第一章
「……今回のが模倣犯だとしたら、真犯人達はまだ野放しって事だな」
エドワードは沈みこみそうになる思考を払うように話題を元に戻した。
「そうだな。上層部や部下をがっかりさせて悪いが、今回の奴らはどう考えても別口だろう。今までの誘拐犯じゃねえ。……まだ気は抜けないって事だ」
「中佐も大変だ。連続誘拐犯と模倣犯を同時に相手にしなきゃならないんだからな。上はうるさいし、噂も漏れ出して世論もそろそろ黙ってない。今まで失敗したのは中佐じゃないのに、現責任者だから矢面に立たされる。……なあ中佐。エリシアの事で怒髪天突いてるのは分かるけど、中佐の仕事は軍法会議所だろ。誘拐犯の捜査は他の人間に任せてそろそろ本来の仕事に戻ったら?」
「捜査を他人任せにしろって言うのか? 本気で言ってるのか?」
「ああ」
エドワードの返答にヒューズは、エドワードをやはり子供だと思った。喉元すぎれば熱さを忘れるというが、エリシアが誘拐された時の怒りを忘れたというのだろうか。それとも捕まらない犯人達の為にヒューズが叩かれるのを懸念しているのか。
「それはできない、エド。エリシアの事も勿論あるが、男が一度引き受けた仕事を簡単には放り出せない。次にまた子供が誘拐されるかもしれない。子供が辛い目に会うのは可哀想だ。エリシアを最後にしたい。それにオレは…絶対に犯人達を許せない」
「でも……」
「なんだ?」
エドワードは言い辛そうに、だがはっきりと言った。
「誘拐された子供の中で、本当の意味で『辛い思いをした』子供っていたか?」
「どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。エリシアみたいに自分が誘拐された事さえ認識してない子供もいるし、どこかに遊びに行っただけと思っている子だっている。誘拐された子供達を見たけど、どの子にも影は見られなかった。みんな……こう言っちゃ悪いけど、誘拐された被害者には見えない。陰がないんだ。自分の幸福を疑ってない顔だ」
人質になった子供達をこっそりと一通り見てきたエドワードは、正直な感想を述べた。
ヒューズは意外な意見を聞いたという顔をした。
「そんな事言うが、傷っていうのは見えないけどちゃんと心の中に残ってるもんだぜ。表面元気だからといって、中味までがそうだとは限らねえ。ちっちゃい胸の中に見えない傷があるんだ。大人がそれを分ってやらなくちゃダメなんだ」
「中佐は大人だし良い人だから、小さい子には評価が甘いんだよな。ガキっていうのはそんなに弱くない」
「エドに何が分かるって言うんだ? お前は当事者じゃねえんだぞ」
「オレもガキだからな。ガキの気持ちは分かる。中佐の思いやりを無碍にしているようで悪いけど……誘拐された子供の中には傷はないよ」
「何言ってるんだ? んなわけないだろ?」
何を言い出すのだとヒューズは反論するが、エドワードは冷静だった。
「当事者と第三者は見えてるものが違う。子供の視界で誘拐された時の事を考えてみろよ」
「……というと?」
「『自分は恐い思いをしたのか?』……答えはNOだ。攫われたガキ達の中に傷はない。だが周りの大人達が、誘拐された子供を『キズモノ』として扱った事により、ガキ共は本当にそうなっちまう。ヒューズ中佐もそうだし、子供達の親もそうだ。誘拐された事実が可哀想で子供を被害者として接してる。それがダメなんだ」
「どこがダメなんだ? 実際誘拐されたのは何の罪もない子供だ。周りが気を遣うのは当然だし、親なら尚更だ」
ヒューズはエドワードが何を言いたいのか分からない。
エドワードは噛んで含めるようにゆっくりと言った。
