第参章
「ねえねえ、エド。お金を貸してくれない?」
ウィンリィが窺うように上目遣いでエドワードを見た。身長が変わらないので、ほとんど上目遣いにはならなかったが。
「なんだ? 足りないのか?」
「もしあったらゴッズの新しい図面が欲しいのよね。店や通販では扱ってないの。ラッシュバレーのお店ならあるんじゃないかと思って。考えてなかったからあんまりお金を持ってこなかったの」
「図面か。……そのくらいなら買ってやるよ」
「ホント?」
「オマエの機械鎧には世話になったから」
「私の機械鎧? アンタに世話した事なんてあったっけ? エドは機械鎧なんて興味ないでしょ?」
「……なんでもない。……図面ならそう高くはないだろ。こっちは高給取りだから金の事なら心配すんな」
「かーっ。一度は言ってみたい台詞よね。金持ちくさくて嫌味だわ。……でもありがと」
「いちいち一言多い女だな。……まあその気の強さがウィンリィなんだけど」
「ウィンリィばっかり狡いよ、兄さん!」
「アルにも後で何か買ってやるよ」
今の世界では機械鎧は不必要だが、以前は無くてはならない肉体の一部だった。頻繁に傷付け壊してきた。その度にウィンリィの顔が哀しそうに歪むのが辛かった。エドワードが傷付くたびに優しい幼馴染みも心の中で傷付いてきた。何も返せぬままに死という形で別れた負い目がある。
せめてこの世界のウィンリィには優しくしようと、エドワードは思っていた。
「エドが優しいと……なんか気味悪いのよね。……今回の突然の旅行といい、何があったの?」
「何もねえよ」
「ならなんでそんな急に優しくなったのよ」
「優しいのが悪いのか? 優しくない方がいいのか? 人の親切を疑うなんて酷え奴だな。もう二度と誘ってやんねえぞ」
「アンタらしくないって言ってんの。私の知るエドはホントは優しいけど、その優しさを表に出さない男なのよね。あからさまに親切だと何か裏があるんじゃないかと疑っちゃう」
「……オマエがオレをどう思ってるかよく分った」
「なによう。滅多に帰ってこないのが悪いのよ。お金だけ送ればいいってもんじゃないわよ。一緒にいる方が何倍も嬉しいって分かりなさいよ」
「分ってるよ」
「分ってない」
「分ってる。こっちだって色々悩んでるんだよ。だけど……帰れない事情があったんだ」
「帰れない事情って何よ?」
「責任があるんだ。……オレには」
「責任てなに? 仕事の話?」
「色々な事さ。色々なしがらみがあるんだよ。……詳しくは言えないがオレだって遊んでたわけじゃない」
「そんなの分ってるわよぅ。アンタが頑張ってるのを知ってるから、皆寂しくても我慢してんじゃないの」
ウィンリィは膨れる。
本当は分っている。エドワードがどんなに家族を愛しているか、その為に犠牲を払っているか。
家族を護ってきたのはエドワードだ。色々欠陥はあるが、間違いなくエドワードの努力であの家は支えられてきたのだ。愛する家族に会えなくて寂しい思いをしているのはエドワードも同じだ。
優しい……男なのだ。
「ムカつくわ」
ウィンリィは下唇を噛んだ。
エドワードは色々な事に耐えている。勝手に生きているようだが、その表情は一人になると硬く強ばる。そう見せないようにしているようだが、身内には分ってしまう。エドワードは沢山の抑圧を抱えて苦しそうだ。本人は決して認めないだろうが。
そんなに苦しいのなら止めてしまえばいいのだ。
だが止めてエドワードの苦しさが減るかどうか分からない。
以前のように屈託なく笑うエドワードが見たいと思っていても、エドワードの抱える鬱屈の正体が分からないから何も言えない。
ホーエンハイムを連れ帰ったエドワードを見て驚いた。重い雲が晴れて青空がのぞいたような吹っ切れた顔になっていた。沢山抱えた重圧の一つから開放されたかのように。
父親が帰ったのがそんなに嬉しいのだろうか。父親を見る目はそうは見えなかったが。
なんでこんなに分からない男になってしまったのだと、ウィンリィは悔しくなる。
本当の家族でないから分からないのだろうか。だが実の弟のアルフォンスもエドワードの事が分からないと言う。兄さんはボクに何も言わないんだ…と、零すのだ。
