モラトリアム 第伍幕

完結
(上)


第参章

#16



「アルフォンス……君?」
 ウィンリィは鎧姿の少年? に声を掛ける。
「君はいらないよ。ただのアルフォンスでいい。…あ、でもエドの弟と間違えてややこしいよね。……アルでいいよ。略称で呼んで」
 やっぱり声が幼馴染みのアルフォンスに似てる。……とウィンリィが言うと。
「そ、そう? はは……名前だけじゃなく声まで似てるのかあ。……偶然って凄いね」と小さく言った。姿に似合わず恥ずかしがりやのようだ。
 声変わりをしていない声は数年前のアルフォンスの声そっくりだ。今の幼馴染みの少年は声変わりをすませてソプラノからアルトに移行している。そのうちちゃんと大人の声になるのだろう。
 しかし隣の鎧姿のアルフォンスの声はまだまだ幼い響きで、姿とのミスマッチが際立った。
 姿こそ異様だが、中身はごくごく普通の少年のようだ。興味を引かれたウィンリィは聞いてみる。
「アルはエドと何処で知り合ったの?」
「あ、それボクも聞こうと思ってたんだ」と、生身のアルフォンスが言った。
「セ……セントラルだよ」
「セントラルの何処?」
「ち……中央図書館……だっけな? 錬金術の本を探していて、たまたま、ね」
「へえ。アルも錬金術師なのね。じゃあきみも錬金術バカの一人? ……錬金術ってそんなに面白い? エドもこっちのアルフォンスも錬金術ばっかりで何が楽しいんだか」
 呆れて言うウィンリィに鎧アルは「ウィンリィだって機械鎧オタクじゃない。お互い様でしょ」と言った。
「やだ、エドに聞いたの? エドったら人のいないところで何の話をしてるんだか」
 ウィンリィがエドワードを睨む。
「エ、エドワードが機械鎧技師を目指す幼馴染みを連れてくるかもって言ってたから、その時に聞いたんだよ。……お、機械鎧技師ならラッシュバレーは見るものが沢山あるんじゃないの? ……ウィンリィ……さん、何処か行きたい所ある?」
「そりゃあいっぱいあるわよ。有名な工房も覗きたいし、パーツ屋巡りもしたいし。……ちょっと待ってて」
 ウキウキと観光マップを取り出すウィンリィに鎧アルはホッとした。
「ねえ、アルフォンスって……同じ名前だと呼びにくいな……いくつなの? 身体が大きいからずっと年上だと思ったんだけど、声からすると、もしかして年下なの?」
 生身アルに聞かれて鎧アルは焦る。自分との対話なんて考えた事もなかったから心の準備ができていない。肚が坐っているアルフォンスだが、自分自身との対峙、なんてシュールな現実は想定外すぎた。
「ええと……一応……十四歳デス」
「へえ、ボクと同じ年なんだ。それで兄さんと対等に錬金術の話ができるなんて凄いね。羨ましいよ。ボクも錬金術を勉強してるんだけど、兄さんには全然適わなくて。兄さんちっとも教えてくれないし」
 生身アルがエドワードを睨むと、エドワードはわざとらしく視線を反らした。ウィンリィとアルフォンスに睨まれてエドワードはとぼけるしかない。
「キミには師匠がいるんじゃないの?」
「兄さんに聞いたの? いるけど、でも国家錬金術師になれるくらいの天才の身内がいるのに全然学べないなんて変だよね。忙しいのは分かるけどちょっとくらい教えてくれたっていいのに。兄さんて、忙しい忙しいって言ってちっとも家に帰ってこないし、自分勝手な所は父さんソックリなんだから」
「あのクソ親父と一緒にすんなっ!」
 エドワードはガアッと怒る。多忙を理由に故郷に帰らない事は負い目となっているので耳が痛かったが、ホーエンハイムと同列に並べられるのは我慢ならない。
 エドワードはエドワードなりに家族を思って行動している。自分の研究の為家庭を顧みないホーエンハイムと同じに扱われたくなかった。
「家出した父さんと同じってわけじゃないけどさ。でも父さんと兄さんて似てると思う」
「何処が!」
「なんとなく。顔付きとか雰囲気とか」
「似てない! 名誉毀損だ!」
