モラトリアム
第ニ幕


第一章

#05
◇エドワード独白◇
『アルフォンス』



『あれ』から二年が経って母さんの安全を確信した後、オレは独り立ちした。十一歳の時だった。
 イーストシティに住む際に、オレは家を一件借りた。
 一人で暮らすには広すぎるが、一つ所に長く留まれば研究資料はあっというまに増える。オレはシェスカのように本に囲まれる生活を送った。つかの間の平和だった。
 どうして家族と暮らさないのかと皆に聞かれた。

 何故か。
 答えは一つしかない。

 アルフォンスの側にいたくなかったのだ。



 母さんとリゼンブールに帰ったオレはしばし家族の団欒に浸った。幸福だった。母さんがいてアルフォンスがいる。平和で潤い満たされ、世界は輝いていた。
 でも、家にはあの鎧があってオレを常に責めるのだ。
『お前は何をしているのだ』と。
 自分が罪人である事は片時も忘れられなかった。
 だから予定通り村を出た。
 現在のアルフォンスを否定しているのではない。ここにいるアルフォンスだって間違いなくオレの大事な弟だ。
 ただ、今のアルフォンスを見るのが辛かった。母と弟と一緒に暮らし、それに馴れてしまう自分が恐ろしかった。
 あの鎧の姿にしてしまったアルフォンスの記憶を欠片も薄めたくはなかったのに、現実のぬくもりが記憶のささくれを丸め、喪失と悲劇の苦痛を曖昧にしてしまいそうだった。
 アルの言った言葉、アルの声、アルの優しさ、アルの冷たい鉄の身体と旅をした三年間。
 ……苦しくにがく辛い日々ではあったが、弟といられた時間は確かに自分にとっては幸福の日々だった。
 互いしかいない時間の中でオレ達は禁忌のように愛しあった。
 お互いしか見えていなかった。右手と引き換えた事でアルフォンスはオレだけのモノになった。弟の愛はオレだけの上に降った。
 アルは鎧で、その事を言い訳に互いの距離を縮めた。禁忌にまみれすぎて何が禁忌か判らなくなっていた。
アルの無骨で器用な指に触れてもらい、異様な歓喜に堕ちた記憶は確かに残っているのに。それなのに今の自分の幸福を疑わない悲劇を知らないアルフォンスと共にいると、あれは夢だったんじゃないだろうかと錯覚しそうになる。
 確かに未来はあったのに。魂だけのアルフォンスと互いの身体と魂で愛を確かめ合ったのに。なのにオレの側に鎧のアルフォンスがいなくて、何も知らない子供の弟がいるというだけで、オレは自分の罪を薄れさせた。決して忘れてはいけない大罪を、忘却という箱の中にしまいこみそうになった。
 だからオレはリゼンブールにはいられなかった。
 理由は山とあれど一つだけに絞るなら、

『自分の罪を忘れる罪を犯したく無かったから』…だ。

 完全に忘れてしまうなんてできない。故郷に帰ればアルフォンスがいて、そしてオヤジの研究室には『あの鎧』があった。
 どうして家にあったのかよく判らないオヤジのコレクション。あの鎧の中にオレは血で錬成陣を描いたのだ。
 鎧の中を確認した。勿論錬成陣なんてどこにもなかった。その事にガッカリして、安堵して悲哀を感じた。
 アルがいない。
 オレの弟がどこにもいない。いるのにいない。
「兄さんを愛している。ずっと側にいるよ」と誓ったオレの鎧の弟が何処にもいないのだ。
 悲しい。ただ悲しい。
 寂しい。寂しいのは冷たい。
 だけど温まる事は許されないと思った。アルフォンスは冷たい鎧のまま死んだのだ。オレ一人がのうのうと生き延びて、何事もなかったかのように幸せになるなんて許されるわけがない。
 けれどオレが不幸になったところでアルフォンスが生き返るわけじゃないし、オレが不幸になれば自分の事のように悲しむ家族がいる。母と弟の前ではオレは自信と希望に満ちた子供を演じなければならない。
 でも……正直演技する事はしんどかった。家族の側にいられるだけで幸福で。
 それなのに鎧のアルフォンスの事を思うと笑顔は強ばり胸が張り裂けそうになる。その相反する気持ちがオレを不安定にした。
 そしてオレは故郷を離れた。孤独こそがオレに相応しかった。
 つまるところオレは現実が辛くて逃げたのだ。
 家を出た後、様々な理由をつけ、オレは故郷に戻らなかった。理由がなければ家に帰れなかった。
 帰るのは正月と母さんとアルフォンスの誕生日だけだった。母さんとアルフォンスに寂しい思いをさせているのだから、せめて誕生日くらいはじかに祝いたいという罪悪感と義務感だった。
 オレの罪はオレだけのもので、それにつき合わせて家族に寂しい思いをさせるのもまた罪だった。帰る度にウィンリィに「どうして帰ってこないのよ、薄情者!」とスパナで殴られるのはいただけないが、家族に寂しい思いをさせているので甘んじて受けた。
 オレの誕生日には一度も帰らなかった。帰れなかった。母さんとアルフォンスの笑顔が痛かったからだ。愛されれば愛されるほどにオレの痛みは胸を刺した。愛される資格がない事をオレ自身が知っていたが、愛さないで欲しいなんて言える筈もなかった。