第弐章
年の功か、ホーエンハイムはアルフォンスの言いたい事をすぐに悟った。しかし流石のホーエンハイムも言葉に詰まり、咄嗟にどう言っていいか分からない。顔を顰めて問う。
「アルフォンス……。お前もしかしてエドワードの事を……恋愛感情で、好き…………なのか?」
「はい」
「それは……近親相姦という事か?」
「そうです」
「いつ…からだ?」
「大体八年くらい前…かな?」
「それは……間違いだ」
「………いいえ」
「やめなさい」
「嫌です」
「禁忌だ」
「分ってます」
「兄弟なんだぞ」
「分ってる」
「地獄に堕ちるぞ」
「もう遅い」
「ありえない」
「これが現実です」
「気の迷いだ」
「そういう自分自身への問い掛けはとっくに済ませた」
「即答するな。ちょっと待て。…………錯覚や気の迷いではなさそうだな。……どうしてエドワードなんだ?」
「じゃあ聞くけど、どうして父さんは母さんを選んだの?」
「それは……愛してるからだ」
「ボクも同じだ。もう兄さんしか愛せないし、一緒に生きていくのは兄さん以外考えられない」
「そんな姿だから選択肢がないだけだ。生身の身体を取り戻したら考えも変わるさ」
「変わると思う? 本当に? この気持ちが変わる? 本当に?」
ハッと嘲笑うアルフォンス。
「……言ってみただけだ」
父と子は睨み合った。
「…とにかく。トリシャに言えないような関係になるのはやめなさい」
「母さんの名前を出すのは卑怯だよ。可愛いお嫁さんの姿が見たいなら、もう一人のボクが叶えてくれるさ。この世界でボクは異邦人だ。ボクには兄さんしかいない。兄さんはボクを見捨てられない。ボク達は一緒に生きていきます」
「オマエ達はそれで本当に幸せか? 後悔しないと何故言えるんだ?」
「幸せなんて主観の問題だろ。外からどう見えようとボクらはそれで満足している。常識ぶって説教するのはやめてよ。ボクも父さんも常識とは程遠い所にいるんだから。少なくともボクは父さんと違って愛する人に寂しい思いをさせない。一生側にいて大事にするよ」
それを言われてしまうと何も言い返せない父親だった。
「しかし……本当にそれでいいのか? そんなにエドワードが好きなのか?」
「好きなんて言葉で言い表せないくらいに愛してる。兄さんはボクの全てだよ」
言い切られてしまうとそれ以上反論できない。
幼い声をしていてもアルフォンスはもう一人前の男だった。少年の姿を留めているエドワードの方が外見に引き摺られて幼い印象がある。
ホーエンハイムは途方にくれた。
理性では仕方がないと諦められても、感情はそうはいかない。親子の縁薄くても愛情はある。
ホーエンハイムは息子の異常性を感じ取った。鎧姿でもアルフォンスがどんなに兄に執心しているか伝わってくる。
「アルフォンスは女性が嫌いなのか? エドワードに執着するのは分かるが、俺がトリシャを愛したように世の中には素晴らしい女性がいる。いつかそういう相手に出会った時に苦しむかもしれないし、エドワードだって心変わりしないとは限らない」
「そうだね。そうかもしれない。けど……どんなに素晴らしい人だろうと兄さんと比べる事はできない。兄さんはボクにとって命であり理想であり愛であり全てなんだ。命がけで愛してるんだ。こんな気持ち、きっともう一生持てない。兄さんはボクの理想の具現だ。兄さんと離れるくらいなら死んだ方がいい」
「アルフォンス、お前……」
ホーエンハイムがゆるゆると首を振った。
ふう、と息を吐く。
「アルフォンスの理想の相手はエドワードという事か?」
「そうだよ」
「…………………………………………趣味悪すぎだ」
呆然と信じたくないといった情けない顔に、エドワードは怒るより吹き出しかけた。
逆にアルフォンスの方が膨れる。
「父さん。ボクの趣味にケチつけないでよ。兄さんみたいに素敵な人が何処にいるっていうのさ。兄さんは強くて賢くてそれでいて可愛くて優しくて、ボクの理想なんだ。こんな人どこにもいないよ」
アルフォンスは父親の本心からの嘆きに憮然とした。何故分からないのかと憤慨する。
「それが趣味悪いと言うんだ。いつからうちの子達はこんなに変な方向に趣味が捻曲がってしまったのか……」