急に不機嫌になったウィンリィにエドワードは機嫌を取るように言った。
「ウ、ウィンリィ。ほら機械鎧の店が沢山あるぞ。見なくていいのか?」
「見るわよ。……キャー、ステキーッ。これゴッズの十一年モデルよ。まさかこの目に拝める日が来るなんてぇ~。やっぱラッシュバレーは機械鎧技師の聖地よ」
急に機嫌を直したウィンリィにやれやれと安堵するエドワードだ。
確かこの後腕相撲大会があったんだよなと思い出す。
六年も前の事なのにはっきり覚えている。そうしてパニーニャと会って、ドミニクの家に行って。懐かしい記憶をもう一度繰り返すのかと思うと気持ちが浮き立つ。
そんな場合ではないのに。生身の弟が来てしまった事で色々な事が変わってしまうかもしれないのに。
そういえば機械鎧を付けていないエドワードは腕相撲大会に出られない。あれは機械鎧装着者限定だった筈だ。
スリのパニーニャとどう知り合えばいいのかと、エドワードは頭を悩ませた。
パニーニャとの鬼ごっこが終わった後、エドワードはゼーハーと全身で深呼吸した。
エドワードがこれみよがしに出して見せた札束のつまった財布に引っ掛かったパニーニャとの追いかけっこは、エドワード達が散々走り回された後ウィンリィの捕獲によりやっと終了した。
「すごいすごいすごいわ!」
ウィンリィのはしゃぎ声に男三人は『良い天気だなあ』と傍観するしかなかった。パニーニャの両足の機械鎧を見て、ウィンリィの技師魂に火がついた。男達は蚊帳の外だ。
ウィンリィはしきりと観察して感動している。
「ねえ、パニーニャ。この機械鎧を作った技師を教えて!」
「え? いいけど…。じゃあ案内するから、かわりに今日のスリの件は見逃してくれる?」
「うん、見逃しちゃう!」
「待てーい! 勝手に決めんなよウィンリィ。こいつは憲兵に突き出すに決まってんだろ」
エドワードの抗議も盛り上がった女二人の前では何処吹く風だ。
「山の中まで歩くから身軽な方がいいよ」
「じゃあ荷物は宿に預けといた方がいいわね」
「人の話を聞け!」
「兄さん諦めなよ。ああなったらウィンリィは止められないよ」
生身アルフォンスが兄をなだめる。
「納得いかーん!」
怒鳴りながらエドワードはこっそりと鎧アルフォンスと視線を交わした。ここまではうまくいった。
あとは……。
「じゃあ、一旦宿に戻って支度してくるわね。待ってて」
結局ウィンリィに押し切られ、全員で山奥に住む機械鎧技師に会いに行く事になった。
鎧アルはさりげなく「じゃあボクはここで別れるね」と切り出した。
「え、アル君もう行っちゃうの? 一緒にパニーニャの脚を作った人の所に行かないの?」
ウィンリィが残念そうに言う。
「うん、元々その予定だったし。ボクの事は構わずウィンリィ達はドミニクさんの所に行ってきなよ」
「あれ、私ドミニクさんの名前を言ったっけ?」
パニーニャが首を傾げる。
「私は聞いてないけど……」
ウィンリィの不審な顔。機械鎧技師の名前など聞いていない。
「オ、オレも聞いたぞ。ドミニク・レコルトって言ったじゃないかさっき。な、なんだウィンリィ聞いてなかったのか」
エドワードがそう言うのでウィンリィはそうだったかしら? と不思議に思ったが、そうなのかもしれない興奮して聞き逃しただけよね、と納得した。エドワードを疑う理由がない。
「そ、そういう訳だから、ここでサヨナラするね。……じゃあエド、ボクは行くね。……また後で」
「お……おお。じゃあなアル。……資料ありがとう。礼はまた後で」
「バイバイ」
鎧アルフォンスが慌てて駅方向に歩き出すのを見て、パニーニャはまだ首を傾げていた。
「私、ドミニクさんの名前言ったかなあ?」
絶対言ってない気がするが。しかしエドワードはフルネームを言った。会ったばかりのエドワードがドミンクの名前を知っているはずがない。パニーニャは混乱する。
「そ、それじゃあ行こうか。遠いんだろ? 準備してさっさと出発しようぜ」
エドワードは空笑いをしながら歩き出した。
背中に汗をかいていた。
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