第参章
「……大変! 奥さんが!」
聞こえたウィンリィの大声に全員が台所に集まる。
サテラが苦しげに腹を抱えてうずくまっていた。
「生まれ……そう……」
サテラの呻くような声に全員が仰天する。
「予定日までまだ日があるのに?」
夫のリドルがまだ早いと慌てる。
「夕方からなんとなくお腹が変だったんだけど……予定日までまだだと思って……」
「ど、どうしよう!」
男というのはこういう時にアテにならない。
「とにかく……お医者さんを呼んできて」
サテラに言われてリドルがハッとなる。
「わ、分った。今すぐ呼んでくるから。待ってろ」
「いや待て。俺が呼んでくる。お前は付き添っていてやれ」
ドミニクが言って大急ぎで支度をする。サテラがこんな状態だし外は大雨だ。街の病院につれていく余裕はない。医者を連れてくるしかないとドミニクは飛び出して行った。
リドルはおろおろしながら妻の周りをウロウロする。
「とりあえず医者が来るまで我慢しろ、な?」
「我慢たって、生まれる時には生まれるわよ」
こういう時は当事者の方が冷静だ。
「だ、大丈夫だよ。親父がすぐ医者を連れてくるから。み、みんなも落着いて」
オマエが落ち着け、とエドワードは思った。
ウィンリィとアルフォンスはハラハラしながら遠巻きに見ている。
「そ、そうよね。慌てたってしょうが…」
ウィンリィの言葉を遮るようにバン、と玄関のドアが勢いよく開いた。
出ていったばかりのドミニクだ。顔が引き攣っている。
「親父、どうし……」
「橋が……落ちた」
「え……?」
橋が落ちたという言葉に皆は嘘だろう、と雨の中外に飛び出した。
「うそ……」
ウィンリィが信じられないと前方を見る。
夜の帳に落ちる豪雨のカーテンの向こう、昼間渡ってきた吊り橋が落ちていた。辺一面闇なのに、何故かハッキリと景色が見えた。橋の支柱が焦げて砕け、ロープは切れてみすぼらしく下がり、強い風に揺れていた。
「……落雷か」
ラッシュバレーに通じる道は、橋を渡る以外ない。
「……エド、なんとかならない?」
ウィンリィに縋られてエドワードは「やってみる」と両手を合わせた。
錬金術で橋を錬成しようとしたが、重みに耐え切れず途中で落ちてしまう。
「どうして作れないの?」
「こちら側から一方的には無理だ。素材が石じゃ重すぎる。支柱をつけようにも下は濁流だ。流されて支え切れない。それにそれだけの質量をここから持っていけば足元がなくなって崩れる」
「どうにもならないの?」
ウィンリィの悲鳴のような声。
これ以上どうにもできないと分ったドミニクの判断は早かった。
「時間がない。ここの反対側に旧道があって、そこから隣街に行ける。山一つ越えなきゃいけねえから時間がかかるが、この際グダグダ言ってる暇はねえ。……行ってくる。お前らは家に戻ってサテラを励ましてやってくれ」
エドワード達は頷いた。もうそれしか方法がない。
ドミニクの背中を見送ってエドワード達は家の中に入る。
濡れた身体を拭きながら事情を説明する。
「リドルさん。橋が落ちたから、ドミニクさんは隣街まで医者を呼びに行きました」
「隣街までって………隣街は遠いのに」
「もうそれしか方法がないからって。……サテラさんは?」
「キャー、サテラさんから水が、水がどばって……水が!」
奥から聞こえるパニーニャの悲鳴にウィンリィの顔色が青くなる。
リドルが慌ててサテラの元に戻る。
「どうしよう、破水しちゃった」
何が起こったか分ったウィンリィが呟く。
「何、破水って?」
起こっている事がよく分からないパニーニャは、軽いパニック状態だ。
「羊水が出てきちゃったって事。……つまりいよいよ生まれるって事よ」
「どーすんの、医者はまだなんでしょ!」
聞かれたってウィンリィに応えられるわけがない。
「どうしよう……」
焦るばかりで対処法が見付からない面々は、ただ青くなるばかりだ。
「とにかく、できる事からやろうぜ」
「できる事ってなによ、エド? 私達に何ができるっていうの?」
