モラトリアム
第ニ幕


第二章

#11



 ハボックの運転する車が着いたのは川沿いのレストラン。石畳にテーブルが並んだカフェは観葉植物が壁の役割をして客席が道路側からは見えない。開放感があり、通行人の視線を気にすることなく落ち着けると好評判の店だった。
 ランチタイムが過ぎているせいか客席は空いていた。軍服着用でもさほど目立つ事なく、三人は席に付いた。
「アルフォンスは好き嫌いはないかな?」
 ロイに聞かれ、アルフォンスは頷いた。
 初対面の人達とこんな事をしていていいのか判らなかったが、兄は不在の上、大人達の強引さに巻き込まれて子供のアルフォンスでは太刀打ちできないのだから、仕方が無い。
「何でも食べられます。ただ極端に辛いものだとかは苦手ですが」
「子供の舌だからな。ここはパスタが旨い。ランチは私と同じ物でいいだろう?」
 そう言うとロイはアルフォンスの返事を聞く事なくさっさと注文をした。
「あ、オレはコーヒーを」
 ハボックが灰皿を目で探しながら言う。
 ウェイターが行くと、ハボックは「オレには注文聞いてくれないんスね」と言った。
「ふん、どうせお前はもう昼メシは食ったのだろう。私はまだなのだ。……それからタバコを吸うなら風下に行け。煙でメシが不味くなる」
「……了解」
 こちらに煙が来ないようにしてくれているんだなあと、アルフォンスは大人達の気遣いに感謝した。
 黒髪の人の方が大佐で偉い人らしい。金髪の男の人にはなんとなく見覚えがあった。
 席を移動したハボックはタバコを銜えて、手持ち無沙汰なアルフォンスに言った。
「アルフォンスは……顔は兄ちゃんに似てるけど、中味はあんまり似てないな。お前の兄ちゃんとは時々話すけど、天才すぎて理解不能なとこあるからな。アルフォンスはこっちには一人で来たんか。……親が心配してないか? イーストシティは他の都市と比べると治安はいい方だけど、土地勘のないガキが一人で行動するのは止めた方がいいぞ」
「そうですね。でもボクの事より一人で暮らしている兄さんの方が心配ですから、思い切って来てしまいました。兄さんは忙しくて滅多にリゼンブールに帰ってきてくれないんです。立派な仕事をしていても兄さんはまだ子供なのに。何かあっても側にいないから判りません。心配なんです。ちょくちょく帰ってきてくれればいいんですが、仕事が忙しいのでは無理も言えなくて……。それでボクの方から来てみたんです」
 ロイが肘をついて顎を支えながら言う。
「確かに鋼のは故郷にはあまり帰らないようだな。帰れない理由でもあるのか……。研究は都会の方が勝手がいいが、田舎でもやろうと思えばやれない事はないだろうに」
「そうなんですか?」
「錬金術の研究には色々素材や資料が必要だから、都会の方が何かと都合がいいのは本当だ。しかし田舎に引っ込んでいる錬金術師も少なくない。ガキのくせに鋼のは頑に一人暮らしを望み、そうしている。家族に問題がある訳じゃないのに。何かしら理由がありそうだな。アルフォンスは心当たりはないか?」
「いいえ、知りません。兄は……仕事が忙しいの一点張りで。何か理由があれば判るはずなんですが、最近は兄さんが何考えているかちっとも判らなくて。……それより『鋼の』って……兄さんの事ですよね? どうしてそう呼んでいるんですか?」
「エドワード・エルリックの国家錬金術師の銘は『鋼』だ。だからそう呼んでいる。以前エルリックと呼んだらおかしな顔をされて、銘で呼んでくれと言われた。以来銘の方で呼んでいる」
「どうして兄さんが『鋼』なんですか? 銘は判りましたが、それが『鋼』な理由が判りません。そんないかつい銘を抱く印象が兄さんにあるのかなあ……」
 アルフォンスの疑問にロイもさあ? と首を傾げた。
「それが私にも判らないのだよ。銘は大総統がそれぞれの国家錬金術師に与えるものだが、鋼のは自分から銘を申請したのだ。銘を自分で名付る国家錬金術師はいないというのに。至上最年少年齢一桁の国家錬金術師も初めてなら、銘を自分で希望した者も初めてだ。普通ならそんな事は許されないが、大総統は面白がって承諾した。まあ銘など形式に過ぎないからどうでもいいと思われたのかもしれんが」
