第一章
オレが助けようと決めた人間は母さんを除いて他に二人いた。
ニーナとヒューズ中佐だ。
オレはセントラルに来て、ヒューズ中佐と会った。
こっちの世界のヒューズ中佐は勿論生きていて、セントラルに来たオレに気軽に声を掛けてきた。
「お前さんが噂のチビっ子錬金術師か? ……うわ、マジにガキじゃねえか。本当にコイツが国家錬金術師になるのかよ?」
ロイから何か聞いていたのだろうと思う。
ヒューズ中佐は始め探るようにオレを見て、次いで破顔した。
「……ヒューズ中佐……」
突然の対面に、オレは中佐を見上げて言葉が出なかった。懐かしい人。二度と会えないと思っていた人がそこにいた。
死んだなんて言葉で聞いても納得できなかった。未亡人となったグレイシアさんの顔を見るのが辛かった。
それが嘘みたいに前のまま変わらない姿でそこにいた。四角いメガネもヒゲも全く同じだ。過去に戻ったという事はこういう事だ。死んだはずの人間が生きている。
ヒューズ中佐が生きている事を考えていなかったオレはうっかりし過ぎだった。心の準備ができていないので、会っても何と言っていいか判らない。この世界のオレ達は“初対面”なのだからそういう顔をしなければならないのだが、オレは顔が作れなかった。どう演技して良いか分らず立ちつくした。
言葉も出ず突っ立っているだけのオレの頭を、ヒューズ中佐はガシガシと撫でた。
「ちょっ……ヒューズ中佐、痛いって」
「おや、オレの事知ってるのか? でも間違いだ。オレは中佐じゃなくて少佐だぞ。ボウズの身長じゃ肩の星の数は見えないか」
「さりげなく人をチビ扱いすんなよ。……そっかまだ少佐なんだ。(六年前だもんな)……マスタング中佐と同じ年だから階級も同じだと思ったんだよ」
「まだ、とか言うなよ。同期の中じゃ出世頭なんだぞ。一番の出世頭はロイの奴だけど。……ロイの事は知ってんだろ? オレとアイツはダチなんだ」
「うん……知ってる」
「おや、本当に知ってるみたいだな。誰かに聞いたのか?」
「……ちょっとね」
「煮え切らねえな。……けどロイの奴が国家錬金術師最年少記録の大幅書き換えだと言っていたが、マジでボウズが国家錬金術師になるのかよ? 九歳だって? ボウズは本当に錬金術なんて使えるのか? あのデタラメでキテレツなマジックビックリショーを錬成陣…だっけ? アレを書いただけでできるのか? ロイの言葉を疑うわけじゃねえが、ちょっと小さすぎやしねえか? ガキのお遊戯じゃねえんだぞ」
疑いいっぱいの目で見られたが、会う軍人達みんなに同じように見られていたのでまたかと思っただけだ。
ヒューズ少佐の目はバカにしてるというんじゃなくて、ただ事実が信じ難いといった常識人の目だった。錬金術を知らない一般人から見たら、錬金術は確かにマジックショーだろう。
説明するのも面倒なのでオレは「まあ、見てな。一発合格するから」と、言い切った。
不遜なオレの態度にヒューズ少佐は驚いた。
「へえ。自信満々だな。ボウズはそういえば陸橋の崩落を止めたんだっけか。勢いだけじゃなく本当に実力あるみたいだな。……新聞で見たけど、おまえすげえな。錬金術師っていうのはマジでデタラメだ。皆あんな事ができんのか?」
オレの何処にそんな力があるのかと、探るようにヒューズ少佐はオレを見た。
「ロイ・マスタング中佐だって錬金術師だろ。同期なら見た事あるんだろ。イシュヴァールでも一緒だったって聞いたぞ」
「……誰に?」
瞬間刃物の冷たさを見せたメガネの奥の瞳に背中を撫でられて、オレはゾクリとした。さすがあのロイの親友をやるだけの事はある。笑顔の下の鉄の精神は本物だ。その若さで佐官になるだけの事はある。イシュヴァール戦争が終ってまだ一年だ。二人にとってイシュヴァールはまだ鬼門か。