「そんなに怒らなくてもいいじゃない。名誉毀損って…。親子なんだから似てて当然じゃないか。ボクだって父さんに似たかったよ」
「どうして? アルは母さん似でいいじゃんか。何が不満なんだよ」
「不満なんてないけどさ。父さんって恰好良いじゃないか」
「何処がっ! それありえないから!」
「兄さんは父さんを毛嫌いしてるからそんな事言うけど、客観的に見て父さんって恰好良いよ。その辺のオジサンとは一線を画してる感じで、ダンディっていうか渋いっていうか……女の人にモテそう」
「……阿呆か。オマエ親父に騙されてんじゃねえよ。アイツがどれだけボケた奴だか知らないからンな事言うんだ。とぼけてるというより人の話を端から聞いちゃいねえ。会話しててムカつくったらねえぞ」
「なんで兄さんはそんなに父さんを毛嫌いするかな」
「オレはどうしてオマエがそんなに親父に対して普通でいられるのかが分からん。母さんとオレらを捨てたんだぞ、あの男は。自分の錬金術の研究の為に。怒って当然だ」
「そうだけどさ。でもちょこっと帰ってくるのが遅くなっただけかもしれないよ。きっと何処かで迷子になってたんだよ」
「十三年も迷子になる大人はいねえよ。それは家出っつうんだよ。もしくはボケて徘徊してたか。……顔も覚えてなかった親をよく庇えるぜ。オレは駄目だ」
「ボクの父親役は殆ど兄さんだったからね。あんまり父親に対する思い入れってないのかもしれない。ボクは父さんが帰って来なかった事よりも、兄さんが帰ってこない事の方が辛いよ」
「うっ………この研究が終わったら……帰るよ」
「本当に?」
「今は……どうしても手の離せない研究をしてるんだ。まだしばらく掛かりそうだけど、終わったら絶対に帰るから」
「本当に? 絶対だよ?」
 アルフォンスは半信半疑で言った。今までどれほど言っても故郷に帰ろうとしなかった兄が突然帰ると言い出しても、にわかには信じられない。
「エド、本当にリゼンブールに帰ってくるの?」
 ウィンリィも疑いながら聞く。
「親父も家に帰った事だしな……。オレも一度リゼンブールに戻る事にした。……今の研究はまだ少しかかるけど、それが終わったら帰る」
「へえ。アンタ本当に戻るつもりがあるんだ」
「親父も戻ってきて……努力する必要がなくなったし。仕事は途中で放り出せないし引き継ぎとか色々あるから時間はかかるけど、戻る」
 エドワードのきっぱりした発言にウィンリィは逆にエドワードが分からなくなる。
 突然すぎる。
 戻ってきてくれる事は嬉しいが、理由が納得できない。
 あれほど頑に戻ろうとしなかったエドワードが急に心変わりした理由はなんだろう?
 その場の勢いで言っただけ?
 いや、エドワードはそんな迂闊な事は言わない。
 エドワードは気紛れでは行動しない。破天荒に見えるが、実は全て熟考した計算の上動いている。
 前はそうではなかったのに今は変わってしまった。
 今回の事も急ではなく何かの計算の結果のように思うのだが、その何かが分からない。父親をどこから探し出してきたのかも教えてくれないし、たぶん国家錬金術師の権力を使ったのだろうが、それにしても国家錬金術師になってからもう六年だ。探そうと思えばもっと早くに見つけられたような気もする。
 幼馴染みなのにエドワードがどこか遠く感じる。エドワードから向けられる純粋な好意というか幼馴染み故の気安さは変わらないが、目の前に一線引かれているような気がするのだ。よく分らないその曖昧さが気持ちが悪い。なんとなくとか、そんな感じがするとか、意識がモヤッとしてハッキリしない。
 いつからそんな感じになったのかといえば、やっぱり国家錬金術師になる前後からだろう。天才としての実力が開花した頃から、エドワードが分からなくなった。靄の向こうの景色のように良く知っているはずなのに輪郭がハッキリしない。
「そういえばどうしてエドはラッシュバレーに来たの? 何か用事があったの?」
「だからこっちのアルフォンスと約束があったと言っただろ。聞いてなかったのか?」
