第四章
翌日。
エドワードは仕事があるからと言って、弟とウィンリィと別れた。二人は当然ゴネたが、元々の約束だったので最後には渋々引いた。
エドワードにはすべき事があって、家族サービスはここまでだった。
レコルト家の事だって、アルフォンスがしたように自身は出向かず医者だけを派遣すれば済んだ話だ。それをせずにわざわざ歴史を再現したのは、過去が懐かしかったからなのかもしれないし、こちらにいるアルフォンスやウィンリィに対する負い目なのかもしれない。
『向こう側』のウィンリィには散々心配と苦労を掛けたのに、結局エドワードは還らぬ人となり、彼女を深く悲しませてしまった。
元いた世界のウィンリィはそのまま成長していれば今はもう二十一歳だ。さぞいい女になっている事だろう。若い頃の祖母に似て、恐くてカッコイイ女技師になっているに違いない。
心配かけまいとして何も言わなかった事が逆に仇になって、何も知らせずに死体になってしまった。
未来の世界のウィンリィは泣いて怒り、そして悲しんだ事だろう。
幸せになってくれるといい…と思って、そう思う事すら傲慢だと自嘲した。
ウィンリィに対してできる事は沢山あった筈だ。だがその手間を惜しみ、結果何も残らなかった。
幼馴染み達の身勝手さをウィンリィは怒っているに違いない。可哀想な事をした。
今もできる事はあるが、エドワードはそれをしようとしない。
エドワードには余裕がない。時間もない。エドワードの身体は一つで、腕は二本だ。掴める容量は限られている。時は容赦なく流れ、エドワードはその流れに置いていかれないように泳ぐのが精一杯だ。
エドワードを感傷的にさせているのは『家族にもう会えないかもしれない』という思いだ。例え会えても、あと一度か二度か。計画の最終段階は近付いてきている。家族と過ごしている時間はない。
愛しい人達……かけがえのない家族。もうすぐ永久の別れがくる。
最愛の人達との別れを前にエドワードが孤独感を感じないのは、あのアルフォンスがいるからだ。たった一人自分を愛してくれる人間がいるだけで心は満たされる。
ダブリスに向う列車の中、エドワードは待っている人間の事を思って微笑んだ。会いたい人に会える現実のありがたみを噛み締めた。
******
ダブリス。
Bar『デビルズネスト』
地下の部屋は電球があってもどこか薄暗い。酒場の猥雑な空気も騒がしい音楽も地下には届かない。だが活気はあった。
大勢の人間に囲まれた中に子供と鎧の姿があった。
子供と鎧……エドワードとアルフォンスは周囲の人間を置き物のように無視し、正面の人間……いやホムンクルス、グリードにのみ神経を集中させていた。
「へえ……こいつがオマエの兄貴か? ……随分ちっちゃいな」
「ンだとう、コラァッ! もう一度言ってみやがれっ!」
「もう、兄さん。初めから喧嘩腰でどうすんのさ。ボクらは争いをしにきたんじゃなく、交渉をしにきたんでしょ。冷静になってよ」
「だってアルッ……」
「はいはい、分ってます。身長の話は鬼門なんだよね。……でもそれはとりあえず横に置いておいてね。今は話し合いを優先させてね」
弟に宥められてエドワードは不承不承憤りを抑える。
デコボコなコンビを前にグリードの声は笑いを含む。
「兄さん…って事はアンタらマジで兄弟か? …にしちゃ弟の方がでかいっていうのもなんだな。それにそっちの鎧君は中身が無いし。面白ぇコンビだな」
「余計なお世話だ」
エドワードは不機嫌そうに吐き捨てる。
取り引きの為とはいえ、グリードに好印象を抱けるはずもない。心は会った時から臨戦態勢だ。
「おいおい、そっちから提案を持ちかけてきたんだぜ。もうちょっと愛想良くしてもバチは当たらないんじゃないか。……兄貴の方はいつもそんなに無愛想なのか? 酷え仏頂面だな」
「悪党に向ける愛想はねえ。……オレは取引きに来ただけだ。説明は昨日弟がした筈だ。話を受ける気があるかどうか、その返事を聞きにきた」
エドワードの好意の欠片も見えない言いぐさに、アルフォンスの方がハラハラする。これでは交渉ではなく喧嘩だ。
「兄さん。……ちゃんと話し合う気がないんなら、出てってよ。交渉はボクがするから」
「アル、けどなあ……」
「兄さん。グリードさんが気に入らないのは知ってるけど、この計画を立てたのは兄さんだよ。自分で決めたんだろ。実行する気がないんなら邪魔だから出てって。後はボクがやる」
「うっ……」
弟に冷たく言われ、エドワードは渋々引き下がる。
「……失礼しました、グリードさん。話を続けましょう」
グリードは酒を飲みながらヘラヘラと笑った。
「なんか面白い兄弟だなあ。弟の方が強いのかよ。しかしアルフォンスの話じゃあ、こっちのおチビさんの方が一流の錬金術師だっていうじゃないか。本当にこんなチビが魂の移し替えなんて高等技術を使えるのか?」
「グリードさん。兄さんを挑発しないで下さい。兄さんは身長の事を言われると怒りますから。いちいち止めるのも話が途中で切れるのも面倒なので、挑発するのは止めて下さい」
キーキーと暴れるエドワードを押えながらアルフォンスは言った。
「へっ……こっちに兄ちゃんの方が短気なのか。弟の方が人間ができてそうだな。……空っぽだから本当に人間かどうかは分からないけどな」
「弟は人間だっ!」
アルフォンスの手を逃れたエドワードは叫ぶ。
