モラトリアム
第ニ幕


第二章

#08



「御迷惑じゃなければ御一緒させていただきます」
 可愛い声で言われてロイは兄弟なのにこうも違うのかと思った。
 たまに顔を合わせるエドワードに「お茶でも付き合いたまえ」と言うと、返ってくる言葉は「野郎と茶ぁ飲んで何が楽しいんだよ。遠慮する」…だ。

 確かにロイだとて野郎と茶を飲む趣味はないが、同じ国家錬金術師なのだから少しは会話しても良さそうなものだと思う。
 実はエドワードがどんな研究をしているのか、ロイはよく知らない。エドワードはハクロ将軍を後見人にしているので、ロイはあまり口を挟めないのだ。ロイ自身も多忙で一個人に構っている暇はなかったので、エドワードはほぼ放置状態だ。たまに会えばそっけない態度しか見せてもらえない。
 普段のあの子は何をしているのだろう。 遊んでいて研究をサボっているのかもしれないし、逆に仕事ばかりして子供らしくない生活を送っているのかもしれない。
 プライベートに関わりたいとは思わないが、現在何をしているのかお茶を飲みながら世間話でもするのはやぶさかではない。錬金術師には錬金術師にしか判らない話題もある。中央で発表される錬金術学会の発表の検討などもしたい。錬金術師はエドワード以外におらず学術的会話を交せる人間がいないのだ。
 だがそんなロイの考えなど知らず、エドワードはロイと一線を引いている。
 エドワードがロイを良く思っていないハクロ将軍の下にいるせいもあるかと思う。ロイの傘下にいる者達はエドワードをハクロの狗だと思っている。
 エドワードと親しくなれば色々痛くもない肚を探られるかもしれない。
 だがエドワードと話してみると別段ロイを警戒している風ではない。内に踏み込むのを是としない様子はあるが、上層部や同輩がロイを嫌うようには嫌っていないらしい。それどころか言葉の端々にロイを認めているフシがある。 
 だがそれまでだ。それ以上をエドワードは踏み込ませない。まるでそうしてはいけないと決めているように。


