第一章
オレはハクロ将軍預かりとなった。
錬金術師というものの使い方を戦争でしか知らないハクロ将軍だったので、オレは将軍に泣き付いてセントラルの医療研究所に自分のチームを貰う事にした。
母さんを治すにはどうしても軍の力が必要だった。
軍でも母さんが冒された病気の研究はしていた。けれど研究は伸び悩んでいた。もともとはドクターマルコー指揮下の研究だった。しかしマルコー氏はイシュヴァール戦争に狩り出された後姿を消し、優秀なドクターの手を離れた開発は半ば頓挫していた。
もう少し時間が経てば後任の学者が来る事は知っていたが、それでは間に合わない事も判っていたので、強引に捩じ込んでオレはマルコーの残した全て引き継ぎ、陣頭指揮をとって治療薬の開発に当たった。
国家錬金術師の後押しと将軍の御墨付きを得て、研究は飛躍的展開を見せ、一年で結果を出した。
母さんを実験材料に使うのは嫌だったが、最新の技術と薬で治療を受ける条件なのだから仕方が無い。
治療薬の完成品(オレが元いた時間軸の中で開発されたものだ)の化学式はオレの頭の中にあった。オレはそれを現在開発途中の薬と照らし合わせ、正解に導くように周りを引っ張って薬を完成させた。
しかし研究は平穏無事というわけでもなかった。
全てを知っているから開発自体は易しいが、オレの年齢が邪魔をした。
始めは周りに言う事を聞かせるのが楽ではなかった。
いくら国家錬金術師とはいえ九歳のガキの指揮下では不安なのも判る。
しかし周りの思惑を斟酌している時間はなかったから、環境改革は強引に進めさせてもらった。オレを甘くみたり意見を聞かず逸脱して動く者もいて、そういう人間をどんどん切り捨て、従順な人間だけを側に残した。人員の入れ替えに苦労はしなかった。優秀な人間はそれほど必要ではなかったからだ。ただオレの言う事を忠実に聞ける部下だけが必要だった。優秀な学者達が揃っていたが必要なのは頭脳ではなかったので、オレにとっては誰であろうと単なるアシスタントだ。開発の重要な部分は一人でこなした。
周りと調和をとる必要はなかった。子供らしい顔を見せれば隙を伺う人間に足を掬われるだけだと判っていたので、オレは傲慢で鼻持ちならない天才を装って周りを見下した。
オレはかなり強引で傲慢だったから色々陰口を叩かれたりしたけど、そんなのは知ったことではなかった。
プライドばっかり高い研究者などオレの敵ではなかった。だてに三年も旅生活をして大人に揉まれてきたわけじゃない。外で「軍の狗」と罵られるより世間知らずの学者相手の方がよっぽど楽だった。
反発は権力と理論で押さえ付けた。
オレがいくら生意気で煙たくてもオレの率いるチームは確実に成果をあげていたので、誰にも表立っての文句を言わせなかった。
一刻一刻と進む病状に焦りを感じながらオレは焦りを隠し冷静な仮面を着けて、最大限の努力をした。
薬は半年で完成させた。それからそれを母さんに投与し、データーを取るのに更に半年。合計一年で完成というわけだ。それが国家錬金術師初年度の査定となった。
たった半年ではデーターとしては不足だが、オレの目的は母さんの病気の治療だったので、治ってしまえばこっちのものだし、何よりオレは未来を知っていたのでその薬が間違い無く完成品だと判っていた。
努力のかいあって母さんは無事病気を完治し、三年後の今では何事もなかったかのようにリゼンブールでのんびりと暮らしている。
母さんの生還がオレの目的だったから、母さんが健康になった時に軍を辞める事も考えたのだが、色々考えた末、国家錬金術師を続ける事にした。
一年で結果を出したオレは賞賛された。元々マルコー氏の研究をなぞっただけなので殆ど盗作だから正直にそう言ったのが、結果を出した事には変わりがないので由とされた。例え引き継ぎでも成果は成果だという事だ。逆に謙遜するなんて欲がないと言われた。(謙遜ではなく本当に盗作なのだが)
成果をあげて、オレの頭脳がどうやら本物らしいと初めて皆がオレという個人に注目し始めた。単なるイロモノではなく使えるイロモノだと気が付いたのだ。
薬の研究が終り、母さんの治療にこれ以上の開発がいらないと判った時点でオレは研究所を辞めた。
研究はまだ未知の部分もあったので残留の声が大きかったが、オレはそこにいる意味を失っていた。研究は引き継ぎの人間に任せた。いつまでも薬の研究ばかりはしていられなかった。
