モラトリアム 第伍幕

完結
(上)


第弐章

#11



「……そんな事を考えていたのか」
 兄弟の計画の全貌を聞いたホーエンハイムは驚き、呆れた。
「お前達もホムンクルスの事を知っていたのか」
「未来でホムンクルス達と散々ドンパチやってきたからな。こちらのホムンクルス達はオレが知ってるって事を知らない」
「この国はホムンクルス達に支配されている。長い間……いや、この国ができた時からずっとだ。……そして秘密はそれだけじゃない」
「……オヤジは知っているのか、全部?」
「知っている。だが誰にも話すつもりはない。…………いいだろう。お前達の言ったとおりに協力しよう。トリシャとアルフォンスの事は任せろ」
 ホーエンハイムの快諾にエドワードは確認する。
「……信じていいんだな?」
「俺にとってもトリシャは大事な女だ。アルフォンスの言う通り長い生だ。そのうちの何十年かを愛した女の為に使うのもいいだろう」
 ホーエンハイムの言葉を聞いて兄弟はホッと安堵した。
 今回の作戦にはどうしてもホーエンハイムの協力が必要だった。もしホーエンハイムが協力を拒んだら、計画は大幅に練り直さなければならなくなる。ホーエンハイム無しでも計画は実行されるが、大きな遠回りになる。
「しかしなあ……」
 ホーエンハイムは感慨深げにわが子達を見た。
「なんだよ」
「目の前にいるお前達が未来から来たのだと思うと、不思議な感じだ。なんでそんな事になったのかなあ……」
「…っざけろクソオヤジ。テメエのせいで母さんが死んだからだろ」
「未来の世界のトリシャの事は残念だが……にしたって人体錬成なんて馬鹿な事をしたもんだ」
「アンタに言われなくても自分達の馬鹿さ加減はよく分ってる。テメエの説教なんて聞きたかねえよ」
「説教じゃなく……不思議なんだよなあ」
「だから何が?」
「なんでエドはそうまでしてアルを助けようとしたんだ? お前アルフォンスに執着しすぎてないか? そんなに弟が好きなのか?」
 父親の素朴な疑問にエドワードは内心でギクリとした。
「エドワードが家族思いなのは分かるが、兄弟なんてのはそこそこの距離があるのが普通だぞ。なのにエドワードはアルフォンスにべったりしすぎている。勝手をやるのもいいがアルを巻き込むな。やるなら自分だけで動け。アルにはアルの人生がある。身体の事があるから一緒にいるのは仕方がないが、身体が元に戻ったらもう少し距離を置いて接しろ。お前は一見自立しているようだが、
そうじゃない。エドは兄なのに弟に全身で寄り掛かってる。それではアルフォンスが可哀想だ」
 ホーエンハイムの指摘にエドワードはポーカーフェイスが作れず顔を強ばらせた。さすが父親という事か。エドワードとアルフォンスの関係を一目で見抜いた。
 意志が強くどんな困難な風にも顔を上げ諦める事をしないエドワードの芯を支えているのは『家族への愛』だ。その芯がエドワードをエドワードたらしめている。
 今のエドワードを支えているのは隣にいるアルフォンスだと、ホーエンハイムはすぐに見破った。
「……寄り掛かってちゃ悪いかよ。オレ達は互いが必要なんだ。オレにはアルが、アルにはオレが。その事をテメエにどうこう言われる筋合いはねえ」
 エドワードは父親の言っている事が正しいと理解していたが、受け入れるわけにはいかなかったし、なんでこの男にごく当然のように説教されなければならないのかという反発から、父親を睨み上げた。
「だってお前……それじゃあ駄目だろう。自分の悪い所に気付いたら直さなきゃ。エドはお兄さんなんだから弟の手本になりなさい。アルの身体が元に戻ったらアルフォンスを開放してやれ」
「……うるせえ」
 上から押さえつけるように命令されたらエドワードはキレただろう。また諭すように説教されたら軽蔑しただろう。だがホーエンハイムは淡々と事実だけを述べているだけだった。押し付けではなく命令でもなく、言っている事はただの正論。聞くも耳を塞ぐもエドワード次第だとホーエンハイムの態度は告げている。だからこそエドワードは全てを跳ねのけられない。
 エドワード自身が弟に負担を掛けていると自覚している。指摘されてしまえば自分の意志を通すのが難しかった。アルフォンスが可哀想だろうと言われてしまえばエドワードに返せる言葉がない。
 耳を塞ぐ事は負けだが、エドワードは正論を聞きたくなかった。
 顔を強ばらせるエドワードと憂い顔のホーエンハイムの間に、アルフォンスの声が入る。
「あのさ、父さん。兄さんとボクの事なら心配いらないから。ボク、充分幸せだし。……ね、兄さん?」
「アル……」
