君らの他に錬金術師はいないと聞いていたが?」
「ボクの師匠は南部のダブリスに住んでいるんです。母さんがセントラルにいる間、住み込みで弟子にしてもらったんです」
「……初耳だ」
エルリック兄弟には師がいないと聞いていたのでロイは不思議に思った。
「では鋼のもその師匠に習ったのか?」
「違います。兄さんは師匠とは師弟関係じゃありません。でも一応『センセイ』と呼んでいますけど。師匠と初めて会ったのは兄さんが国家錬金術師になったばかりの頃です。兄さんがセントラルから母さんを迎えにきた時に出会いました」
「興味深いな。…どんな錬金術師か聞いても良いか?」
「優秀で厳しい人です。錬金術の腕は兄さんと同じくらいだと思います」
「それは本当に優秀なのだな。どんなツテでその師匠に師事する事になったんだ?」
「出会ったのはボクらの村です。師匠は旅行の途中で村に寄ったんです。……丁度台風の季節で、村に大雨が降ったんです。近くの川が増水し、村人総出で土嚢を積んでも決壊するのは時間の問題でした」
「鋼のがいただろう。鋼のの力があれば堤防の強化など容易いと思うが?」
「それがその時母さんの具合が良くなくて、兄さんは母さんにつきっきりでした。堤防が壊れて洪水が起こるのはあと僅かという時でした。一人の女の人がふらりと堤防に近付き、一瞬で土を盛り上げ、強固で強大な堤防を作ったんです。その人がボクの師匠です。ボクはそれからその人に弟子入りしました」
「ほう。そんな素晴らしい錬金術師がまだいたのか。早速スカウトに行くか」
興味を持ったロイにアルフォンスは慌てて言った。
「止めた方がいいと思いますよ。師匠は堅い錬金術師ですから軍の狗にはなりませんよ。軍の狗になった兄さんに対してロクデナシ呼ばわりですからね」
「気難しいのか? でも女性なんだろ?」
「気難しいというより厳しい人なんです。曲がった事が嫌いで筋を通し潔癖で竹を割ったような性格です」
「……美人か?」
「そうですね。母さんとは全然別のタイプですが、美人で温かい人だと思います」
「それは増々期待できそうだ。……スカウトに行ったら駄目かな?」
「無駄な事はしない方がいいと思います。それに師匠は軍嫌いですから行ったら叩き出されますよ。旦那さんは軽く二メートル百キロを超える熊系マッチョですし。師匠は格闘技の達人で、ボクも兄さんも師匠にはサンドバック扱いです。大佐がいくら強い軍人でもタイマンでは絶対に師匠の方が強いと思います」
「しかし女性なんだろう? いくら格闘技の達人といえ日々鍛練を欠かさないプロフェッショナルな軍人相手では素人技では……」
アルフォンスは残り少なくなったジュースをストローでズズズと吸すって、判ってないなあと思った。師匠の恐ろしさは会ってみないと理解できない。
「でも師匠は十代の時に修行の為にブリッグス山に一冬篭ったツワモノですよ。持ち物はナイフ一本のみ。オオカミを蹴散らしエサの鹿を横取りし山岳兵から食料を奪い遭難しながらも、何とか生き延びたそうです。熊に襲われた時は素手で投げ飛ばしたと言ってますよ。師匠は冗談も嘘も言わない人だから、全部本当の事だと思います。大佐は熊を投げられますか?」
「……生憎投げ技は得意じゃなくて。……得意は錬金術師なのだが……」
どういう女だと想像がつかなくて言葉に詰まる。筋肉隆々マッチョ系美女なのだろうか。
「師匠は中肉中背の平均的体型ですよ」
……増々想像がつかなくなってきた。
「修行は錬金術師無しが原則です。ボクも始めにやらされましたけど、ナイフ一本で生き延びるのはそりゃあ大変でした。当時は錬金術無しでそんな事をする意味が判らなくて、師匠を恨みましたよ」
「なに? 君もブリッグス山に篭ったのか?」
「まさか。ボクの時は暖かい南部の無人島でした。自活すればなんとかなる場所でしたけれど、肉すら捌いた事のない八歳の子供には地獄に思えましたね。食べ物が捕れなくて飢えが辛くて。魚が釣れた時は嬉しかったな。普通の小魚が最高の旨さだった。でも島は安全でした。危険な肉食獣もいないし、ウサギや鳥がいたから肉も捕れたし。未だにウサギを見ると条件反射で涎が出ます」
「なかなか厳しい修行だったようだが、君一人で無人島生活か? それはあまりに危険だろう。命を奪う動物がいないとはいえ、ろくに食べ物も捕れないような場所では」
「いいえ、実はちゃんと監視役がいたんです。流石に子供一人を放ってはおけなかったんでしょう」
「監視役? そういう人間がいたのなら安心だな」
「そうでもありません。監視役でしたけれど野獣の役もやってましたから」
「野獣?」
「仮面で顔を隠していきなり襲って来るんです。こっちは相手が誰だか知らないし、夜中にいきなり襲われたり食料を奪われたりしてギリギリでしたよ。無人島で変な仮面を被った男にいきなり襲われる子供の気持ちが判りますか? 棍棒持った人型の野獣が襲いかかってくるんです。捕まったら殺されると思いました。そりゃあもんのすごく恐かったです。冗談抜きのリアル鬼ごっこで……。見張り兼、サバイバルにメリハリを持たせる為と心身を鍛える為だと終った後で知らされたけれど、当時は本当にビビッてました。死ぬ程恐かったなあ。……でも真の恐怖は本修行にあったんですが」
何処か遠い目になるアルフォンスに、スパルタ教育だなとスカウトを諦めたロイだった。師匠というのはどこか副官を彷佛とさせる人柄だ。ロイは適うまい。
「それで……その後の修行も大変だったのかね?」
「ええ。毎日が……サンドバックの日々で。でもゴハンは美味しかったし、恐いけど尊敬できたし。最高の師匠でした。修行は半年で終りましたけど、たった半年でみちがえるくらい錬金術の腕は上がりました」
「厳しくても最高の指導者に当たったな。……だがそんな優れた錬金術師なら名前が聞こえてきてもいいようなものだが。その師匠の名前は?」
「言ったら怒られそうなので広言しないでいただけますか? 師匠には迷惑掛けたくないので」
「判った」
「師匠の名前はイズミ・カーティスです。……師匠の事はあまり言ってはいけないと兄さんに言われているので、名前をバラした事は兄さんには内緒にしておいて下さい」
「何故鋼のがそんな事を?」
「さあ。……師匠と兄さんてちょっと空気が変なんですよね。兄さんはボクと同じで師匠の事、恐怖尊敬してますが、師匠は兄さんの事……たまに変な目で見るんです。師匠と兄さんて全然接点なくて会っていないみたいなのに、時々二人でこっそり内緒話しているみたいだし」
「弟の事が心配で連絡をとっていただけじゃないのか?」
「だったらこそこそする必要はないと思いますけど。……大体、初めから兄さんと師匠っておかしかったんです。ボクが師匠に弟子入りさせて下さいって頼んだのに駄目で、なのに兄さんと二人きりで話した後、あっさりボクの弟子入りが決まってた。その後、兄さんと母さんはセントラルに行ってしまい、ボクは南に行って修行の日々。……何で師匠は一旦断った弟子入りを承諾したんだろうって不思議でした。師匠は等価交換だから仕方がないって言ってましたけど、何を交換したのかも教えてくれないし。兄さんと師匠の関係も謎だし。兄さんは師匠に錬金術を習ってないのに、センセイって呼んでるし。……何か変なんです」
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