モラトリアム
第ニ幕


第一章

#01
◇エドワード独白◇
『国家錬金術師』




 時間が過ぎるのはあっという間だった。
 あれから三年。
 オレ……エドワード・エルリック、鋼の錬金術師は十二歳になっていた。本来ならオレが国家錬金術師になった年だ。それが国家錬金術師になって三年も経っているなんて冗談みたいな話だ。冗談といえばオレが本当なら十八歳だという事実も、冗談というより嘘みたいな話なのだが。十二歳の身体に十八歳の精神。ちょっとした違和感。でも精神年齢と外見を合わせる事にも馴れた。
 緊張感で身体が強ばっていたのは始めのうちだけだ。
 ガキの身体は不便だったが肩ひじ張っても背伸びをしなくて済むのが楽だ。だってオレが国家錬金術師になったのは九歳だった。九歳ならガキくさくても物を知らなくても無礼でも「ガキだから」という一言で許された。本来なら許してはいけない事なのだろうが、視覚で捉えるオレの姿はまだ殻付きのヒヨコで、成人した雄鶏達はオレの幼さに顔を顰めても厳格に迫る事はなかった。
 そうしてオレは国家錬金術師になった。
 ハクロ将軍を後見人にして。
 ……何で?
 増々冗談みたいだ。
 けれど事は冗談ではなくてオレはハクロ将軍預かりとなってしまった。ロイ・マスタング中佐ではなく。
 何故そんな事になったのかといえば、オレが三年前に大勢の軍人の前で大錬成を行ったからだ。
 テロリストが列車ごと陸橋を落とそうとしていた。それに気が付いたオレは咄嗟に錬金術で崩れた陸橋を支えた。結果、大勢の人間が助かり、軍も面目を保てた。
 しかしオレは目立ち過ぎた。デモンストレーションが過ぎてしまった。わざとではないが結果としてはまずかった。
 たまたまハクロ将軍も側にいたのが困った事態の始まりだった。オレに目をつけたハクロ将軍が横からオレをかっ攫ったのだ。オレに拒否権はなかった。
 ハクロ将軍という人は錬金術師というものを理解しないが、使えそうな人材かどうか判る判断力と余計な行動力だけはある困った人だ。オレは大佐(その時は中佐だった)を後見人にしようと目論んで会いに行ったのに。
 そうしてハクロ将軍はロイ・マスタングが嫌いだった。あてつけや嫌がらせというのが丸判りだ。アイツの目の前で自分の部下になる筈の相手を奪ったら面白いだろう…とかそんな周りの思惑に巻き込まれて、オレはハクロ将軍の傘下に入る事になってしまった。とんだ大誤算だ。
 オレが国家錬金術師を受験する予定だと知ると、ハクロ将軍はさっさとオレをセントラルに連れていってしまった。愚鈍なハクロ将軍にしては珍しく機敏にサクサク動き、オレは国家錬金術師に推薦された。もしかしたらロイにごちゃごちゃ横槍を入れられるのが面倒だったのかもしれない。ロイは口だけは達者だから。 
 オレが単なるガキだったらそんな展開にはならなかったと思う。ガキを信用する大人は皆無だ。(ロイは別だが)
 だが、オレはその時、大勢の命を救った英雄だった。
 事件は新聞にも大きく取り上げられた。
 歪に盛り上がった谷底が、落下途中の列車と橋を支えた写真を一面に飾った新聞が国中に撒かれた。その写真画像はコミカルなマンガか合成写真のようなインチキくささがあったが、それが何の手も加えないありのままの景色だった。
 そしてオレの名前は一気に広まった。 稀代の天才錬金術師、エドワード・エルリック。
 オレは小さな子供だったが、その並外れた力は誇張でもまがい物でもない本物だと大衆の知る所となった。疑う者、軍のでっちあげだと言う者、様々な噂が流れた。年齢と外見が真実に疑問を抱かせた。直接オレの力を見た人間でさえ「ありえない」という目でオレを見た。しかし、事実は事実だった。
 国家錬金術師試験はすんなり通った。当然だ。
 オレの力に懐疑的な軍人達も、オレのした事と実技試験と筆記試験の結果を並べて、国家錬金術師になるに足りると認めるしかなかった。
 さすがに九歳というのは前例がないという事で揉めに揉めた(らしい)が、子供ならば懐柔するのも楽だろうという思惑と大総統キング・ブラッドレイの一言で、あっさりオレの国家錬金術師合格は認定された。