そういえばオレは戦争直後の大佐を知らない。初めて会った時は自分の事で頭が一杯だった。イシュヴァールで人の命と自分の矜持を削ったあの男の目に車椅子の上で絶望していたオレはどう見えたのだろうか。
オレはヒューズ少佐に睨まれても目を逸らさなかった。底冷えする瞳も恐ろしいとは思わない。本当に恐ろしいのは目を逸らした時に視界の外で起こる事だ。
「ロイ・マスタング……に聞いた」
「アイツがイシュヴァールの事を話すはずが無い。……誰に聞いたんだ」
別人のような声が痛かったが、正直に言った。
「嘘じゃないよ。焔の錬金術師に聞いたんだ。……嘘だと思ったらアイツに聞けよ」
ヒューズ少佐は変な顔をした。
オレの表情に嘘がないのが判ったのだろう。
だがヒューズ少佐もロイが軽々しくイシュヴァールの事を話すはずがないと信じている。
イシュヴァール戦争の傷は未だロイの中に生々しい傷跡として残り、癒される事はない。こんな子供に冗談でも漏らす筈がないのだ。
確かに『今』のロイはオレにはまだ何も話してはいないし、会ってからロクに会話もしていない。
ヒューズ少佐がロイに聞けば偽りはバレる。
しかし『六年後』のロイから聞いた話なのでオレの中では嘘ではない。
オレは真直ぐ中佐を見た。
「中佐……じゃなくて少佐が信じないのも判るけど…………嘘はついていない。これ以上は言えないけれど、オレはヒューズ少佐には嘘は言わないよ」
オレの言葉に某かの重みを見たのか、ヒューズ少佐は言葉に詰まりそれ以上何も聞かなかった。
気まずくなった空気を変えるようにヒューズ少佐が笑顔を取り戻す。
「……そうだ、ボウズ。お前が国家錬金術師になる理由って……病気になった母親を治療する為なんだって?」
「うん」
「どんな病気か聞いてもいいか?」
「マスタング中佐から聞いてないの?」
「詳しくは」
「『突然性骨髄リンパ変異症候群』……突然性の血液の病気だ。原因は骨髄の異常。詳しく説明しても素人じゃ判らないと思う」
「そいつはまた大変な病気のようだな」
「死亡率約九十パーセント以上。つまり殆ど助かる見込みはない。助かる為にはどうしても新しい特効薬が必要なんだ」
「新しいって……まだ無いって事か?」
「あればとっくに母さんに使っている。無いからオレがこれから作るんだ」
「これから作るって……作れるものなのか?」
医者や薬剤師や薬学の研究者達が未だ完成に至らない物を、たかが九歳のガキが作れる筈がないという目で見られた。
「作れる作れないの問題じゃない。……作るんだよ、絶対に。母さんが助かる道は他にはないんだ」
「……そうか」
母を失いたくないガキの必死の背伸びに見えたのか、ヒューズ少佐の目に同情が浮かぶ。
「オレに何かできる事があるか? 薬や医者関係にはあまり詳しくないが、できる事があれば手を貸すぞ」
「ありがとう。……じゃあさ、オレが国家錬金術師になったら母さんをセントラルの病院に入院させるんで、グレイシアさん共々見舞ってくれないか? 母さんはこっちに知り合いがいないんで、独りぼっちの寂しい入院になると思う。オレは開発で忙しくなるだろうし」
自分で言って妙案だと思った。母さんはセントラルに誰も知り合いがいない。オレは国家錬金術師になったら研究開発に奔走するだろう。となると母さんは独りぼっちだ。病は気からと言う。気持ちが落ち込めば病気の進行も早まるかもしれない。グレイシアさんならきっと母さんの良い友達になれるだろう。そう思ったが。
またもやヒューズ少佐が変な顔をした。
