モラトリアム
第ニ幕


第二章

#13



 アルフォンスの本音に大人二人は顔を見合わせる。
 エドワードがイーストシティに住居を構えて二年近くになる。始めはどう接していいか判らなかった子供だが、時と共に会話も増えて馴染みつつあった。
 特にハボックはリゼンブールに迎えに行った事もあり、エドワードとは割合親しい方だ。それにロイもエドワードとはたまに司令部で顔を合わせていた。
 可愛げのない子供で謎も多く、どこか不思議な空気があり、ロイも気に掛けてはいた。
 しかし家族にまで判らないと愚痴を零されるとは思わなかった。
 エドワードは諸々突出している子供だが家族愛は本物で、母親を助ける為に寝食を忘れて研究に没頭していた事実は聞いている。母親が完治した後も故郷に仕送りをしている。自身は一人暮らしにしては広すぎる家に住んでいるが生活は質素で、家財道具よりも本の方が多く自宅というより図書館か研究所のようだと、たまにエドワードの送迎をするハボックや激励と称した偵察に訪れるロイは感じていた。
 確かに訳の判らない子供で薄気味悪い。だが暗い陰りの中に張り詰めた様子が伺われて一言で排除することはできなかった。何より、その目には濁りがない。
「アルフォンスは……エドワードが理解できなくて気持ち悪いか?」
 弟にそんな風に感じられたら流石に可哀想だとハボックは聞く。エドワードがどれだけ家族を愛しているのか、言葉の端々から聞いて知っていた。エドワードが弟の事を語る時、その表情は和らぎ言葉は賞賛しか出てこない。
 曰く、弟はオレより喧嘩が強いとか、弟はオレと違って性格も良いとか、悔しいけれど弟の方が背が高いとか。
 家族の事を話すエドワードは年相応の幼さがあって、安心できた。
 何故その大事な家族と離れて暮らしているかは判らないが、エドワードなりに考えた結果なのだろう。愛する家族と離れてまでも為さなければならない事があるとは思えないが、エドワードにはエドワードなりの信念があってやっているらしい。エドワードは何かを内に抱えている。多くを語らない子供は無駄な事はしない性格だ。
 アルフォンスの疑問も当然だが、単なる我侭ではないのだから理解を示してもいいと思う。しかし理性で理解できても感情が納得しないのだろう。アルフォンスはまだ子供なのだ。
「アルフォンスには兄ちゃんの成長が寂しいんだな。家族の事が判らなくなるなんてのはよくある事だ。親子が理解できなくなったり絶縁したり、家族だからって全て円満って事はないだろ。ガキに言う事じゃないが、世の中っていうのはそういう面もある。エドの事が今は理解できなくても、いずれ判るようになるかもしれない。アルフォンスがもっと大人になればきっと判るさ」
「だといいんですけど……」と、アルフォンスは納得しきれない顔で訴える。
「確かに世の中には家族でも判りあえない人達がいるっていうのは知っています。でも兄さんの事はボクが一番判っていたんです。兄さんは賢くて頼りになって、ボクをいつも守ってくれようとしていた。喧嘩も沢山したけど迎えにくるのはいつも兄だった。お互いに謝ったりしなかったけど、喧嘩の後いつも兄さんはボクを探しにきてくれた。勝つのはいつもボクだから悔しかったと思うのに。喧嘩はボクの方が強くても……中味ではいつも負けてた。そんな優しい兄だったんです。でも……兄さんは突然判らなくなった。中味だけ急に成長したみたいに、ボクを置いて大人になってしまった」
「はあ……。あのエドがねえ。……にしてもエドって結構喧嘩強いぞ。軍人に混じって身体鍛えてるし、殴られても蹴られても泣き言一つ言いやしねえ。……そのエドよりアルフォンスの方が強いのか? スゲエな、お前」
 ハボックがへえ、と感心する。
 エドワードはある程度格闘技を嗜むらしく腕っぷしは強い方だ。不思議と場数を踏んでいるようで喧嘩馴れしていた。錬金術を使わなくてもチンピラ風情には負けないだろう。
 頭でっかちのエリート様かと思いきや中味はガチンコ風喧嘩上等の短気なガキだったと知ったのは、エドワードがイーストシティに住んで数カ月後の事だった。
 エドワードに格闘技の指導を頼まれたのだ。
 そんなエドワードが弟には連敗だったとは驚く。
「エドって良い兄貴なんだな。普通弟に連敗してたら……とてもじゃないけど自分から折れらんねーぞ。ガキなんて意地だけで生きてるようなもんだしな。負けて悔しい思いをしたら、拗ねて相手を無視したりするよな。負けた方が迎えに行くなんて、エドはよっぽど弟が大事だったんだな」