「でも鎧のアル君はセントラルの人なんでしょ? どうしてラッシュバレーで会う事にしたの?」
 当然の疑問に相談していなかった二人はギクリとなる。さてどういう返答をしたものか。
「探していた文献が……南の方にあったんだ。それでボクが探してエドに手渡す事になってたんだ」
 苦し紛れに鎧アルが説明する。
「なんだ、エドったらアル君を使ってたの? 自分で探しに行けばいいじゃない」
「オレはクソ親父をリゼンブールに連れて帰らなきゃならなかったからな。目を離すとまたフラフラとどっかに行っちまいそうだったし。だからオレの代わりに行ってくれるように頼んだんだ」
「そっか。おじさんの事があるものね。確かに折角見つかったのにまた逃げられたら困るわね。おばさんに一日でも早く会わせてあげたかったのよね」
「……まあな。忙しいのにあっちこっちとやる事が多くて困る。そういうわけだから、用事が済んだらオレはセントラルに戻らなきゃならねえ。悪いがウィンリィとアルは二人で旅行を楽しんでってくれ」
「兄さんはこちらのアルフォンスと一緒に戻るの?」
 生身のアルが幾分不機嫌そうに聞く。自分達にはつきあえないのに他人とは一緒に行動するのかと、幼い嫉妬心を抑えられない。
「いや。……ボクも他に用事があるからエドとは別行動だよ。ちょっと他所に行く用があってね」
「そうなんだ」
 鎧アルの返答にあからさまにホッとする生身アル。
 生身のアルフォンスはこんな子供っぽい嫉妬心は醜くてヤだなと思いつつ、兄の事になるとどうしても平静でいられない。普段は充分愛されている事が分かるから理不尽な願いも我慢して聞きわけるが、どうしてかこの大きな姿の同じ名前の人と一緒にいると落着かない気分になる。
 兄が自分でない「アルフォンス」の名を呼ぶと腹の中がモヤモヤする。つまらない嫉妬だと思うが、理屈でなく本能的に敵だと思ってしまう。そして同時に親しみを感じる。まるで双子の兄弟に最愛の兄エドワードを奪われたような気分だ。変な感覚だが、姿の分からない奇妙な鎧の少年に親近感と反発とデジャヴを感じる。
 この人をなるべく兄に近付けたくないとアルフォンスは思う。
 アルフォンスは基本的に誰とでも仲良くできるが、何故かこの鎧姿の少年といると落着かない。
 これから別行動と聞いてホッとした。
「何処に行くの?」
「ダ……モーラ地区の親戚の所に。酒場を経営してるんだ」
「へえ」
 生身のアルフォンスはやっぱり変な感じだと思った。
 どこかで聞いた事のある声。話し方、仕種、かもし出す空気が身体に馴染む。まるでずっと前からの知り合いみたいに一緒にいる事に緊張感を感じない。こんな知り合いがいただろうか? と思ってしまう。
 この不可思議な雰囲気にエドワードも警戒を解いたのだろうか? 警戒心の強い兄がこの少年には壁を作っていない。その事に嫉妬している。
「キミのファミリーネームはなんていうの? まだ聞いてなかったよね?」
「うえ……」
 鎧のアルフォンスは焦った。まだ考えてなかったのだ。うっかりしていた。
「ト…リンガムだよ。アルフォンス・トリンガム」
「アルフォンス・トリンガムかあ」
「はは……言ってなかったっけ?」
 鎧アルは内心でダーと冷や汗をかきながら答えた。
 エドワードの目が「何故トリンガム?」と聞いていた。
 咄嗟に出てきた名前がそれだったのだ。一度名前を使われたから、今度はこっちから使ってやれと思ったのかもしれない。それとも今頃どうしているのかと気になっていたのか。
 自分達とよく似た感じの兄弟だった。エルリック兄弟の名前を語り、偶然に出合わなければ今も間違った道を歩んでいたかもしれない。今も赤い水の研究をしているのだろうか。フレッチャーは一見弱そうに見えるが本当は意志が強い子だから、兄を説得しているかもしれない。元気でいるといいのだが。
 懐かしいと思ってもそこまで手を回し気に掛けている余裕がない。計画は順調に進んでいるが、ギリギリだ。
 全てが済んだらトリンガム兄弟に会いに行こうと思った。