「グレイシアって……。何でオレが来月結婚する婚約者の名前をお前さんが知ってるんだ?」
「…………来月結婚……ってまだ独身?」
まだ結婚してなかったらしい。ヤバい。時間を読み違えた。オレが出会った時にはとっくに結婚して奥さんのお腹も大きかったから、独身時代のイメージがなかったのだ。そういや初めて会ったのは十二歳の時だ。今から約三年後。またもやウッカリミスっちまった。
「マ、マスタング中佐に聞いたんだ。……親友が会う度に婚約者の写真を見せて『グレイシアはセントラル、いやアメストリス一の美人だ』とか『オレの側に女神がいる。グレイシアと出会えたのは奇蹟だ。運命だ』とか『この幸せは運命の人に出会えばきっと判る。だからお前も早くいい人見つけて結婚しろ。オレは世界一の幸せ者だ』とか、散々惚気を聞かされて耳にタコができるどころか、電話口で相手を灼き殺す錬金術を開発したくなるって言ってたから」
嘘八百だがたぶんきっと間違っていないと思う。
「へえ。本当にロイから聞いたみたいだな。……アイツもガキに何を言ってんだか。……そうだ、ボウズもグレイシアの写真見るか? この世のものとは思えないほど美人だぞ」
やっぱりね。結婚前からヒューズ少佐はヒューズ少佐のままだ。
持ち歩いていたグレイシアさんの写真はちょっとだけ若くて、髪が長かった。
「花屋さん?」
グレイシアさんの後ろに沢山の花が見えた。
「グレイシアは花屋でバイトしてたんだよ。それをオレが一目惚れして……くうぅっ。思い出すだけでその時の衝撃が!」
拳を震わすヒューズ少佐は危ない人カテゴリーに入りそうだった。でもきっとグレイシアさんの前では格好つけてたんだろうな。
「結婚……おめでとうございます」
「おお。サンキュー。結婚して夫婦になったらボウズの母ちゃんの見舞いに行くからな。……夫婦だって。ふ・う・ふ。…………ぐふふふふ。……ふうふ。……素敵な響きだ」
ヒューズ少佐が壊れかけている。そんなに結婚できる事が嬉しいのか。グレイシアさんも女冥利につきるよな。けどこんな顔のマース・ヒューズを見たら恋も冷めると思うから、グレイシアさんの前ではカッコイイ姿のままでいて欲しい。
「……ボウズじゃなくてオレはエドワードだ。エドワード・エルリック。みんなエドって呼ぶよ」
「エドワードか。……エドワード・エルリック。いい名前だな」
またもガシガシ頭を撫でられてオレは鬱陶しそうな顔をしてみせたけど、本心ではとても嬉しかった。
「そうだ、エド。お前もオレ達の結婚式に来いよ。グレイシアを紹介するから。グレイシアは写真よりもっと美人だし優しい女だぞ」
「うん。(知ってる)……時間があったら行くよ。母さんを呼んだり仕事の段取りをつけなきゃいけないから忙しいけど、何とかする」
「おお、もう国家錬金術師になった後の事まで考えてるのか。でもこれで落ちたらどうするんだ?」
「オレが落ちる? んな訳ないだろ」
「自信満々だな」
「当然」
オレはグッと親指を立てた。
六年前でもヒューズ中佐(少佐)は全然変わらなくて、あんまりに懐かしくて泣いてしまいそうになった。死んでしまったなんて信じられない。
この世界のヒューズさんは生きている。助けようと思えばオレが助けられるのだ。それに気が付いて歓喜した。グレイシアさんやエリシアはヒューズ中佐を失わずに済むのだ。
そうしてオレはヒューズ少佐の運命も絶対に変えるのだと決意した。
その時は何でもできると過信していた。母を助けヒューズ少佐を死なせないと決意した。それができると、己の力を信じていた。
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