「はい」とアルフォンスは頷いた。兄が訳判らなくても愛されている自信だけはあった。
「兄さんはボクも母さんも愛してくれてますよ。兄さんマザコンですし。ボクもですが」
「自分で言うか? マザコンって」
「母さんはボクらの全てですから。ちっとも恥ずかしいとは思いません。だからそんな兄さんが母さんと離れて暮らしているなんて信じられないんです。兄さんは誰より母さんを愛していて、母を置いていった父を憎悪していましたから。父と同じ道を歩んでいるなんてありえない。父さんを嫌っているのに父さんの轍を踏んでるなんて、絶対に理由がなければそんな事はしません。なのに理由は言えないってそればっかりで……。兄さんは……母さんがそう望めば兄さんは錬金術すら捨てるでしょう。でも母さんはそんな事は望まないし、兄さんが国家錬金術師になったおかげで母さんは助かったんだから、兄さんの所業を責める事はできない。何もしなかったボクに兄さんを責める資格はない。兄さんが今の兄さんでなければ母さんは今頃死んでいたのだと、ばっちゃんが言っていました。治療薬のない母さんの病気の為に兄さんが薬を造り出したって。判らなくても中味が見えなくても、兄さんはやっぱり兄さんなんです。母さんとボクを愛していて、錬金術バカで。不満を言うなんて……いけない事なんでしょうが、やっぱり寂しいんです」
「エドが今のエドにならなければ……って、エドってアルから見て、そんなに変わったのか? 国家錬金術師になって大事な思春期の時期に数年も離れてしまえば、相手が判らなくなるのも理解できるけど、エドワードが理解できなくなったのって、一緒に暮らしている時からなのか? そんな事あるのか? いつからエドが変わったと思うんだ?」
「いつから兄さんが変わったのかと言えば……それはやっぱりハボックさんがリゼンブールに来た頃からです。それまでの兄さんは悪戯好きの暴れんぼうで、虫やヘビなんかを掴まえて女の子を泣かせたり、垣根を壊したり落とし穴を掘ったり、大人に叱られてゲンコツくらってヘソを曲げる、絵に描いたような手の付けられない悪ガキでした。女の子には嫌われていましたけど男の友達は多かった。まんま乱暴者のガキ大将。大体想像つくでしょ? 近所では結構なヤンチャで通っていた悪ガキだったのに、ある日突然軍人が迎えに来てセントラルに行き国家錬金術師になって『母さんの病気はオレが直す』とか言い出して、訳が判らなかった。ボクは母さんの病気の事もその為に兄さんが国家錬金術師になって奔走していた事も全然知らなくて、ただ周りが騒がしくなって母さんがセントラルの病院に入院して、ボクだけリゼンブールに残されてしまって何が起こったんだろうと呆然としているだけだった。周りの人達に聞いても、母さんが重い病気に掛かって入院したって事しか教えてもらえなくて不安だった。ボクは何も判らなくて、何もできなくて焦っていたけど……でもボクよりも兄さんの方が辛そうだった。
『今は何も言えないけど……絶対に母さんは助けるから。だからお前はおとなしくばっちゃんのところで待っていてくれ』って……兄さんは泣いてないけど泣きそうで。兄さんの事は理解できなくなっていたけど、兄さんが誰より母さんの事を愛しているのだけは判ったし、ボクの事も以前よりもっと大事にしてくれるのが判ったから、兄さんの変化の理由が聞けなかった。だって聞いても兄さんを困らせるだけだと判っていたし。兄さんて聞かれたくない事をボクが聞こうとすると、傷付いた目をしてそっと視線を逸らすんです。あれって反則ですよ。まるでこっちが苛めているみたいなんですもん。『愛している』『ゴメン』が兄さんの口癖になってしまった。会う度にその両方が兄さんの口から出る。謝って欲しいわけじゃない。愛してるって言うのはいいんですよ。でもあんなに哀し気に切なく臨場感溢れて言う事ないじゃないですか。それを自分で判ってないところがまたあざといんです。不幸滲ませて謝られてどうしろって? 兄さんが自分勝手で身勝手でやりたい事だけやってブイブイ言わせていたら、ボクだって兄さんを盛大に詰って縋れて喧嘩もできるのに、兄さんはまるで自分が全部悪いみたいに謝るばっかりで。そんなんじゃ喧嘩もできやしない。小さい頃の顔は笑顔しか思い出せないのに、近頃じゃ切なく哀し気な兄さんの表情しか思い出せないんです。そんなの兄さんじゃない。我侭一杯夢一杯、口が悪くて手が早くて乱暴で元気な兄さんがボクの兄さんだったのに、父さんに置いていかれた母さんより、今の兄さんの方が寂しそうだ。……そんな十二歳、じゃなくて十三歳ってあります? ありえないでしょ?」