周囲の雑音が面倒だから、研究所を辞める際もハクロ将軍に口添えを頼んだ。将軍はオレが結果を出したので御機嫌だった。オレの名前が浮上し、後見人たるハクロ将軍も大総統からお誉めの言葉をいただいたからだ。
残りの研究は引き継いだ人間のものにし、そいつの名前で発表しても構わないという条件にしたら、あっさり後任は見つかった。そういうわけで研究所は割合簡単に辞められた。
その後も国家錬金術師を続けた。
優秀な人材を手放したがらない軍の意向を知っていたし、これから何が起こるか判らないので保険が欲しかったというのもある。
今は母さんもアルフォンスも平穏無事に暮らしているが、これからまた何が起こるか判らない。また病気になるかもしれないし、事故にでも巻き込まれるかもしれない。国家錬金術師でいれば金銭には不自由しないし、何より権力がある。軍は嫌われものだがその支配力は大きく国中に行き届いている。国家錬金術師であれば少佐相当の身分が保証される。権力を振りかざすつもりはないが、何かあった時の為に力はあった方がいい。
そういう訳でオレは今だに国家錬金術師をやっている。
母さんの病気が確実に完治したと診断が下されたのが約二年後で、オレは十一歳になっていた。
それからオレは母さんの完治を機に住所をイーストシティに移した。
本来ならハクロ将軍のいるニューオプティンに住むか、故郷のリゼンブールで暮らすのが本当なのだろうが、諸事情により仮の住処をイーストシティと決めた。
オレは未成年だから家族と一緒に住むのだろうと誰もが思っていた。オレは母さんと一緒にリゼンブールに戻ったが、戻る前にもう手続きを済ませていた。
リゼンブールに戻りばっちゃんやウィンリィと会いアルフォンスに泣き付かれ、以前の暮らしを取り戻した後、オレはイーストシティに住む旨を皆に伝えた。
当然反対された。
国家錬金術師になるのは母さんの為という大義名分があったから反対はされなかったが、母さんの命が助かってまでなぜ国家錬金術師を続け、家族と離れるのかと誰もがオレを止めた。
だがオレは首を横に振って皆の意見を退けた。
オレがいなくなれば家には母さんとアルフォンスしかいなくなる。心配ではないのか? と聞かれた。
勿論心配だった。平和な田舎とはいえ何が起こるか判らない。子供でも男がいるのといないのでは安心感が違う。それにアルフォンスはまだ子供だ。
それでもオレは家にいたくはなかった。
表向きの理由は研究の為という事にした。
国家錬金術師になったので研究費用は足りるが、資材の調達を考えると田舎より都会の方が便がいい。場所をイーストシティに決めたのはそこが一番リゼンブールに近いからだ。セントラルやニューオプティンは故郷から遠く、何かあってもすぐには帰れない。それがイーストシティに居を構える表向きの理由だった。
ハクロ将軍を丸め込む事は簡単だった。オレはたった十一歳の子供で、病気だった母さんがいた。家族を理由にすればそのくらいの我侭はきいた。
ハクロ将軍という人は元いた時間では嫌味なおっさんくらいにしか思っていなかったが、付き合ってみるとそんなに悪い人間ではなかった。小ズルくて嫌味が多くて、ロイ・マスタングの言うとおり確かに無能っぽいが、まあ許容の範囲内だ。
ハクロという人は、なんというか、いいところのおぼっちゃんの甘さの残るエリート君がそのまま大人になったような人だ。いいところの出と育ちが傲慢さに繋がって庶民を見下しているようなところがあり、文官で戦争屋のポッと出のロイ・マスタングを嫌っているのは、まさに無能な典型的選民主義おぼっちゃまだが、我侭なのは素直とも取れ、懐柔すればそれなりに扱いやすかった。
ヒューズ中佐のような人の良さや善良さはないから基本的には嫌いだが、自分の父親と比べればはるかにマシだと思った。ハクロ将軍を好きになる要素は少なかったが、たぶん軍人でなければそんなに嫌な人間にはならなかっただろうと思うので、自分の気持ちは底に沈めてひたすら従順な姿勢をとった。もともとマイホーム型のオヤジだったから、子供の外見を健気と素直さで包めば扱いは楽だった。
ハクロのような人間は見せ掛けの善良さと内面の卑怯さと根底の臆病さと無神経さが同居している。オレを子供だと思ってそれなりに甘やかしていても、きっと権力がある人間にオレを差し出せと言われたらあっさりそうするだろう。それがイヤらしい意味だとしても犯罪だと判っていても目を瞑る。保身と打算の前ではなけなしの同情や憐憫など消える人間だ。