「兄さんて何考えてそんな事言ったんだろう?」
「さあな。だが鋼のは私と出会った時からそう名乗っていた。『鋼の錬金術師』と」
 果てなく拡がる青空の下、寝転んだ小さな子供はそう名乗った。その時からロイにとってエドワード・エルリックは鋼の錬金術師以外の何者でもなかった。疲れの残る顔だったが安堵と満足が浮かんだ表情は、自分のすべき事をした人間の顔だった。
 しかし今のエドワードはその顔を見せない。
 ロイはエドワードを小さいと思っても、弱いと思った事は一度もない。幼い身体に嵌め込まれた魂はまさしく『鋼』だ。鋼の錬金術師とはよく言ったものだと思っていた。
「……鋼のがそんな事を言い出したので誰もが驚き、後見人のハクロ将軍も焦っていた。後でその事を叱ると、鋼のは、
『大総統はこの程度の事、無礼だとは思わないでしょう。あの方の目的は軍に忠誠を誓う優秀な国家錬金術師の獲得ですから。忠誠を欠かない限り、無礼だと叱咤される事はないと思います』
…と、平然と言い切った。……まるで大総統の性格を呼んだかのような言いぐさだった。鋼のは大総統とは面識がない筈なのだが。振る舞いも平然として全く子供らしくなかった。あれが九歳とは冗談にしかならんが、事は冗談ではなく現実だからな……。私も鋼のの実技試験を見学したが、堂々として見事なものだった。態度もそうだが錬成も隙がなくて一流と言ってもいいだろう。例の鋼のが起こした奇蹟の錬成……列車事故を救った件を見ていたので力は疑わなかったが、まさか中味までああだとは思わなくて、振るまいには感心させられた。大勢の大人の前でも怯む事も気負う事もない態度。あの肝の太さは生来のものか。不思議な錬金術師だ。あの年であの錬成力であの錬成方法。どんな教育を受けてきたのか、興味を抱いたのは私だけではない。……が、いくら調べても何も見つからない。師もいなければ近くに教育機関もない。優秀な錬金術師と言われている父親は幼い頃から不在ときている。父親の英才教育の結果というだけでは理由には薄い。謎が謎を呼び、だが鋼のは周囲の雑音など聞こえないかのように自分の目的だけを達してきた。母親を助け結果を出したら、後は用済と言わんばかりにセントラルに全てを置いてきた。実績をあげたのだし、望めば研究機関をまるまる一つ貰う事もできただろう。だが鋼のはあっさり研究結果を捨てた。その態度はとても子供には思えない。……君のお兄さんが何を考えているのか知りたいのはこちらも同じだ。家族が判らないのでは私達に判る訳もない。しかし鋼のが何を考えているのか、私は知りたいと思っている。……よければ君の知っているエドワードを教えてくれないか?」
 ロイの本音にアルフォンスもはただ驚く。ロイの語るエドワードはアルフォンスの知らないエドワードだ。知っている筈の兄の知らない部分を指摘されて、アルフォンスはお腹にモヤモヤしたものを感じた。
「兄さんは……国家錬金術師になる前は、ボクと同じちょっと錬金術が使えるだけの『普通』の子供でしたよ。父さんが出て行ったのはボクが四歳の頃でした。ボクは父さんの顔も覚えてませんが、兄さんは覚えていて、だからこそ余計に出て行ってしまった父親の事が許せないんだと思います。兄は父を嫌っていました。父がいなくなって母は寂しそうでした。ボクらが錬金術に嵌まったのは、大好きな母が喜んでくれたからです。父さんの残した本や資料でボクらは錬金術を学びました。……けれどマスタング大佐のおっしゃる通り、それだけでは国家錬金術師になれないと思います。当時のボク達は錬成力も今と比べものにならないほどお粗末なものでした。何故兄さんがあんなに力をつけたのかボクも不思議です。そんなのありえない筈なのに……。もし兄さんが変わったとするなら、それはやっぱり母さんの為です」