モラトリアム 第伍幕

完結
(上)


第一章

#04



「なんだかエドと話してるとロイと話しているような気分になってくる。やっぱりお前らどこか似てるよな」
「うええ、止めてくれよ。大佐と似てるなんて言われてもちっとも嬉しかねえっ」
「ははは、そういう反応する所もロイと似てるよ。表面とりつくろって中身を中々見せない所も、苦労や瑕を見せない所も、一人で全部背負おうとする所も全部似てる」
 しみじみとした言い方に親友への友情を伺わせるヒューズに、エドワードは「大佐の事、よく見てるな」と言った。
「まあな。士官学校以来の親友だからな」
「中佐は大佐と同期なんだよな」
「ロイとはルームメイトだったんだぜ」
「そして同じ戦争に行った」
「イシュヴァール戦争の事を言ってるのか? ……まあな。あの頃はめぼしい軍人はみんなイシュヴァールにやられたからな。ロイは文官だったが国家錬金術師になっちまったのが運のツキだ。戦場にかり出されてえらい目にあった。だが何が運命か分からない。イシュヴァールに行かなけりゃリザちゃんはロイの副官にならなかっただろうし、ロイ自身もあれだけの野心を持たなかっただろう。……といってもエドには何の事かさっぱり分からないだろうが」
「分かるよ」
「エド?」
「戦争は悲劇だ。人間が変わるのは当然だ。大佐や中佐も地獄を体感して何かを心に生み、そして生まれたモノに従って生きる事にしたんだろ?」
「エド、本当に分かるのか?」
 分かるはずないのにとヒューズの不信感に、エドワードは素っ気なく言う。
「ああ、分からない。オレは戦争を知らないし人も殺した事がない。だけど……アンタらが何を見て何を感じて何をしたくなったのかは知っている。それは正しいのかもしれないが……とても難しい事だ」
 エドワードの淡々とした声の中に怒りとも悲しみともつかない、地面の下に潜り地上に吹き出さない激情のようなものを感じて、ヒューズはこの子もまた何かを抱えて生きてるのだと悟った。
 ヒューズが、ロイが、抱えて生きていこうと決めた重みと同質な何かを背負って生きている。十五歳のエドワードが。……まだ十五歳なのに。
「エドは一体何を背負っているんだ? 戦争を知らないお前が」
 ヒューズの問いにエドワードは唇を噛んだ。
「オレが背負っているのは……と……だよ」
「なんだって? よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
 エドワードはフッと息を吐いた。
「オレの事はどうでもいいじゃないか。今大事なのは中佐の仕事と家族の事だろ」
「いいや、お前の事も大事だよ。こんなガキが何背負ってるんだか、大人の俺が気にするのは当然だろ。ロイもエドの事を気にしている。エドは謎の固まりで不審で可愛くて、だから気になるんだ。ほら言え。お前が背負っているものはなんだ? 何がどうなってエドはそんな風なガキになっちまったんだ? エドは素直だが自分をちっとも見せようとしないじゃないか。たまには大人に甘えてみろよ」
 言葉は冗談じみていてもヒューズの顔は真面目だった。
 エドワードは髪の毛をかき回すヒューズの手を逃れて舌を出した。
「言わねえよ。そう簡単に人の内面を見られると思うな。オレの事が知りたきゃ中佐ももっと本心見せな。笑顔で傷隠して頑張るばかりが大人じゃねえぞ。大佐みたいにたまには弱音吐けよ。その方がこっちも安心すらあ」
「ロイはお前に弱音を吐くのか?」
「本人吐いてるつもりはないみたいだけどな。イシュヴァールの話を振ると途端に寡黙になりやがる。普段から面の皮厚いけど、その話になると皮の厚さと口の固さが倍になる。『君には分からない』……それがヤツの口癖だ。ばっかだなあ。殻に閉じ篭れば、それが自分の傷だって晒してるようなものなのに」
「ロイをバカだと思うか?」
「バカだと思うのは大佐が覚悟を決めたと自分で思い込んでるところだよ。無くせないモノが沢山あるのに自分が強いと思い込んでる。確かに大佐は強いし覚悟があるけど、それでもまだ足りないんだ。敵は大佐が思ってるよりずっと強大だ。命一つかけたくらいじゃとても勝てない。大佐はまだその事を知らない」
 何もかもを分っているといったエドワードの言葉にヒューズは戸惑い、疑問に思う。
 ロイとヒューズが何を見、どう感じて将来を決めたのかエドワードが知る筈はない。なのにエドワードは全て分ってる風に発言をする。
 それに敵とはなんだ? 確かにロイには敵が多いが、エドワードの語る『敵』とはもっと具体的な何かのような気がする。
「エド、お前本当に何を知ってるんだ?」
 ヒューズは初めてエドワードが得体の知れないモノのように思え、そんな筈はないのにと思った。
 ロイはエドワードに対して油断するなと言ったが、今まで本気に聞いていなかった。
 だがふいにロイの声が頭に浮かぶ。