ガックリ肩を落とす父親に兄は「家族を捨てたテメエがうちの子よばわりすんじゃねえ」と口を曲げ、弟の方は「あるべき正しい方向だよ」と平然と返した。
ホーエンハイムはデコボコに並んだ兄弟を見比べて、これが自分の血を継いだ業かと遠く思った。
痴話喧嘩のような言い合いをする兄弟達が未来から来たとは。あまりの予想外の告白に、ただ驚く事しかできない。自分がいない間にこんな事になっていたとは。
ホーエンハイムがエドワードから聞いたのは、二人の簡単な歴史。そこにあったのは一般人には想像を絶する苦痛と苦難だ。エドワード達は詳しくを語らなかったが、ホーエンハイムには分った。この子達は辛苦を舐めて二人で手を取り合って生きてきた。その辛さをお互いに依存する事で耐え、そして離れられなくなったのだ。
いつか。いつか全てが解決した時、平和な何もない時間の流れの中でも、その執心は続くのだろうか。
淡々と流れる穏やかな時間が、縛り上げるような恋心を弛ませるのではないのか。そうしたら二人は間違った関係を築いた事を後悔するのではないか。……と考えて、それはないなと自分の杞憂を嘲笑う。
エドワード達が選んだのはもっとも苦難な道だ。今まで歩いてきた道を曲げてもっと楽な道程を選んでも誰も非難しないというのに、時間の流れを変えてまで選択したのは以前と変わらない、いや以前よりもっと険しい道程。
エドワードとアルフォンスにこの先平穏は訪れる事はないだろう。エドワード達は知り過ぎてしまった。そして欺瞞に満ちた世界を許せず修正しようとしている。過信かそれとも曲げられない正義感ゆえか。
若いな、と思う。
歴史は大河の流れだ。道を正すのは困難を極める。この国は誕生した時から滅びへと向う道筋を決められていた。歴史は予め作られており、その台本にのっとって今まで長い年月を掛けて運ばれてきた。今更軌道修正しようとしても個人の力ではどうしようもできない。
エドワード達だけでなんとかできる筈がない。
しかしそんな事を言っても無駄だろう。逃げる意志がない以上、戦い続けるしかないのだ。そういう風に今まで生きてきて、それ以外の生き方を知らないのだから。
誰も子供達に平らな道を示さず、子供達は自分達だけで岩だらけの細い道を見つけ歩いてきた。
やはり自分のせいかと父性薄いホーエンハイムは感傷的に思った。してきた事に後悔はしないが、子供の道がこうなったのはホーエンハイムが一因を担っている。エドワードはそんな事はないと怒るだろうが、ホーエンハイムには状況が透けて見えた。
ホーエンハイムは子供達の行動に賛成も反対もしない。代わりに力も貸さない。息子達はもう独り立ちしている。父親の手は必要ないだろう。
今回の事は協力というより、自分の責任を果たすつもりで承諾したのだ。責任……妻に対する責任、子供に対する責任。
二人の行動は無謀すぎる。事を起こせばきっとすぐに殺されてしまうだろう。いや、エドワード達が人柱である限り殺される事はないか。
エドワードもアルフォンスももう覚悟を決めている。ホーエンハイムが何を言おうと意志は揺らがないだろう。
だからホーエンハイムもその意志を尊重して、余計な忠告はしない。
しかしさすがに二人の事には驚かされた。
未来から来た事もそうだが、二人のただならぬ関係も想像外だった。
助けてやれないのだから、兄弟で愛し合おうが何をしようがホーエンハイムには止める権利がない。父親は育てる事を放棄した。選択を安易な常識で止められる程恥を知らないわけでもない。
お互いしか頼るものがないのだから、必然なのかもしれない。可哀想にとも愚かなとも思わない。
ただ子供達が途中で挫折するのが少し可哀想だと思った。
自分の無力さを自覚する事ほど哀れなものはない。希望が大きければ大きい程、覚悟が強ければ強い程、人は望みを砕かれた時に歩く道を見失う。別の道を見つけ前に進む事も全く道を変える事も後退する事もできず、ただ立ちすくんで迷う。
そうなるだろう事が予測できて、ホーエンハイムは子供を哀れんだのだった。
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