「ボクは兄さんに頼って貰えて嬉しいんだよ。足手纏いでいるよりよっぽどマシだ。というか兄さんは一人で暴走ばかりするから、ボクはもっと頼って欲しいと思ってるんだ。ボクは兄さんと並びあいたいと思ってるし、兄さんを助けたい。ボクは全然可哀想じゃないし不幸でもない。ボクは兄さんと離れるつもりはないよ。父さんが心配するような事は何もないんだ」
「アルフォンス。オレはオマエに助けられてばかりだ。……親父の言う事はムカつくが一理ある。オレはオマエに依存しすぎている」
「やだなあ兄さん。ボクちっともそんな風に思ってないよ。むしろもっと頼って欲しいくらいだ。どうしてそんな風に思うの? ボクらは二人だけの兄弟なんだから助け合うのは当然じゃないか。父さんが何を言ったって気にする事ないよ。普段の兄さんなら父さんの言う事なんか一つも聞かないのに、一体どうしちゃったの? 普段側にいない人の言う事なんか気にしないで、ね?」
「アルフォンス……いいのかそれで?」
「いいに決まってるでしょ。兄さんがボクを頼ってくれるって事はそれだけボクに甲斐性が出てきたって事でしょ。男冥利につきるよ」
「オレは兄なのに甲斐性なしだ……」
「あははは。兄さんが甲斐性無しだったら世の中の殆どの男が甲斐性無しだよ。らしくないなあ。いつもの傲岸不遜の固まりみたいな本性はどこに忘れてきたの? 駅にでも落としてきた?」
「アルゥ…。オマエは本当に良いやつだな。兄として自慢だ」
「ボクも強くて賢くて格好良い兄さんが自慢だよ。兄さんがいてくれなければボクはとっくにこの世にいない。兄さんがボクの全てなんだ。だから誰に何を言われても何も気にしなくていいんだからね」
 鎧なので表情は分からないが、アルフォンスの声は愛情と労りに満ちていた。
 側で兄弟の会話に口を挟めず聞いていたホーエンハイムは、エドワードからアルフォンスに注意を移す。
「アルフォンス。…お前、普段からそんな風に兄を甘やかせてるのか? おかしいだろ。エドが増長するわけだ。それじゃあエドの為にならない。家族を大事にするのは良い事だが、あまり互いに依存しすぎるのは良くない」
「父さん。ボクはちっとも構わないと思ってる。依存の何処が悪いの? 父さんみたいに誰にも依存しないで他者の思惑を顧みない事が正しいの? それともその他大勢の人間のように適度につかず離れずの人間関係を築きあげて、強くも弱くもない中途半端な絆でいる事がいいの? 他の人間がそうだとしても兄さんとボクはそういう風にはなれない。弱点と長所は表裏一体だ。兄さんの弱点は強さの元だから一概に悪いとは言えないと思う。それにボクは兄さんに寄り掛かられたくらいで倒れるほど弱くない。これからもっと強い男になるからね」
「……アルフォンスは強いなあ。そんな身体になったのにちっとも挫けてないし。しかしアルがそんなんじゃ、エドは増々弟依存症になるぞ。それじゃあ今は良くても将来困る。お前達は兄弟で、いずれ離れていくんだから」
 エドワードとアルフォンスは顔を見合わせた。
「あー、その事については親父……」
 エドワードは言いにくそうに言葉を濁した。
「まー、今はこんな状態だし将来と言われ……」
「父さん!」
 アルフォンスの声がエドワードの言葉を遮る。
「一つだけ言わせて! というより父さんにお願いがあります!」
 バンッと机を叩くようにしてアルフォンスが身を乗り出した。その勢いにエドワードとホーエンハイムがわずかに身体を引く。
「何を願うんだ? 言ってみなさい」
「アル……?」
「父さん! 兄さんをボクにください!」
「何言っとんじゃオマエはーーっ!」
 アルフォンスの発言に反射的にツッコミを入れるエドワード。
「くださいって……エドワードはやりとりできるような物じゃないぞ?」
「そんなの知ってるよ。ただ一応礼儀として父さんには言っておこうと思って」
「礼儀? 何が?」
「ボクと兄さんが……」
「ギャーギャーギャーッ! ワーワーワーッ、ストップ、ストップッストップッ!」
 エドワードが大慌てでアルフォンスの口を塞ごうとするが、歴然とした体格差が無駄な抵抗になっていた。
「アルッ! オマエこのクソ親父に何言っとんじゃーっ! 気でも違ったか?」
「ボクは正気だよ、兄さん。ただボクは父さんに言っておきたかったんだ」
「何をだよ。コイツに聞かせる事なんて何一つねえぞ! 洒落にならない事言うなよな?」
「この人をボクに下さい絶対幸せにします、って一度言ってみたかったんだよね。なんだかプロポーズっぽいでしょ」
「何がいいんじゃーっ!」
 エドワードは心の底から叫んだ。ハアハアと息を荒くして弟に縋る。
 よりによって大嫌いな父親の前で。
 アルフォンスの心臓に毛の生えた神経が信じられない。現実とは思いたくない。どうしてアルフォンスはそんな事を平気で言えるのか。ああ穴があったら入りたい。
 顔を上げられないエドワードをよそに、弟と父親は正面から向かい合った。