それが判っていたのでオレはハクロ将軍を信用する事はなかったが、表面上は従順に従った。自分を偽り我慢する事は易かった。
ハクロ将軍はロイとは違って典型的な軍人だったので、部下が有能で表面上従順なら細かい事は気にしなかった。
オレはイーストシティに行くに当たって、ハクロ将軍にロイ・マスタングの行動を知らせる事を約束した。つまりスパイだ。そういう理由があればイーストシティに行き易いと思ったからだが、ハクロ将軍はあっさり信じた。おめでたい人間で助かった。
逆にロイからはバリバリ警戒されてしまったが。オレはハクロ将軍の傘下で、マスタング大佐派とは相容れない関係だ。
けどオレは軍人ではなく軍属だったから、表立っては敵対しないでいられた。ロイ・マスタングに会う事も少なかったし正規の軍人でもなかったし、第一子供だったので周囲の目も甘かった。
だがロイには会えば必ずあの鋭い不審を含んだ瞳で見詰められた。
ロイはオレを疑っていた。ハクロの狗だと疑っていたのではない。錬金術師として、オレ個人を疑っていた。
なぜ会う前からロイを知っていたのか。なぜホークアイ中尉やヒューズ中佐を知っていたのか。なぜ何の設備も無い場所であんなレポートが書けたのか。なぜ錬成陣を書かない錬金術が使えるのか。
オレには説明できない不思議が多すぎた。
母が善良で普通の人だという事が謎に拍車を掛けた。同じく育ったアルフォンスが年相応だからこそ余計にその対比が目立った。
オレは書物から錬金術を学んだ事になっていた。けれどそれだけでは説明がつかないくらいオレは優秀だった。
だがオレは黙して語らず、ただひたすらその点に関しては知らぬ存ぜぬを通した。
水面下にやや緊張はあったが、表面上は穏やかな生活だった。オレに求められていたのは有能な錬金術師である事と、研究の結果を出す事だ。派閥抗争よりも研究の成果を出す事を求められていたので気持ち的には楽で、その点では他の軍属国家錬金術師と変わらなかった。
オレには三年の旅で得た知識があった。
目的が賢者の石だったので必要な事しか頭に叩きこまなかったが、それでも半端でない知識があったので、次に何を研究するか選択するのには困らなかった。
ただ目的がないのが困った。以前は人体錬成という目標があり、その後は賢者の石という目的があったので、自分が何をしたいかなんて考える必要もなかったのだ。必然や必要は常に前に提示されていた。
それらが無くなった時に自分が何をしたいのか判らなくなった。
しかし自分が何をやるべきか迷っているなんて戯れ言は外には洩らせなかった。そんな甘ったれた事を言えば軍の思う壷だ。隙を見せたらあっというまに兵器開発や戦争に廻されてしまう。
上層部に利用できる隙を見せたらたちまち飲み込まれてしまうだろう。それにヘタに軍の機密や何かに触れれば辞めるどころか、口封じという危険性もあるし、家族を巻き込みかねない。
なのでオレはいかにもやりたい事があると言わんばかりの顔でイーストシティに来たのだが、実際に何の研究をやっていいか判らず、とりあえずは身の回りの整理が終ってからと問題を後回しにした。
研究より先に、オレにはやらなければならない事があった。
母さんが助かったら絶対にしようと決めていた事。
ニーナ。 ……と、アレキサンダー
ニーナ・タッカーを助けたかった。
父親にキメラにされてしまった可哀想なニーナを、事が起こる前に助けてやりたかった。
ニーナの存在はオレの中では消えない傷になっている。もっと早くタッカーの狂気に気付いていれば、ニーナをあんな目に合わせずに済んだのにと思う。
ニーナが助かるかもしれないと閃いたのは母さんの特効薬開発の研究の途中だった。
その時のオレの頭の中には母さんが助かる事しかなかったのだが(元いた世界のアルの事を思わない日はなかったが、あまりに辛かったので心の裏に押し込めていた)ふと、オレが過去に戻った事によって、母さんの他に誰が助けられるだろうと思った。
余計な事が頭の中に入らないいっぱいいっぱいの多忙な時間の中で「あっ……」と、思考の隙間に潜り込むようにソレが落ちてきた。密度の濃い時間だった。集中力は剃刀の刃のように研ぎすまされていたのに、突然失った人の顔が頭に浮かんだ。
オレは間の抜けた顔をしていたと思う。戸惑うスタッフを誤魔化して一人休憩室に入り、自分がこの時間にきた意味を思った。
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