第参章
「先生、早く診てくれっ!」
「分ってます。……妊婦さんは奥の部屋ですか? ……沢山の清潔な布とお湯を用意して…………ありますね」
出産準備が整った部屋に入った医者はやや驚く。
「……なんでこんなに早く医者を連れて来れたんだ?」
エドワードは訳が分からずドミニクに聞いた。
ドミニクも自分で連れてきておきながら、分からないという顔だ。
「それが……よく分からんが、山道を入ってすぐにあの先生と会った。聞いたらうちに来る事になってるって言うじゃねえか。それで何が何だか分からないが連れてきた」
「あの人、本当に医者なのか?」
「ああ。顔見知りだ。知り合いってほどじゃねえが、隣街の医者の顔は知ってる」
「なんで都合良く医者がこっちに来たんだ? ンな偶然あるか? 近くに往診中だったのか?」
「それがな……よく分からんが、今日、あの医者の所に、俺んとこの妊婦の具合がおかしいからすぐ来てくれって連絡があったらしい。ちゃんと俺やサテラの名前を出したって言うから知り合いだと思うんだが、心当たりがねえ。もう何がなんだか……。一体誰が連絡したっていうんだか、さっぱり分からねえ」
ドミニクがブツブツ言うのを聞いて、エドワードはピンときた。
(アルフォンスか……)
事情を知っているのはアルフォンスだけだ。エドワード達と別れたアルフォンスが保険のつもりで気をきかせたのだろう。医者の電話番号なら役所にでも聞けばすぐに分かる。
(そうか、初めからそうすれば良かった)
歴史に忠実であろうとするあまり、エドワードは傍観者でいようとした。 事態を放置してしまった。
ウィンリィがいるから大丈夫だとタカを括っていた。前の時はそれで大丈夫だったからと、何処かで油断していた。
エドワードは自分の無責任さを恥じた。
厳密に言えばエドワードに責任はない。…が、サテラに何かあればそれはやはりエドワードのせいなのだ。起こる事を知っていながら何の手も打たなかったというのは、放置と同じ事であり、無責任だ。
(うわ、アル、感謝!)
弟の機転にエドワードはホッと胸を撫で下ろす。
「ウィンリィ」
「何よ?」
「オマエも入って手伝えよ。女手があれば何か役に立つだろ」
「そうね」
ウィンリィは頷いて寝室のドアを閉めた。
しばらくするとサテラの悲鳴と呻き声が聞こえてきた。残った男連中は苦痛の声に怯えながら、ただ待っているしかできなかった。
「……それにしても、一体誰が医者に連絡したんだ?」
事態を理解していないドミニクがひたすら不思議がる。
サテラの突然の陣痛は誰も予測できなかった。激しい雨も落雷で吊り橋が落ちる事もだ。それなのに都合良く隣街から医者が登ってきた。全ての事情を知っていなければできない事だ。
だが、誰がこんな事態を予測しえるだろう。
「……深く追求しない方がいいんじゃないか? 神様が助けてくれたんだよ」…と、エドワードが静かに言った。
「しかし……」
「奇蹟はホントにある。……そう思ってればいい。起きた事に理由がつけられなくても、サテラさんと子供が助かったのは本当だし、納得するしないはドミニクさんの心の問題であって現実には何の支障もない。医者に連絡した奴は恩に着せる事も感謝されるつもりもないから、名乗らなかったんだよ。探しても見付からないさ。奇蹟って事にしとけば?」
「オマエさん……何か知ってるのか?」
「知るわけないじゃん。けど、結果良ければ全てよしって言うだろ? 深く追求しても好い事ないぜ?」
「それもそうか……」
納得しきれない部分があるものの、そう言われてみればそうなので、ドミニクはしっくりしないまま頷く。
側で聞いていたアルフォンスが首を傾げる。
「不思議な事もあるもんだねえ。一体誰がお医者さんに連絡したんだろう?」
「……世の中には説明のつかない事が沢山あるさ。今回の件もその一つだと思えばいい」
達観したようなエドワードの言葉に、アルフォンスは不思議そうに言う。
「なんだか兄さん、全然不思議がっていないけど、何か事情を知ってるの? なんでそんなに平然としてるのさ? 普通ならもっと騒ぎたてるところだろ?」
ギクリ。
「いや……。だから考えても理屈に合わない事はあるって言っただろ。そういう時は時間の無駄だから考えないようにしてるのさ」