「空の鎧に血印か。魂の移し替え。……賢者の石も使わずによくそんな事ができたもんだ。どう見てもガキにしか見えねえのに。……テメエら何者だ?」
笑いを消して睨むグリードは本気の欠片を見せると流石に迫力がある。
しかしそのくらいで引く二人では無い。元々グリードが人間でないことは知っている。
「オレ達が何者かなんて事はどうだっていい。ようは取引きする気があるかないかだ。オレ達は条件を提示した。後はアンタが飲むかどうかだ」
あくまで強気なエドワードにグリードは呆れ声を出す。
「おいおい。交渉する相手がどこの誰かも分からず取引きできっかよ。こちらとら大事なモンを貸し出すんだぜ?」
「分ってるさ。……けどオレ達だって正体を知られては困るんだ。アンタらも後ろ暗いだろうけど、こっちもそれなりにバレちゃ困る身許してんだよ。ホムンクルスのアンタなら分かるだろ?」
「…って事は知られちゃいけない相手は軍か? それともオレ以外のホムンクルス達か?」
「どっちもだ。……アンタは首輪のついてないホムンクルスで軍から追われる身だ。オレ達だってアンタの秘密を知ってるってだけでヤバイ。…そうだろ? この国であの連中に睨まれたら即消される。アンタだってヤだろ。折角手に入れた自由を奪われんのは。アンタの元同胞に見付かったらヤバいのはそっちも同じだ。所在がバレたらデビルズネストなんて塵一つ残さず潰される。アンタにとっちゃここはhomeだ。失うのは困るだろ」
「脅してるつもりか?」
「まさか。オレはアンタらを軍に売るつもりはない。だがアンタがこっちを売るっていうなら、話は別だ」
「ふん。……どうやら本気でオレと取り引きするつもりらしいな」
「初めからそう言っている」
「じゃあ、まともな話し合いといくか」
グリードが手を振ると地下の部屋に詰めていた面々が部屋から出ていく。人気がなくなると部屋はシンと静かになった。
部屋には三人だけだ。
「大したガキどもだ。オレに人払いまでさせるなんて、用心深いこった。そんなに知られたら不味い事をやるつもりなのか?」
「オレ達の目的はアンタには関係ない。あるのは等価交換だ」
「等価交換ねえ。錬金術師達はいつでもそういう事を言うな」
「基礎だからな」
ヘラリと笑うグリードの笑顔は微笑みを誘うようなものではない。人が見れば何か企んでいると断定するような肚に一物持った表情だ。
エドワードは警戒し、アルフォンスはその正直さを懐かしく思った。
グリードは誘うように両手を広げた。
「さて兄ちゃん達。本題に入ろうか。……アンタらの目的は賢者の石だったな」
「そうだ。オレ達はその石が欲しい」
「欲しいったってやれないぜ。一つしかないからな」
「必要な時に貸してくれればいい。代わりにオレはアンタの言う事を聞く。必要な時に魂の移し替えをしてやる。その身体に飽きたら言え。……グリードが欲しいのは永遠の命だろ?」
「へへへ……。よく分かってるじゃねえか兄ちゃん。それだけじゃねえ。オレは金も女も何もかも欲しい。その為には死なない命が必要なのさ。……おい。
話が早くて助かるが……一体何処でオレの事を知った? そっちの鎧君に聞いても答えやしねえ。こっちもそれなりに用心してんでな。オマエらがオレを引っかけようとしてんじゃねえと分かるまでは取引きできねえよ。テメエらの正体、答えてもらおうか」
「言えない……と言ったら?」
「取り引きは御破算だ。オレは危険は大好きだがハメられんのは大嫌いでな。信用できねえ奴らと取引きするつもりはねえ」
エドワードは仕方がないといった顔になる。
「オレ達が身許を教えないのとアンタの事を知ったのは、関係がある。……まあいい。テメエは気に食わないがアルはオマエを気に入っているようだし、実際賢者の石は必要だしな。話してもいいが……信じないかもしれない。……というか絶対信じないだろうな」
「言ってみなきゃ分からないぜ? それともそんなに荒唐無稽な話なのか?」
「そうだ。ホムンクルスの存在程度にはありえない」
「ほー」
「本当の事を話して信じてもらえない事ほど空しい事はない。……話を聞いて信じられないとしたら話す意味はねえ。信じるか信じないかはテメエの心一つなんだからな。言ってる意味分かるか?」
グリードはヘッと笑った。
「安心しろや、兄ちゃん。オレァ賢いってわけじゃあないが嘘か本当か分からないほど馬鹿じゃねえ。長く生きてんだ。フェイクか本物か見分ける目も耳もある。だからそっちの鎧のボウヤの話を真面目に聞いてやったんじゃねえか。初対面のガキの話をまともに聞く大人はなかなかいねえぞ。……話せや。嘘か本当か聞けば分かる」
流石は何百年も生きているだけの事はある。グリードは余裕の表情で言った。
「嘘が分かる……か。そりゃ助かる。同じ事を何度も言わずに済むからな」
「兄さん、本当に教えちゃうの?」
「しょうがねえだろ。言わなきゃ取り引きしねえって言うんだから。グリードが他のホムンクルスと接触しない限りオレ達の事は漏れねえよ」
「……クソガキ。ホントにてめえ他のホムンクルス達とグルじゃねえんだな?」
「聞いて判断しな」
エドワードは挑戦的にグリードを見て、必要な言葉を必要なだけ話した。
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