第二章
それは理由にならないとロイは否定する。
「鋼のは九歳ではあれだけの力を得ていた。齢九歳であの錬成力。初めて見た時に恐ろしいと思った。あれだけの力を得る為にはそれなりに知識と理解と努力が必要だ。しかし鋼のの年は若すぎる。若いというより幼い。錬金術を学んで数年であの力を得た事になる。天才だとしてもありえない。……それにあの錬成法は何だ? 錬成陣のいらない錬金術なんてどんな本にも書いていない。構築式を必要としない錬金術師なんて……ありえない」
断言するロイにハボックが川面に目をやりながら言う。
「けど、エドは実際にやってますよね。何にでも例外はあるって事じゃないスか? 動物にだって突然変異がいるんスから、錬金術師にだって常識外なのがいてもいいんじゃないんですか? 一般の人間から見れば錬金術師自体が突飛な存在なんスから、エドだけ変だと言われてもオレには判りません」
「錬金術師でない貴様には判らんかもしれんが、錬金術の基礎は理解、分解、再生構築だ。錬成陣は構築式を簡略化したものだ。頭で理解し、錬成陣を媒介とする。媒介無しでは錬金術は機動しないのだ。だが鋼のは何の躊躇いもなく両手を合わせただけで錬金術を行っている。それはありえない事なんだ」
「ありえない、ありえないってさっきから言っますが、事実やってますよ?」
「だから謎だと言っているんだ。他の国家錬金術師も首を傾げている。そんな錬成方法はありえない、とな。だが事実を否定する事もできん。それに鋼ののあの頭脳は本物だ。錬金術師としての知識は付け焼き刃ではない。だからペテンと疑う事もできん」
「エドにどうやったか聞いてみたんスか?」
「鋼のは黙秘した。錬金術の知識は個人の宝だ。他人の錬金術師を知るには代償が必要だし、教えたく無いと言われてしまえばそれまでだ。錬金術の研究書は暗号文で記述されるくらいだ。査定のレポートや本として公開される事もあるが、個人用の技術は殆ど隠匿される」
「秘密の個人主義スか? うわあ、暗い感じですね。そんなんでよく錬金術の技術が広まりましたね」
「錬金術師よ大衆の為にあれ、と言うだろう。基礎だけならいくら広めても構わん。ある程度のレベルまでなら一般公開も有りだ。危険は基礎を越えた所にあるからな。だがボーダーラインより上は個人の領域になる。錬金術師は科学者で研究者だ。結果は公表しても過程は個人の財産だから秘密になる。だから鋼のの錬成方法も聞き出す事は難しい」
錬金術に関しては素人のハボックは『そんなもんスか?』と流したが、同じ錬金術師のアルフォンスには言いたい事があった。
「でも……兄さんが錬成陣を書かない錬成が使えるなんて……兄さんが国家錬金術師になるまでボクは知りませんでした。ずっと一緒に錬金術の勉強をしてきたのに。毎日朝昼晩一緒にいて、同じ物を見て同じ勉強をして、なのに兄さんだけが突然力をつけた。そんなのやっぱりありえないですよね。ボクは兄さんが判らなくなった」
「そういえば家族には一度聞いてみたかったのだが、アルフォンスも錬金術が使えるんだろ。鋼のと同じ、両手を合わせただけの錬成はできるか?」
「ボクは錬成陣無しの錬成なんてとても無理です。何をどうすればそうなるのか、理論すら判りません。兄さんも教えてくれませんし」
「ふうむ。君にも判らないとなるとお手上げかな。あれは便利そうだから、できれば習得してみたいと思っていたのだが鋼のは教えてくれないし、残念だ」
「上官命令で聞きだせないんスか?」
「個人の領域は侵せん。上官だからといって錬金術師の技法を盗む事は許されない。それを許したら個人の技術は全て軍に吸い上げられる。それはとても危険な事だ」
「どう危険なんスか? その為に高い研究費が支給されてるんじゃないんですか?」