「大佐。……何処に行こうっていうんスか? ホークアイ中尉が探してましたよ」
「う……ハボックか」
 ロイを追い掛けてハボックが司令部を出てきた。
「早く戻らないと中尉に撃たれますよ。アンタが撃たれても別にかまいませんが、とばっちりで残業になるのはいい加減にして欲しいんスけど」
 ズケズケと遠慮のない言いぐさにロイは苦い顔になるが、側におっかない副官がいないのを確認してホッとする。
「ハボック。仕事は戻ったらちゃんとやるから今は見逃せ。……客人の前だ」
「客? ……あれ、この子は誰っスか? 大佐の親戚の子ですか?」
 ハボックがロイよりも高い背を丸めて下を見る。
「鋼のの弟だ。兄を訪ねてわざわざ一人でリゼンブールから出てきたそうだ。私とこれからランチタイムの予定だ」
「へえ。大将の弟。……そういや面影が似てるな。エドの方が生意気そうだが。よろしくな、オレはジャン・ハボック少尉だ。……以前一度会った事あるけど覚えてるか?」
「あ……はい。確か兄さんを迎えにきた人でしたよね。顔はよく覚えてなくて……けど、大きな金髪の人だった事は覚えています。いつも兄がお世話になっています」
 素直に頭を下げるアルフォンスにハボックは破顔した。
「うわ、兄ちゃんと違って礼儀正しいな。エドを見慣れるとガキってみんなこんな突飛で無礼だったっけと思っちまうけど、アイツが極端なんだよな。可愛い奴ではあるが訳判んないとこあるし、何しろ生意気で時々可愛くないし、上官だし……色々扱い注意だけど、弟は兄と違って普通に可愛いじゃねえか。一人でリゼンブールから来たって? あの綺麗な母ちゃんは一緒じゃねえのか?」
「はい、母は家にいます。こっちにはボク一人で来ました」
「可愛い子には旅をさせろってか? エドといい、独立心ある家庭なんだな」
「そういう訳ではないのですが。……逆に兄が全然帰って来ないから、心配になってきてみたんですけど」
「そういや、エドって滅多に家に帰ってねえみたいだな。ガキなのにママのおっぱいが恋しくないのかね。マザコンでブラコンくさいのにどうしてか家に帰らないな。何でだ? 理由あんのか?」
「それが判れば苦労はしませんよ。……兄はボクに何も話してはくれないんです」
 頭を垂れるアルフォンスの頭をハボックがポンポンと叩く。
「まあ……ガキはガキなりに考えた結果なんだろう。判らないならしつこく食い下がってエドに聞けばいい。兄弟なんだから嫌がられてもかまうことないからいっぱい質問してやれよ」
「できればそうしたいんですけど……」
 タバコ臭いハボックの手にアルフォンスは鼻をひくひく動かす。ピナコに喫煙の習慣があるのでタバコの臭いには馴れていた。
 ロイがハボックの背後を気にして言う。
「こんな場所で話していると中尉に見つかるではないか。ハボック、車をまわせ。川沿いのカフェに行くぞ。送れ」
「うえっ。大佐の逃亡の手伝いをしたなんて中尉にバレたらオレまで同罪になるじゃないスか。そんなの嫌っスよ」
「うるさい。上官命令だ。聞けないなら減棒だぞ」
「相変わらず横暴ですね。……まあエドの弟も来ている事だし、言い訳にはなりますね」
 チラと見られたアルフォンスが慌てて言う。
「あの……お忙しいならボクは一人で何処へでも行けますので……」
「気遣いできんのか、偉いなボウズ。……けどこの人のサボり癖はいつもの事だし、ボウズが来ようが来るまいが息抜きに外に出る事にはかわりがない。大佐はそういうところドライだから、本当に忙しい時はガキなんか放っておくさ。だから今は本当に(中佐なりに)忙しくないって事さ」
 気安いハボックの言葉にロイが不機嫌になる。
「ハボック。貴様さっきから上官を敬う心に欠けた言動ばかり目立つぞ。不敬罪でしょっぴくぞ」
「大佐。だったらこれからはサボらずに毎日机に向かって下さい。ついでに書類を溜めないで下さい。ついでに尊敬できる上官になって下さい」
「なにが『ついで』だ。鋼のといい、私の周りには上官を敬おうという控えめで優秀な部下はおらんのか」
「上官を敬わない優秀な部下なら沢山いるじゃないスか。大佐もエドから尊敬されたければ女遊びを止めたらどうスか? 大佐が毎回違う女連れて歩くのを見るエドの目が冷たいのは自業自得です。穢れなき子供の目に大佐の行動はろくでなしに映ると思います」
「お前もだ。鋼のは一応あれでも上官なんだぞ。呼び捨てはないだろう」
 そうは言われても、とハボックが頭を掻く。
「しかし今更ちゃんちゃらおかしくて『錬金術師殿』なんて呼べませんよ。エドだってそのままでいいって言いますし」
「鋼のは所詮軍属だからな。軍の規律の厳しさを知らんのだ。東方司令部ではいいかもしれんが、他所の奴らに聞き咎められたら厄介な事になるぞ」
「あ、その点なら大丈夫です。エドのやつTPOをわきまえてるっていうか状況判断が冷静というか、外面はけっこうイイコちゃんスから。東方司令部と他所じゃ随分態度が違いますよ」
 ロイは顔を顰めた。
「そういえば鋼のは私の前でもクソ生意気ないい態度だしな。なのにハクロの前ではイイコちゃんぶってるらしい。……何故だ?」
「さあねえ。大将ってイマイチ考えてる事が判らないんスよね。悪い奴じゃないし可愛いとこもあるけど、何考えてるのか底が見えなくて」
「お前もか。……鋼のはどうにも本心が読めなくて胡散臭い」
「胡散臭くても所詮は十二歳のガキっスよ。自分の頃と比較してみて下さいよ。十二歳っつったら一人前の面してても結構周りが見えてなくて視界が狭くて、後から赤面しながらガキだったなあって思う時期っスよね。しかしエドはイマイチ十二歳っぽくないっつーか」
「鋼のは今日から十三歳だ」
「え、エドの奴、今日誕生日なんスか?」
 ハボックが素で驚く。
「だから弟がわざわざ田舎から出てきたんだ」
 ハボックがそうなのか? とアルフォンスに聞く。
「はい。今日、兄さんの誕生日なんです。折角の誕生日に一人きりで、祝ってもらう人間がいないなんて寂しすぎます。だからボクが来たんですけど、兄さん今家にいないみたいで……」
「あー。エドの事だから図書館じゃねえの? もしくは公園で鳩に喧嘩売ってるか、軍の運動場で身体動かしてるか……。今日は来てないみたいだけど」
「兄さん軍で運動してるんですか?」
「まあな。篭ってばっかじゃ身体が鈍るとか言って、格闘技指導の教官を掴まえてそれなりに身体をつくってるらしい。あんまりガキの頃から筋肉つけちまうと背が伸びなくなると言ったら、真顔で考えてたけど。……でも強くなりたいっていう心意気は立派だぞ。お前の兄ちゃんは頭だけじゃなく喧嘩も強いんだな。まだ十二歳だから大人には適わないが、それなりに強いぞ。たぶん同じ年頃のガキなら負け知らずだろうな」
「ええ、兄さんは努力家ですから。……でもボクも同じくらい強いつもりなんですけどね。……兄さんいつのまにそんなに強くなってたのかな……」
 最後のつぶやきは小さかったのでハボックには聞こえなかった。
「エドも今日から十三歳か。……でも弟とあんま背が変わらないかな」
 ハボックは胸の前で手を翳し、アルフォンスと比べる。
「この間のボクの誕生日の時に帰ってきた時には、もうボクの方が大きかったですよ。兄さん、村の子供達の中じゃ一番のチビだし。牛乳嫌いだから背が伸びないんです」
「ああ、あの分泌物扱いするアレね。エドは背の事言うと怒るけど、怒るくらいなら牛乳飲めばいいのにな。時々オレの背を見て恨めしそうに『無駄に図体ばっかりデカくなりやがって。資源の無駄だ』とか口の減らない事言ってるぞ。拗ねるのは可愛いが、口が達者で言動が可愛くないったら」
「すいません、兄さん自分に素直過ぎて周りに気を遣わない人ですが、悪気はないんです。ムカついたらポカリとやっちゃっていいですから」
「君の兄ちゃん結構強くてポカリとやったら錬金術で報復されそうだがな。両手でパン、でアチコチ変形させられちゃ大変だ」
「すいません。兄さん、何かやったんですね」
「まあ……いつもの事だし」
「いつも……ですか。本当にすいません……」