「よく調べもしないのに理屈に合わないって、どうして分かるの? 通りかかった人がわざわざお医者さんに連絡してくれたのかもしれないじゃない」
「……こんな場所を偶然通りかかる知り合いがいるかよ。そっちの方が理屈に合わねえ」
「そうかもしれないけど、神様説よりまだ信憑性があると思う」
「なんでも理屈つけたがるのが錬金術師の性だな。けど、理屈に合わなくても成り立ってる事は沢山あるぜ。……あんま深く考えんなよ」
「それこそ兄さんらしくない発言だね。錬金術師が理屈を否定したら、自分の存在理由を否定するのと同じじゃないか。いつもの兄さんなら絶対何かある筈だって、鼻息荒くしてるのに。変なの」
アルフォンスは腑に落ちないとエドワードを見る。
「……奇蹟を信じたい時もあるのさ。たまにはこういうのもいいだろ。…………兄ちゃん緊張して疲れた。……少し休む」
アルフォンスにこれ以上突っ込まれると困るので、エドワードは弟から離れた。
追ってこない弟にホッとする。
ウロウロしているパニーニャに声を掛ける。
「パニーニャ」
「なに、エド?」
「オマエ料理できるか?」
「あんまりできないけど」
「つまり多少はできるんだな。……俺も手伝うから夕飯の準備をしようぜ。出産は一、二時間で終わると思う。安心すりゃ腹も減る。何か作っとこうぜ」
「食欲ないんだけど……」
「今は余裕ないからだろ。無事子供が生まれたのを見たら腹も減ってくる。サテラさんやリドルさんも食うだろうし、何か準備しようぜ」
「うー……私あんまり料理得意じゃないんだけど」
「俺もだ。だけどまあ、人の食えるもんは作れる。そんなに不味くなきゃ皆食うだろ。手伝え」
「分ったよ」
ハラハラしていても何の役にも立たない。それよりもやる事があれば待つ時間も辛くない。パニーニャはエドワードと台所に入った。
「エドは……」
ジャガイモの皮を剥きながらパニーニャが話し掛ける。
「なんだ?」
「エドは一見すごくガキくさく見えるけどさ…」
「悪かったな、ガキで」
「そうじゃない。ガキくさく見えるけど、実はそうじゃないって話してると分かる。私らと同じような顔してるけど、内側はもっと別の顔を持っているような感じがする。なんかエドって時々すごく大人っぽいのよね。さっきも一人冷静だったし」
「…………国家錬金術師なんかやってるからな」
「そうなのかもしれないわね。アルやウィンリィと話してると思うんだけど……エドって二人にはとても優しい顔を見せるけど、それって対等な友達や兄弟に見せる顔じゃなくって、どこか上から見てる感じがする。……違う?」
「アイツらを見下した事なんかないぜ」
「そういう意味じゃなくて……年長の兄が弟や妹を見るような目って意味。……やっぱ国家錬金術師なんかやってると中身が大人びちゃうのかしらねえ。エドって外側小さいけど、話してるととても十五歳には思えない。うんと年上くさい感じがする」
「小さいは余計だ! 次言ったらぶっとばす! ………まあ、一応褒め言葉と取っとく。オレんちは親父が小さい頃に出奔したから、オレが家長っていうかアルの保護者代わりだったんだよ。オレはアルの兄だが父親代わりでもあった。役不足だけど、そのつもりだ」
「へえ。エドんところも色々あるんだ。エドがしっかりしてるのはそのせいかもね」
「まあ……そうかもな」
エドワードはパニーニャの観察眼に驚く。短い時間しか会話していないのに、パニーニャは鋭いところを突く。何の予備知識もないからこそ、先入観なくエドワードを見ているのだろう。
女は侮れねえなとエドワードは苦笑した。
サテラの子供は無事に生まれて、安堵した面々はエドワードの作った晩御飯を文句も言わずに食べ、疲れきってそのまま休んだ。
アルフォンスから医者がきた過程を聞いたウィンリィは「不思議な事もあるものねえ」と不思議がった。
皆色々疲れすぎて余計な事を考える余裕がなかったのがさいわいした。
エドワードは少しヒヤヒヤしながら明日は早く帰ろうと思った。
鎧のアルフォンスのした事は正しかったが、やりすぎると心臓に悪い。大事な人間にこれ以上嘘をつきたくないので、早めに二人と別れようと思った。
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