「錬金術は科学だが個人の技量が何より重要になる。あの人ができたからこの人でもできる、という訳では無い。理屈を理解しても実践は別なのだ。例をとってあげるなら料理がそうだ。レシピを知っていてその通りに作っても、プロの料理人と素人ではできばえに差ができる。材料と経過が判っていても、一流の技術者と三流や素人とでは結果が違う。匠の技という事だ。安易に方法を漏らせば悪用されたり失敗したり……どんな事になるか判ったものではない。経験から学んだ事だ。だから軍も慎重にならざるを得ない」
「経験から学んだって……何か失敗した例があるんスか?」
「ある。詳しくは言えないが。……ある時、故人の残した資料を元に、高度な錬金術を行おうとした。難しい錬成だったが行ったのは一流の錬金術師で、錬成法の細部は資料に全部残っていたので、不安はないと思われた。………結果は成功だった。そこまでならいい。だが成功は油断を生んだ。成功に調子にのった者達はその難解な技術を安易なモノと勘違いした。技術者が一流で細部にまで気を配ったから為した錬成を、二流以下の者がやったら失敗するかもしれないと想像を働かせなかった。結果、大きな事故が起こり周りにいた者達は殆どが死亡した。死んだ者達は気の毒だが良い教訓になった。
一流の技術は扱うのが難しい。何故なら失敗を重ねてソレを習得するのに、資料に失敗例は明記されない事が多いからだ。どうすれば失敗してしまうのかを知らないまま高度な技術を扱うなんて、危なくて仕方が無い。だが優れた錬金術師であればあるほど自分の犯した失敗など記述しないものだ。それは自分だけが知っていればいい事だからだ。記述で残す際には暗号化され、それとは判らない。……故に成功例だけ見て倣うのは危険度が大きすぎる。錬金術は科学だが、普通の科学と違うのはマニュアルがあれば誰でもできるわけではない、という事だ。錬金術師達は誇り高い。自分の研究を提供しても売り渡したりはしない。過程まで記したり発表するかは個人の裁量になる。強制されたら国家錬金術師を止めればいいし。だから建て前は錬金術師の技術提供は合意の上という事になっている」
「ふうん。じゃあエドの錬成方法は謎なままスか。錬金術の云々なんて聞いてもオレには判らないんですけど、素人のオレにでもエドの錬金術はすげえって思いますよ。弟すら何で兄貴がそんなに優秀なんだか判らないっていうのは、やっぱりエドがそれだけの天才だって事じゃないんスか? 天才である事に理由なんてないと思いますけど」
ハボックの素直な感想にアルフォンスは半分頷く。
「兄さんが天才というのは本当だと思います。けれどそれだけじゃ説明がつかない事も沢山あるんです。ボクが小さかったからかもしれないけれど……母さんが病気だったなんて……ボクは全然知らなかった。なのに兄さんは気が付いて一人で何とかしよう努力として、国家錬金術師にまでなって……ボクには何の相談も無く……」
アルフォンスは悔し気に唇を噛んだ。
「そりゃ、ボクなんかに相談したって何の力にもなれなかっただろうけど、だからって何も言わないなんて……寂しいです。兄さんは一人で全部を抱え込んで、ボクには何も心配するなって笑って……」
「いい兄貴じゃないか。上の者が下の者に心配を掛けまいと口を噤むのはよくある事だ」
同じく弟のいるハボックは判ると言うが、アルフォンスには納得できない。
「兄さんは……そんな人じゃありませんでした。兄とはいってもたった一歳しか違わないんですよ。ボクに心配をかけまいと無理する所はありましたけれど、もっと子供っぽかった。頭は良くても近所の子供達と差違はなかった。あんな、大人みたいな困った笑顔の兄さんなんて知らない。以前はボクに何でも話してくれたのに、母さんの病気が判って以来、兄さんは大事な事は何も話してくれなくなった。なんで兄さんは立派になっちゃったんだろう? 皆兄さんを偉いって言うけど……それはボクの知っている兄さんじゃない」
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