「重ねて言う。人質になった被害者達は『自分達が被害者になった』なんて思ってないんだ。攫われたなんて、ましてや凶悪な誘拐事件の当事者になって金品と交換させられたなんて、これっぽっちも頭にない。毎日変わらない日常を過ごしてるつもりなんだ。犯人に接触した子供だって、ちょっと変わった人間についていって楽しい思いをしたって記憶しかねえ。ガキん中じゃ良い思い出しか残ってないんだ。……なのに、周りの大人がよってたかってそれは『酷い、可哀想な事』だと言葉にして、子供に逆の感情を植え付けちまう。みんな幼いが何も感じないほどバカじゃない。自分を中心に周りの感情がマイナスに傾いてるのが分かり始めている。被害者の自覚の無い子供が、自分が被害者、または何か良くない事をしたのだと認識を書き換えている。大人達が子供に何も知らせないようにしたらガキの中には傷なんか残らないのに、逆に可哀想な被害者として扱う事でわざわざ子供の中に傷を作っちまってる。……オレの言っている意味分かるか?」
「ああ……分かる」
エドワードの言う事にも一理あると、ヒューズは目から鱗が落ちる思いだった。
そうだ。エドワードの言う事は正しい。
誘拐され人質にされた子供達は、始めは自分達が被害者だと認識していなかった。
だが周りの大人達が『可哀想な被害者』と定義付け接した事で、本当にそうなりつつある。
エドワードはそれを懸念している、らしい。
エリシアとてそうだ。ヒューズとグレイシアはエリシアに誘拐の事実を伏せているので本人はそう自覚していないが、もし知らせて自分が恐ろしい目にあったのだと分からせてしまったらどうだろう。なかった筈の傷が心に生まれてしまうかもしれない。
認識しなければ傷は傷になりえない。
エドワードはそう言っている。子供ならではの発想かもしれない。
「中佐がこのまま捜査本部にいると、帰りも当然遅くなる。エリシアちゃんと遊ぶ時間も減るし、グレイシアさんは家で不安な毎日を過ごさなきゃならない。犯人を捕まえるのは勿論大事な事だけど、家庭を守るのはそれ以上に大事だ。中佐には中佐にしかできない事があるんじゃないのか?」
エドワードの真摯な声にヒューズは虚を突かれ、言い返せなかった。
エドワードは個人の視点から発言している。軍人としてそれは間違っている。
しかしヒューズ個人の感情は、エドワードの意見に賛成だった。
「エドの言ってる事は正しい、が……」
「急に責任者を降りるって言っても無理なのは分かるけど、今回の仕事はほどほどにしといた方がいいと思う。これからは犯人を捕まえるより、模倣犯を捕まえる方が多くなりそうな気がする」
「不吉な事言うなよ。犯人捕まえるまでに余計な犯罪者ばかり増えそうでマジで怖いんだから」
「うん、だけど実際、犯人て捕まえられるのかな?」
「絶対に捕まえるさ。ひっ捕えてエリシアを攫った事を嫌って程後悔させてやる」
「中佐の気持ちも分かるけど、冷静になって考えろよ」
「何か他に言いたい事でもあるのか?」
「中佐はこのまま誘拐犯が誘拐と身代金請求を続けると思うか?」
エドワードの唐突な問いにヒューズは頷いた。
「今回の犯人達はまだ失敗らしい失敗をしていない。過信して油断している筈だ。まだまだ犯罪を重ねるだろうな」
「そうかな?」
「エドはそうじゃないと思うのか?」
「犯人達は頭が良いし、それに慎重だ。計画は一見杜撰に見えるけど、今まで尻尾も掴ませなかった所を見ても、周到な計画の元に実行されているのが分かる。犯人は油断せず、増長もしない。……となると、そろそろ撤退を考える時期だと思う」
「撤退? 犯人達がこのまま消えるっていうのか?」
「そうだ。誘拐はリスクが大きい。続けりゃいつかは捕まる。そう何度も成功する方がおかしいんだ。軍内部の人間と繋がってるなら、模倣犯が出てきた事も誘拐犯達には筒抜けだろう。そろそろ潮時と考えるだろうな」
「犯人達は普通じゃねえ。今回の犯罪者達はどのマニュアルにも当て嵌まらない」
