モラトリアム 第伍幕

完結
(上)


第参章

#15



「エドが私を連れていってくれるなんて、絶対おかしいと思ったのよね」
 ウィンリィの明るい声にエドワードは顔を顰める。
「折角連れてきてやったのにその言いぐさはなんだよ?」
「だってアンタが私に何かしてくれた事なんて、リゼンブールを出る前までじゃないの。おばさんが退院してリゼンブールの家に戻ってきてもエドはセントラルから帰らないし、手紙も電話もロクの寄越さず帰省もせず、なんて薄情な幼馴染みだと思ってたのよ」
「うっ……誕生日にはちゃんとプレゼント贈ってるだろ」
「当然でしょ。忘れたら許さないわよ。でも私は物を貰うよりも直接おめでとうって言って欲しいの。ずっと一緒にいたのに、年に数回しか顔を合わせないなんて寂しいじゃない」
「ううっ………」
「まあ今回の旅行で埋め合わせしようってのはいい心掛けだけどね」
「……しょうがないだろ。オレだって忙しいんだよ」
「それは分ってるわよ。エドが忙しいっていうのは。アンタが努力したからトリシャおばさんだって助かったんだし、ホーエンハイムのおじさんだって見付かったんだもんね。……偉いわよ、本当に。ちゃんと認めてるから、薄情な幼馴染みでも許してあげてるんでしょ」
「親父の事は……ずっと探してたからな」
「アンタが偉いのは認めるけど……でもやっぱり幼馴染みが遠くにいるのって寂しいものよ。私がそう思うくらいなんだから、おばさんとアルは余計にそう思ってる。分ってる?」
「分ってるよ」
「分ってるなら、もうちょっと帰省の回数を増やしなさい。エドは本当に不精なんだから」
 姉のような口をきくウィンリィに、エドワードは視線で背後の二人に助けを求めた。
 生身のアルフォンスはしようがないなあ、と助け船を出す。
「ウィンリィ。もうそのくらいにしようよ。汽車の中でもずっとお説教ばっかりだったじゃない。それ以上言うと兄さんが増々帰ってこなくなっちゃいそうだよ」
「もう、アルったら。いつもエドが帰って来ないって愚痴零してたのは誰よ」
「ははは。そうだけど、今は兄さんといられるから説教は一時棚上げしとく。それに兄さんは父さんを探してて、連れ帰ってきてくれた。兄さんはすごいよ」
「アルったらエドに甘いんだから」
 とは言うものの、ウィンリィの機嫌も悪くなかった。
 ここはラッシュバレー、機械鎧技師にとって憧れの地だ。いつかは来てみたいと願っていた場所にいて、不機嫌な筈がない。天気は良いし、費用は全てエドワード持ちだ。


 ウィンリィは横に並ぶエドワードに、少しだけ距離を感じて寂しくなる。手の触れられる距離にいるのに、何処かエドワードが遠い気がする。
 今回の旅行はエドワードの提案だ。
 突然父親を連れての帰省。行方知れずになっていたホーエンハイムを連れ帰ったエドワードは歓ぶ家族を残し、急用があるからと再び家を出ようとしていた。
 折角家族水入らずで過ごせるのにと引き止めるピナコに、エドワードは『ラッシュバレーで人と約束している』と言った。錬金術師仲間だと言う。大事な研究資料を受け取る約束があるというので、無理に引き止める事はできなかった。
 扶養されるべき子供なのに反対に家族を養っているエドワードは、仕事を理由に滅多に帰省しない。
 ウィンリィはエドワードが変わってしまったと思う。
 昔のエドワードはこんな子供ではなかった。もっと子供っぽく、頭脳はともかく精神年齢はウィンリィよりずっと低かった。
 知能の高さは精神年齢とは異なる。ウィンリィにとってエドワードは手のかかる弟みたいなものだった。それがいつのまにかこうなってしまった。口数が減り、態度は落着き、子供の顔から大人の顔へと変化した。
 エドワードは急激に成長した。それは良い事だ。なのに喜んであげられない自分がいる。
 エドワードが帰って来なくて寂しいのは家族だけではない。ウィンリィだって寂しい。
 アルフォンスと二人でいると話題になるのはエドワードの事だ。私達がこんなに寂しがっているのにエドワードは薄情だと思った。
 でもそういう感情はただの我侭なのかもしれない。エドワードは父親を探し出してきた。母親の為、弟の為に父親を家に連れ帰った。エドワードが連れて来なければ、ホーエンハイムはまだあの家に帰る事はなかっただろう。母の命を助け、父を見つけ、エドワードは他の誰にもできない事を次々と成している。これ以上を望むのは間違っていると分っていても、感情は納得しない。
 ウィンリィがエドワードにしている説教は感情的なものだと、ウィンリィもエドワードも分っていた。それをあえて受け入れるのがエドワードの優しさなのだろう。
 ウィンリィが漏らした「いいな。私もラッシュバレーに行ってみたい」という言葉を、エドワードがあっさり承諾した事が信じられない。
 ウィンリィはただ思っただけだ。一度は行ってみたいと思っていた所なのでエドワードを羨ましいと思い、何気なく口に出したのだ。せがんだつもりも強請ったつもりもない。
 しかし聞いたエドワードは「別にいいぜ。……けど用事があるから帰りは送ってやれない。それでもいいなら一緒に行くか?」と言った。
「え、ホントにいいの?」
「いいぜ。……ただし一緒に行くだけだぞ。オレはあっちで人と会って、その後もやる事がある。往復の切符をとってやるから、ラッシュバレーに着いたら後の行動は自分でなんとかしろ」
「キャー、ホントに一緒に行っていいのね。やったー」
 ……と手放しに歓ぶウィンリィと、聞いていたアルフォンスが「ボクも行く!」と言った事で一悶着起きた。ウィンリィには快諾したエドワードがなぜかアルフォンスには良い顔をしなかった。理由を尋ねると「折角親父を連れてきたんだから旅行よりも親父に甘えろよ」と言った。
「アルフォンスはアンタに甘えたいのよ。どうして一緒に行っちゃ駄目なの?」
「駄目って事はないが、あっちに行っても構ってやれねえし……色々あるんだよ」
「色々って何よ?」と、聞いたが答えてはくれなかった。
 あの人のせいかしら? とウィンリィは思う。
 エドワードが約束していたという人。初めは大きくいかつい鎧姿にビックリした。このラッシュバレーではあまり浮いていないが、他の土地で見たら目を引くだろう。
 全身が鎧姿だなんてありえない。大柄な身体。見えない中身。鎧が脱げないなんて可哀想に。
 エドワードから始めに「これから会う奴は太陽の光に当たれない病気だから、直射日光が当たらないようにいつも鎧を着てるんだ。人見知りするし色々事情がある奴だから、理由を尋ねたり顔を見たいなんて絶対に言うなよ」と聞いてなければ、不審感一杯になっただろう。
 ウィンリィは医者の娘なのでそういう病気があると知っている。
 姿には驚いたが、声はまだ変声期前で幼い。声だけ聞けば絶対年下だ。ボソボソと喋るので声は分りにくいが、なんとなくアルフォンスに似ていると思った。名前が同じだからそう思ったのかもしれない。
 どういう知り合いなのだろうか。錬金術師仲間だというが、それ以外は何も教えてくれなかった。仕事の事だから言う必要がないと思っているのかもしれない。
 錬金術の話は聞いても分からない。エドワードは仕事が仕事だから家族にも言えない事が沢山ある。無理に知りたいとは思わないが、何も知らないと不安になる。