第弐章
「アル。ただいま」
「おかえりなさい、兄さん」
エドワードはドアを開けると鎧の弟に駆け寄った。
アルフォンスは猫のように飛びついてきた小柄な兄を抱きとめると、硬い装甲で傷付けないようにそっと力を抜いた。
「くふふふ」と、鈴が転がるような声が響く。
「なんだ、アル、その笑い方は?」
「だって兄さん、変なの。ここはボク達の家じゃないのに『ただいま』だって」
「オマエがいるところがオレの帰る場所だ」
クスクスと金属の筒の中で声を響かせて笑うアルフォンスは、兄の言葉を聞いて笑いを止める。
「ボクのいる所が兄さんの家なの?」
「そうだ。そしてオレのいる所がオマエの帰る場所だ」
真面目な顔で言われて、兄の背に回したアルフォンスの手に力が入った。
「そうなの? ……嬉しい。兄さんがそんな風に言ってくれるなんて」
「いてて、アル、力入れすぎっ! 顔が潰れるって!」
鉄板の胸板に顔を押し付けられ、エドワードが悲鳴をあげる。
アルフォンスは兄を一旦離すと、改めて言った。
「兄さん、おかえりなさい」
「おう、ただいま」
エドワードの手がアルフォンスの頭部に伸び、唇が空気と同じ温度に冷えた鉄に触れた。
アルフォンスが潜んでいる隠れ家は住宅街の中にあった。エドワードがずっと前に別名で購入した家だ。買ったまま放置してあったから近隣の住民には空家だと思われている。
人がいる事が分かるのは望ましくないので、窓もカーテンも開けていない。普段使われていないから家の中の空気は淀み、全体が埃臭い。
アルフォンスは嗅覚自体がないので気にならないし、自分の事には無頓着なエドワードも気にしない。夜も電灯は付けず、光が漏れない地下室のみ灯が入る。
エドワードはすまなそうに言う。
「アル。こんな場所で一人にして悪いな。……けど、あともうちょっとなんだ。あと少しだけ辛抱してくれ」
「何言ってるの、兄さん。ボクの事より兄さんの方が大変じゃないか。あちこち動いて、休みなく働いて。ボクは閉じ込められているわけじゃないし、その気になれば外に出られる。だからそんな事は気にしないで」
「でも危険な事はオマエばかりにやらせて、兄ちゃんは心苦しいんだよ。実動はアルに任せきりだし…」
「それは二人で始めに決めた事でしょ。しょうがないよ。ボクが動く方が安全確実なんだから。兄さんは名の売れた国家錬金術師だし、一回でも顔を見られればアウトなんだから、絶対に関わっちゃいけないんだ。兄さんはあくまで部外者でいなきゃ」
「うん。分ってる。そうしようって始めに決めたよな」
エドワードは灯のない暗い部屋で甘えるように弟に寄り掛かる。
誰も聞いていないのだが、誰かに聞かれるのを恐れるかのように二人の声は低くひっそり室内に響いた。陽が沈み外が暗くなっても、部屋にはロウソクの火すら入れられない。僅かな光でも外に漏れれば不審を買う。
いざとなれば口八丁でどうにでも誤魔化せるが、それでも人に見付かるのを恐れて、エドワード達はここでの接触を慎重にしていた。
アルフォンスが見付かる事よりエドワードの方が問題なのだ。エドワードはホムンクルス達の監視対象だ。人柱たるエドワードは常に見張られてると言っていい。ホムンクルスの気配はエドワード達には分からない。今も近くにいるのかもしれない。そう考えると兄弟の声は自然に小さくなる。
しかしホムンクルス達の一部は今セントラルにいない。〈傷の男〉がイーストシティにいるので、それを屠る為にホムンクルスも東部にいる筈だ。ロイ・マスタングも大事な人柱候補なので、殺害されないように〈傷の男〉を探し始末しようとしている。エドワード達の記憶では六年も前の事だが、何が起こったかはっきり覚えている。
誰にも見られていないと分っていても、している事が事なので行動は針の上を歩くかのように慎重だ。
アルフォンスは寄り掛かる兄の髪を撫でる。
「捜査の進行状況はどうなってるの、兄さん?」
「模倣犯は今日捕まった」
「それは良かった。心配してたんだ。人質は無事だった?」
「ああ、人質は無事だ。……ったくとんでもないよな。人のしてる事に便乗して誘拐企てるなんて」
「良かった、子供が無事で。……ボクらのしてる事の方がとんでもないと思うけど」
「オレらは子供を傷つけず丁重に扱ってるぞ」
「してる事は同じだよ。……模倣犯が出てきちゃったんなら、そろそろ潮時か……」
「そうだな。目的は達した。もう茶番の必要はないだろう」
「茶番ね。……攫われた子供の親が聞けば激怒するよね」
「まあ一種の見せしめだな。……ロクな事しちゃいないヤツらの身内だし」
「そんな事言って。子供に罪はないよ」
「分ってるさ。だからガキに怖い思いはさせてないだろ。実際心臓が潰れるような思いで心配してたのは攫った子供の親達だ。無関係な親には悪いがな」
「まったくとんでもない計画立てるよね、我が兄ながら大胆すぎるよ。こんな事考えるなんて」
エドワードの立てた誘拐計画に協力させられたアルフォンスは嘆息した。
そう。……幼児連続誘拐犯は……エドワードとアルフォンスだった。
「なんだよう、オマエだって途中からはノリノリだったじゃないか」
「まあね。どうせやるなら完璧にしなきゃこっちが危険だから、肚を括ったんだよ。子供達が怖い思いをするのは可哀想だし、怪我人を出すのも本意じゃないし、兄さんが動けない分ボクが頑張るしかないでしょ」
「勤勉な弟を持って兄は嬉しい」
「じゃあその喜びを態度で示してよ」
抱き寄せる手をエドワードは拒まず、逆に硬い身体にしがみついた。
意味を持って触られ、エドワードは見上げて言う。
「アル…………触った感触すらないのに、セックスは楽しいか?」
「楽しいに決まってるじゃないか。兄さんだもの。好きな人のやらしー姿を見て嬉しくない男はいないよ」
「俺も男なんだけどな」
「兄さんは純情だから」
「弟に突っ込まれてヒーヒー喜んでる兄のどこをどうとったら純情って表現できんだよ」
エドワードの露悪的な表現にアルフォンスは兄の頭を軽く叩いた。
「もう、そんな言い方しないでよ。ボクが触ってるから兄さんは悦んでるんだろ。ボク以外の人間に触れられて悦ばれたら哀しいけど、ボク限定でやらしくなってくれるなんて、男冥利につきるよ」
「そんなもんか?」
熱烈な恋愛をしていてもどこか淡白なエドワードは、普通の男の気持ちがよく分からない。弟に恋した時点で抱かれる側を自然に受入れたエドワードは、自身を規格外だと理解していた。
「……しないのか?」
てっきりアルフォンスがメイクラブするものだと思ってその気になりかけたエドワードは、それ以上動かない弟に聞いた。
「したいのは山々だけど、仕事の話しなくてもいいの? 時間ないんでしょ?」
「それはそうだが、オマエと一緒にいるのに陰謀だけっていうのも勿体ねえだろ。一回してから仕事の話をしようぜ」
「兄さんからの誘いじゃ乗らないわけにはいかないじゃないか。時間ないのに……」
「嫌なのか?」
エドワードの声が尖る。
「嫌じゃないから困るんだよ」
弟の答えにエドワードは笑顔を見せた。
次はエロでーす(笑)
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