モラトリアム 第伍幕

完結
(上)


第参章

#14
◇ラッシュバレー◇



 三日後のラッシュバレー。
「えーと…………エド、この人は?」
「こ、こいつは、ア…アルフォンスっていうんだ。アルと同じ名前だ。……偶然だろ」
「へーそうなの。……初めまして、エドワードの幼馴染みのウィンリィ・ロックベルです」
「ボ……ボクはアルフォンスです。……よろしく、ウィンリィ……さん」
「あ、ボクはエドワード兄さんの弟でアルフォンス・エルリックといいます。同じ名前ですね。初めまして」
「よ、よろしく。……アルフォンス君。お、同じ名前なんて奇遇だなあ……あははは……はは……」
 ラッシュバレーの駅前で待ち合わせた鎧姿のアルフォンスとエドワードの側には、幼馴染みと弟の姿があった。
 エドワードの顔はよく見ると引き攣っている。
 鎧のアルフォンスも内心で滂沱の汗だ。
「二人とも、ちょ……ちょっとここで待っててくれ。ぎ、銀行で金を下ろしてくるから。ア、アルフォンス君もお金を下ろすんだよな、一緒に行こうぜ」と言ってエドワードは鎧のアルフォンスを引張って行った。
 声の聞こえない位置まで来ると。
「なんであっちのアルフォンスまで連れて来ちゃったの!」
「しゃーねーだろ! ウィンリィを誘ったらアルの奴が『ボクも行きたい』って言ってきかなかったんだから。アイツ一度言い出したらききやしねえ」
「そこで止めるのが兄の役目だろ」
「ンな事言われても。アイツの事は普段放っておいてるから断りにくいんだよ。母さんも父さんと再会して浮かれて『エドワード、アルフォンスをお願いね』…なんて言ってオレの言う事なんて聞いちゃいねえし、親父はてんで役に立たねえし、断れない空気になって仕方がないから連れてきたんだ。アルが言い出したら聞かないのは本人のオマエが一番良く知ってるだろ。……うう、なんつー展開に。どうやってオマエの存在を誤魔化そう」
 エドワードが苦悩を浮かべて頭を抱える。
「こちら側のボクと一緒だなんて。……『アルフォンス』が二人同時にいるなんて絶対変だよ。それに一緒にいると兄さんを『兄さん』て呼べないじゃないか。『エドワード君』とでも言えって言うの? そんなのヤだよ」
「ちょっとだけ我慢してくれ。仕方がないから途中から別行動するしかねえ。ドミニクさんの所はオレとアルが行かなくてもなんとかなるだろうし。最悪ウィンリィさえドミニクさんの所に行けばいいんだからな」
「いっその事ボクは急用が出来た事にして帰るよ。……その方が安全だろ」
「まあな。だがパニーニャと会うまでは居てくれ。……あの女との鬼ごっこはオマエのフォローがないとキツイ。最終的にはウィンリィが捕まえるんだが、それまでの追いかけっこはオレがするから。うう、ワザと銀時計を盗ませるのか。……面倒くせえ」
「しょうがないよ。ボク達と会わなきゃパニーニャはずっとスリのままだ。彼女の為を思うなら知り合いになって改心してもらわなきゃ」
「この忙しい時に手間かけさせやがる……」
 エドワードとアルフォンスは顔を見合わせて、ハアと溜息を吐いた。
 本当ならエドワードとウィンリィ、そして鎧のアルフォンスの三人がパニーニャと知り合い、ドミニクの家に行く予定だったのだ。それが『正しい未来』だ。それなのにこちら側の『生身のアルフォンス』が一緒に来た事により予定が狂った。
 未来から来たアルフォンスとこちらの世界のアルフォンスが一緒にいるのは危険だ。姿は違えど同じ魂、同じ性格、同じ声。側にいれば互いに惹かれあい、同時に違和感を感じずにはいられない。
 エドワードも態度を自然ぎこちなくなる。どちらも同じ弟。だがこの場合、片方とは他人を装おわなければならない。エドワードにとって両方可愛い弟なのに。どちらかを贔屓したりしたくないのに。
 鎧のアルフォンスと親しくすれば、こちら側の弟は不審に思うだろう。生身のアルフォンスも兄大好きのブラコンだ。エドワードが自分と同じくらい大事にする相手がいると気付けば激しく嫉妬するだろうし、その関係を知りたがる。今、不審感を抱かれるわけにはいかないのだ。
 二人は短い間でこれからの事を決めた。
「じゃあ、ボクはパニーニャと会ったら一足先にダブリスに向うよ」