『エドワードは知識と謎のバケモノだ。彼はもう一人の男で大人だよ、ヒューズ』

 結局ロイが正しかったというべきか。
「オレが知ってる事でアンタ達が知らない事は沢山ある。それは知ってなきゃいけない事だから時期を見て話すよ。あともう少し……待ってて欲しい」
「今じゃ駄目なのか?」
「ああ。それに長い話になるから大佐と一緒の時に話す。けど、知るって事にも責任があるって分ってるか? 一度知ってしまえば知らなかった時間には戻れない。情報が重ければ重いほど背負う覚悟も重くなる。中佐も大佐もまだまだ覚悟が足りない。自分達を信じてるけど、それは敵の強大さを知らないからだ。一旦知ったら今までと同じようにはいかない。それを覚えておいて」
「エド、お前は本当に何を知ってるってんだよ」
 小さなエドワードの姿がやけに大きく見えた。
 神託のように抗い難いの声の重圧に、ヒューズはこれは誰だと思った。今のエドワードはヒューズの知るエドワードとは違う。それとも今までただ単に本当のエドワードを見ていなかっただけなのか。独りよがりの会話に思えないのは有無を言わせない圧力があるからだ。
「……オレの知る事は多くない。できる事も少ない。けど何もできないからって何もしなかったら、それは悪意を持って犯罪を犯しているのと変わらない。事勿れ主義と無関心はなまじの悪意よりタチが悪い。…そう思う。けど、力のないモノが臆病になる気持ちも分かるし大きな力を前に一人の力はとても弱いから、目を背けるのも当然だと思ってしまう」
「エド? お前何言って……」
 エドワードはヒューズでなく自分自身と会話するように視線を宙に浮かせた。
「……オレは間違いを犯しているのかもしれない。罪の上塗りをしているだけなのかもしれない。けど、他の生き方を知らないんだ。中佐も大佐もオレが何を考えてこうしたのかいずれ分かる時がくる。その時にオレは断罪され、アンタらは選択を迫られる」
 エドワードの美唇が啓示のように告げる。
「エドの言う事はさっぱり分からないんだが。エドは何か叱られるような事をしたのか?」
「うん」
 あっさり肯定されてヒューズは拍子抜けする。
「エドが何をしようと、ガキがした悪戯だろ。ゲンコツ一発くらわしてやるから反省して、二度とやんなきゃいいだけの話だ」
「一発で済めばいいんだけど……」
 エドワードは瞠目しながら呟いた。
 エドワードのした事を知ればヒューズは決して許すまい。エドワードの行動にはそれなりの意味があるが、それはエドワードが勝手にした事だ。振り回された者達はたまったものではなく、理不尽さを怒るだろう。
 ヒューズに嫌われるのは辛いが死なれるのはもっと辛いので、エドワードは自分の行動を自身に言い聞かせる。この選択しかなかったのだと。エドワードはずっとそうしてきた。
 エドワードの選んだ道は愚かな事が多くて後悔ばかりで、けれどそういう風にしか動けない。
 成長できない自分にエドワードは自嘲する。
 エドワードの曖昧な笑みをヒューズは訝しむ。
「……で、結局お前何を知ってるんだ? ちょこっとオジサンに教えろ」
 ヒューズに顔を覗き込まれ、エドワードは顔を背ける事なく言った。
「エリシアちゃんの事だけど……」
「エリシアがどうしたんだ?」
「将来オレと結婚したいんだって。『エリシア、エドおにいちゃんのお嫁さんになるの』……だって。どう思う? 中佐の事、お義父さんて呼んでいい?」
 エドワードは人間の顔が一瞬で劇的に変化する様を目の当たりにして、人体の神秘を知った。