「とりあえず出産の準備をしよう。お湯を沸かして、清潔な布を用意して……その辺はウィンリィの方が詳しいだろ」
「そ、そっか。そうよね。できる事からしなくちゃ。……パニーニャ、清潔なタオルをありったけ集めて。エドとアルはお湯を沸かして。リドルさん、消毒用のアルコールとグリセリンはありますか? それと着替えと洗面器と……」
ウィンリィに次々指示されて皆が動く。何もしないより何かする事があった方が気が紛れる。
「ウィンリィ用意したけど……」
エドワードとアルフォンスがタライ一杯に湯を抱えていく。
「随分早いわね。もう沸かしたの?」
「錬金術を使えばすぐ熱くできるからね。冷めてもすぐ再沸騰できるよ」
「……便利な能力」
「他にする事は?」
「ない」
時計がやけにゆっくり進んでいるように感じる。
緊迫感と焦りに個々の顔は強ばっている。何もできないといううしろめたさと危機感で空気が重い。
難しい顔をしたウィンリィに、エドワードはこっそり言った。
「ウィンリィ……産婆さん………できるか?」
「うっ……できないわよ、そんなの。やった事ないし。できるわけないじゃない!」
「だけどこの場でやれそうなのはオマエだけだ。やってくれ」
「簡単に言わないでよ!」
気軽な言葉にウィンリィはカッとなる。
「簡単じゃないのは分ってる。けど、この場ででそうなのはオマエだけだ」
「エド……」
ウィンリィの顔は引き攣っている。いや、この場にいる全員がそうだ。
「……そんなの……無理よ……」
「オマエならやれる」
「できない! ……できるわけない」
「できるさ」
「……なんでそんな事言うの?」
ウィンリィが非難の目をエドワードに向ける。
エドワードはウィンリィを支えるように軽く背中を叩いた。
「できるっ! オレの知ってるウィンリィなら。オレの信じるウィンリィ・ロックベルならやれる」
「…なっ! …………ズルイわよ。そんな風に言うなんて」 「やれる事はなんでもやってのけるのがロックベルの女だろ」
「……簡単に言わないで! 生命がかかってるのよ!」
「簡単じゃないのは分ってる。それでもオレはオマエを信じてる。…………やってくれ」
生命を救ってくれと言われて逃げだせるウィンリィではない。
怖じ気付くウィンリィをエドワードは精一杯励ました。
現実の重さに怯んでいたウィンリィだが、やがて肚を括った。
ロックベルの女はやると決めたら決断が早い。
「やっぱ私がやるしかない……か」
口元を引き攣らせながら、ウィンリィはリドルに言った。
「サテラさんは……もう無理です。待てません。仕方がないから私がとりあげます。手伝って下さい」
「え、君が? 経験あるの?」
「ないですけど……。でも知識としては知っています」
「でもそれじゃあ……」
「不安でしょうが、やるしかないんです。お医者さんは間に合いません。破水したって事はもう子宮口が開いちゃったって事だから、すぐに子供は出てきますよ」
「ど、どうしよう……」
リドルは迷っていたが、ウィンリィに引っ張られ寝室に入る。
「ウィンリィ、大丈夫か?」
エドワードが声を掛ける。
「……頑張る」
ウィンリィは青くなりながらも、決意の顔を見せる。
「エド、ナイフとハサミを消毒しといて。刃は焼いた後にアルコールで消毒して」
「分った」
「ウィンリィちゃん、消毒用のアルコールが足りないかもしれない……」
リドルの言葉にウィンリィは聞く。
「エド、アルコールって錬成できる?」
「任せろ」
即答するエドワードにウィンリィは「やっぱり錬金術師って便利だわ」と言った。
「じゃあ……」とウィンリィが言いかけた時だ。
バタンッとドアが勢いよく開いた。
「帰ったぞ!」
「ドミニクさん? まだなにか……」
「医者を連れてきた!」
「「「「早っ!」」」」
全員が突っ込んだ。ドミニクが医者を呼びに行ったのは数分前だ。そんなに早く呼んでこられる筈がない。
全員がポカンとドミニクを見る。
びしょ濡れの男が入ってきた。
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