「そう、犯人達はずば抜けて頭が良い。だからこそ引き際を考えていると思う。犯人達の目的が金銭なら、もう充分得ている。今まで得た金額を合わせれば莫大だ。欲を出して自身を危うくするかどうか…。並の犯罪者だったら更に欲張るだろうが、今回の犯人は引き際が見えないほどバカじゃない、と思う。オレの推論だと、誘拐犯が犯罪を犯すのはあとせいぜい一、二回だ。もしかしたら模倣犯が出てきた事で終わりを考えているかもしれない。だとすると、このまま誘拐はぱったり止んで犯人達は消え、事件は迷宮入りになる可能性がある」
ヒューズはエドワードの推理に唸る。
「すげえなエド。そこまで考えてるのか。エリシアの事といい、やっぱり思考回路が俺達とは違うな。流石は国家錬金術師だ」
ヒューズは感心したが、エドワードは少しも得意げではなかった。
「オレの考えだと……事件はこのまま迷宮入りする。似たような誘拐事件が起こったとしても、それは模倣犯だ。今までの犯人達じゃねえ」
「おいおい。勝手に迷宮入りさせんなよ。そうならない為に俺らが動いてるんだ」
「けど、犯人達がこれ以上動かなかったら捜査のしようがないだろ。状況証拠から犯人を追っていくのは難しいから行き詰まっている。未だ証拠になりそうなものは出てきてないんだろ?」
「エドの話を聞いてると、何か全部が無理な気持ちになってくるなあ。けどだからといって、じゃあ捜査を止めましょうというわけにはいかない。捕まえるのが難しいからってそこで諦めて犯罪者を放置できるか。俺達は僅かな手掛かりからでも前に進み、犯人に届かなきゃならないんだ」
「正論だ。だけど正論だけが正しい行動じゃない。大事なのは事件から常に客観的でいる事だ」
「エドは客観的に見てるっていうのか?」
「まあね。……考えてみなよ。犯人達は重犯罪を犯してるけど、被害だけを考えると失ったものは金銭だけだ。それも個人の資産じゃなく軍の金だ。それだって突き詰めれば税金だから無駄にはできないけど、実際の被害者は軍という『組織』であって『人』じゃない」
「人質にされたのは子供だぞ。立派な被害者じゃないか!」
エドワードの理論は浅いとヒューズは否定したが、エドワードの声は尚も冷静だった。
「さっきも言っただろ。被害者達が自分を被害者だと思ってない限り傷にはならない。傷付いたのは攫われた子供の親達だ。……中佐やグレイシアさんのような」
「……だったら」
「中佐はどうして人質が全員無事に戻ってると思う?」
「どうしてって……」
「犯人達には始めから子供を傷つけるつもりはなかったって事だよ。金品が手に入らなくても人質は無事に返すつもりだったんだ。だから三番目に攫われた子供は軍の介入があったにも関わらず、無事に戻った。犯人達の目的はあくまで金品の強奪。人質は手段でしかない。犯人がしようとしているのは『泥棒』のみで『傷害』や『殺人』は頭にないんだ。彼らは犯罪者だが凶悪犯じゃない。消えても恐怖にはならない」
「そんなのエドの推測に過ぎない。もしそれが本当だとしても、子供を巻き込んだ事は許せない。犯人達に傷付けるつもりがなくても、手違いがあったらとんでもない事になっていたかもしれない。……どうしてだエド。何かお前、犯人達を庇っているように聞こえるぞ」
エドワードは肩を竦める。
「オレが誘拐犯を庇うわけないだろ。……客観的に見て考えた結果を言っただけだ。犯人達に共感はしない。するわけない。相手は犯罪者だぞ」
エドワードはグレイシアが入れた冷めかけたお茶で喉を湿らせた。
「中佐。これがオレの見解だ。もし犯人達が次に誘拐事件を起こしたら、たぶんそれが最後になる。あと一、二回の誘拐で犯人達は一連の事件を終結させる。オレが犯人ならそうする。得るものは得た。これ以上危険を犯す事はないからな」
|