「ああ。先に師匠の所に行っててくれ」
「ついでにグリードさんの所に行ってくる」
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫だよ。どうせ会いに行かなきゃいけないんだから、ボクが先に会って話をつけておくよ」
「……アルをあんな悪党の所に一人でやりたくねえんだが」
「グリードさんは悪党だけど、ボクは嫌いじゃないな。他のホムンクルスと違って情があるからね。あそこの人達は仲間を大事にしてる。兄さんとは性格が合わないだろうけど、ちゃんと肚を割って話し合えば、それなりに話は通じる相手だよ」
「そうかなあ……」
 エドワードとグリードと会ったのは弟が誘拐され師匠が怪我をさせられた後だ。好印象など抱けるはずがない。
 エドワードの方はもう一度会ったら絶対にボコボコにしてやるっ、というような勢いだが、アルフォンスの方は呑気なものだ。
 誘拐されたといっても酷い事をされた訳ではない。ドルチェットやマーテルとはそれなりに会話していたし、鎧姿のアルフォンスをちゃんと子供扱いしてくれた。
 あそこにいたのは純粋な『人』ではなかったが、『心』は普通の人間だった。悪党ではあるが、彼らもまた不当に虐げられた被害者達なのだ。……とエドワードに説明したがちゃんと聞いていたかどうか。
 アルフォンスは鎧内部でマーテルが死んだ事により精神がぶっとんだし、エドワードも自分の事で手が一杯だった。その後シン国の皇子と会って色々な事がうやむやになってしまった。
「またドルチェットさんやマーテルさんに会えるのかあ。……今度は大総統に知られないように気を付けなくちゃ。あんな事、二度とごめんだ」
「ホムンクルス達に後はつけられてないと思うが……用心に越した事はないな。リン達がいない事には誰がホムンクルスか分からない。うっかりアルやウィンリィに化けられてたら目も当てられねえ。やりにくいぜ」
「あの擬態能力は厄介だよねえ。ボクもこの姿を見咎められないように注意しなくちゃ。兄さんとの関係を疑われたら計画そのものが駄目になっちゃう」
「とにかく、ウィンリィとアルの目を誤魔化して後で合流しようぜ。…オマエの事は『鎧アル』と呼ぶからな」
「うん……それで妥協するよ。今だけだし。でも自分に嫉妬するなんて変な気分」
「オレも変な気分だよ。アルフォンス二人を同時に相手にするなんて。……なんでこう計画が横道に反れるかな」
「計画が全て台本通りにいくわけないって分ってたけどねえ。……ボクがボクの相手をするのか。……なんか複雑。絶対怪しまれる」
「アルは鋭いからな」
「それと嫉妬深いから。兄さんが心に留めている人には敏感だよ。ボクに構うとこっちのアルフォンスは絶対嫉妬すると思うから、あんまりボクの事を呼ばない方がいいかも」
「オマエを呼ばないっていうのは難しいな。オレにとってはどっちも大事な弟だ」
「……仕方がないよ。この世界での『本物』は向こうの方だ。ボクはこの世界では偽物のアルフォンスなんだから」
「ンな寂しい事言うな。オマエが偽物だったらオレも偽物って事になるじゃないか。本来のエドワードの精神を乗っ取った精神泥棒だ。精神の乗っ取りは例え自分同士とはいえ許される事じゃない」
「今更そんな事言っても始まらないでしょ。兄さんがこの世界で頑張らなきゃ母さんも助からなかったし、人体錬成がもう一度行われていた。兄さんが兄さんの身体を乗っ取った事は許されなくても、母さんを助けたんだからそれは悪い事じゃないんだよ。きっとこっちの世界の兄さんの精神もそう思ってる……と思う」
「慰めてくれてるのか。アルは優しいな」
「兄さんが優しいからボクもそうなれるんだよ。……だから気にしないで。今この時だけボクらは他人だ。ボクはお友達のアルフォンス君って事で通してね」
「恋人のアルフォンスって紹介してもいいぞ?」
「ウィンリィのスパナ攻撃を避ける自信があれば言ってもいいけど。……ボクは庇いきれないからね」
 エドワードの顔が引き攣る。
「一つしかない命は大事にしなきゃな」
「兄さんの冗談て笑えないよね」
 兄弟はふへへと笑い合い、そして肩を落とした。
 身内を騙すのは普通の嘘より遥かに難しいのだ。