 それからオレは得た力(権力)で速急に病気の母さんをセントラルの病院に入院させた。
 母さんは始めリゼンブールを出る事を渋っていた。オヤジの帰りを待ち続ける事を望んだ。けれど命があってこそ待つ事もできる。それが判らない母さんじゃない筈なのに、それでも家を出たがらなかった。
 そんなにあのオヤジが好きなのかと思った。母さんはオレ達を残していく事よりも、オヤジを迎えられない事を怖れていた。母は母である前に女だった。
 悔しく悲しい思いを隠し、オレは、オレとアルを残してそのまま死を受け入れるのだけは止めて欲しいと懇願した。どうしても助からない病気なら運命を呪い諦めるしかないが、助かるかもしれないのに諦めるなんて絶対におかしいと、ばっちゃんと一緒に母さんを説得した。
 母さんも自分が助かる可能性を知って、アルをロックベル家に残し渋々セントラルに来る事を決めた。
 アルの事は……それからまたちょっとした変化があったのだが、それはまた後の話だ。
 とにかくその時は様々な事がいっぺんにやってきて、本当に多忙だった。
 くたくたになるくらい忙しいのが良かったのかもしれない。オレには余計な事を考える時間が少なかった。
 余計な事……消えてしまった十四歳の鎧のアルフォンスは『余計な事』ではないが、心に思えばそれは鋭い剣になった。
 アルは……オレのアルフォンスは死んでしまったのだ。そしてそれを悼む者はオレしかいないというのに。
 こっちの世界にはちゃんと生身のアルフォンスがいて、オレがいた時間のアルフォンスの事なんか誰も知らない。だからオレだけでもアルフォンスを偲ばなければいけないのだが、オレは……とてもじゃないけれど堪えられなかった。
 アルフォンスが死んだなんて認められない。認めたくなかった。オレのアルは元いた場所でも『ここの時間』でもない別のパラレルワールドで絶対に生きている……そう信じたかった。
 オレの元の(十五歳)の肉体は死滅した。魂だけが時間の流れを遡り、この時間のエドワードの肉体に宿った。この肉体にあった『九歳のオレ』の魂と融合したのだ。だからオレは九歳までの記憶もあるし、十五歳までの記憶もある。
 時間の流れというのはとても不安定なものだ。世界には沢山の時間の流れがあって、何千何万という平行世界が存在している。つまり数多ある世界の数だけエドワードという人間がいる。
 そしてこの世界。
 ちょっとややこしいのだが、ここはオレの知っている(オレが経験してきた)歴史とは少し違っていた。
 例えばイシュヴァール戦争。
 オレの記憶ではイシュヴァール戦争が終結したのは1909年、オレが十歳の年だ。だがこの世界では1907年に戦争終結を宣言している。つまりオレが八歳の時。時間が二年ずれている。
 そして何より母さんの死亡年数が違う。
 母さんはオレが五歳の時に死んだ。けれどこちらの世界でオレは九歳だったのに、母さんはまだ生きていた。そしてオレはそれを不思議に思わなかった。
 どうしてだろう。とてもおかしい。オレは何故母さんが生きている事を不思議に思わなかったのだろう? と考えた。
 推論するに、こちらでは母さんが死ぬのはオレが十歳になってから、らしい。オレの肉体の記憶がそう告げていた。
 ロイだってオレが九歳の時はまだ少佐だった筈だ。なのにこっちではもう中佐になっている。イシュヴァール戦争の時間がずれているので、ロイの昇進の時間もずれたのだろう。
 どうしてそんな齟齬が生じるのか。
 その説明は簡単だ。オレはオレが過ごした時間ではない時間支流に入り、時間を遡ったのだ。だから微妙な違いが出た。おおまかな流れは同じだろうが、細部が違っている。
 そして。
 オレがこの時間に逆行した事により、そのおおまかな流れからも弾かれてしまった。オレがここの世界に来た時から、本来ある流れはもう存在しない。この時間軸だけが他から切り離され独立した。
『オレ』という異分子の存在のせいだ。
 オレは未来を知っている。これから起きる悲劇を知っている。たった六年分。されど六年あれば大きく流れを変えるには充分だ。だからこの世界の流れだけ切り離され、孤立してしまった。
 この時間軸だけが独立したのは母さんの生存のせいじゃない。オレは母さんを助けた。本来死ぬ運命だった人間が助かった。でも母さんのせいじゃない。全ては歴史に手を加え始めたオレのせいだ。列車事故を防いだ事で、オレはあるべき世界の姿を曲げて歴史を変えてしまった。
 ……歴史を変える。
 それはしてはいけない事なのかもしれない。
 全は一、一は全。錬金術というよりこの世の流れの基本だ。小さいモノが集まって大きい流れになる。大きな流れをつくる小さなモノが変質したら、大きな流れも当然変わる。とりかえしがつかない。
 オレのした事で更なる悲劇が引き起こされるかもしれない。
 けれどオレは自分を止められなかった。正義のヒーローを気取りたいわけじゃない。権力や力を得たいわけじゃない。歴史をひっくり返したいわけじゃない。
 ただ守りたいのだ。自分の大切な人達を。そしてその為にはどうすればいいか知っている。
 だからその為ならオレはいくらでも自分を殺せる。自分の中の正義も曲げられる。
 ヒューズ中佐。あの人も助かるだろう。オレ達の為に巻き添えになってしまった人。グレイシアさんやエリシアからヒューズ中佐を取り上げる運命を変える。変えてみせる。
 辛くてもやり直しのできる人生が送れる事が嬉しい。ここの世界のアルは、母さんも自分の肉体も失わない。ヒューズ中佐も死ぬ事はない。オレが助けるからだ。
 でも15歳から先は……判らない。だが自分にやれる事がある限り為さずにはいられない。
 アルフォンスの身体を取り戻すという目的が無くなった今、オレを駆り立てるのはそれしかなかった。
 アルを失い、償うべき存在をロストしたオレはその支えが無ければ生きていくのが辛すぎた。