第一章
「……で、お前らは他の容疑は否認するって事だな?」
「あ、ああ。俺達はやっちゃいねえ。やったのは今回っきりで本当に初めてなんだ。嘘じゃねえ、信じてくれ!」
近寄った顔を、ヒューズは嫌そうに避けた。
下士官が男の肩を押さえて椅子に引き戻す。
ヒューズは男の顔を探るようにジッと見た。
「中佐。……本当でしょうか?」
側で控えていた部下が上官の判断を待つ。
「……尋問を続けてくれ。……少尉、ちょっと」
「はい」
ヒューズとロスは尋問室を出た。
「……ヤツの言う事をどう思う?」
「難しいですね。罪を軽くする為に嘘を言っているのかもしれませんが、全てを嘘と決めつけるのも早計ですし、裏をとってみなければなんとも言えません」
「……だな」
ヒューズはザリッと顎ヒゲを撫でて仏頂面で頷いた。
『幼児連続誘拐身代金強奪事件』の犯人が七度目の犯行の最中に捕まった。
これでやっと事件が終わると安堵し興奮した軍部だが、担当したヒューズは浮かない顔だ。逮捕があまりに簡単すぎた。今までの用意周到な神出鬼没さとまるで違う。
捕らえた犯人達を締め上げると、あっさり「事件を模倣しただけだ」と模倣犯である事を自供した。
では捕まった者達は一連の事件とは無関係なのか?
追求を逃れる為の方便ではないのか?
ヒューズは態度だけでなく頭の中でも首を捻る。材料が少なく判断がつきかねた。
軍の身内だけを標的にした誘拐事件はセントラルを中心に始まり、そして六人の子供が次々と攫われた。
一人目……。そして二人目。
三人目……四人目……五人目……ときて、六人目の被害者はエリシア・ヒューズ。ヒューズの愛娘までもが誘拐犯に攫われた。
エリシアは無事に帰ってきたが、ヒューズの怒りは間欠泉のように理性の表面を破り、激怒のままに周りと上を動かし事件の責任者に納まった。
直属の部下ではないがアームストロングの協力も得て、ロス等の部下を借りうけ行動を起こした矢先に、七度目の誘拐が起こったのだ。
しかし七度目の誘拐はどこか空気が違った。
今までのような『安全』な空気とは違うキナ臭さが漂っていた。
軍部の中には同一犯誘拐の回数が増えた事による安心感が生まれていた。
いいようにあしらわれ煮え湯を飲まされ体面を潰され激怒していたが、一方で犯人達が子供を絶対に傷付けないという前提による安心感があった。
誘拐犯達は『誘拐』と『身代金』にのみ固執し、『犠牲』や『殺人』は犯さないと勝手に思い込み始めていた。危険な徴候だった。
ヒューズはその事を懸念し、油断しないように部下によく言い伝えておいた。
七度目の誘拐でヒューズ達の張った網に引っ掛かった獲物は過激派の小グループだった。
捕まった犯人達を見て、ヒューズはこれは違うと咄嗟に思った。
「どうして違うと思ったんだ?」
ヒューズの家の書斎で向かい合いながら、エドワードはヒューズの直感の理由を聞いた。
「奴らの顔を見た。アレは普通の…と言ったらおかしな表現だが、アイツらはよく見るタイプのテロリストだ。ガキでも平気で殺せる奴らだ。現に今回誘拐された五歳の少年は縛られて捕まってからは水も与えられていない状態だった。今までとは違いすぎる」
「ふうん、模倣犯か。……そろそろ出てくるとは思ってたけど……」
エドワードはソファーに座り、顎を両手の上にのせて視線を泳がせた。
「連続誘拐事件だからな。外部には秘密にしているが、こうも続けば情報は穴から漏れる。便乗する犯罪者が出ないように注意を払っているが、隠しても漏れる軍部の失態の数々は水面下の噂となって浴室のカビのように増殖し始める。厄介なのは元の菌より二次発生した菌の方がよりタチが悪いって事だ。軍を手玉にとっている連続誘拐犯より、便乗犯の方がより悪質だ。頭が悪い分性質も悪い。ガキを平気で犠牲にしやがる」
「ヒューズ中佐は今回の誘拐犯と前六回の犯人は違うって思ってるんだ」
「そう思う。犯罪に込められた意志が違いすぎる」
「意志……ってどんな?」
「どんな犯罪にも色ってものがある。前までの誘拐犯にはガキを傷つける意志は見えなかった。金を捕れなくても人質を殺す意志は見えなかった。だから皆心の何処かで安心していた。だが今回の犯人達は失敗すれば人質を殺しただろう。……そんな感じがする」
「軍人の勘ってヤツ?」
「ああ。[人殺し]の人間は目が違う。俺が捕まえた犯人達は全員[そっち側]の目をしてやがった」
「人殺しの目って……そんなに違うものなのか?」
よく分からないと、エドワードの純粋な疑問にヒューズは言葉を選びながら言った。
「……一度戦場に出ちまうと嫌がおうにも[そっち側]の人間になっちまうんだ。平和な世界に戻って人間の面に戻っても、一度張り付いた[人殺し]の目は隠されこそすれ消えやしねえ。……だからそうでないお前らガキが眩しいのさ」
「中佐……」
イシュヴァール戦争の事を言っているのだと分かり、エドワードはヒューズの抱えた傷を初めて知った気がした。ロイ・マスタングがイシュヴァール戦争の傷を抱え苦しんでいるのは知っていたが、ヒューズまでがそうだったとは知らなかった。この優しく温かく飄々とした男までがそうだったなんてと、無意識に考えないようにしていたのかもしれない。
ロイとヒューズは同じ場所にいた。同じ苦しみを抱えていても当然だ。どうして今まで考えなかったのだろう?
「人殺しって……どこで線引きできるのかな?」
エドワードはポツリと言った。
「エド?」
「過失も無意識も故意も……結果が同じ人死になら、その行為は人殺しって事になる。中佐や大佐は命令という形と、それを受諾した意志と選択により人殺しになった。本意ではなくとも選択した事が殺人という定義となるなら……なら、わざとではないが結果として人殺しをしてしまった者は人殺しとは認識されないのか? 故意と愚かさによる過ちには優劣あるっていうのか?」
「どうしたんだ、エド。何かあったのか? 人殺しがどうしたって? エドはまだ殺しを知らないから怖くなったのか?」
エドワードの静かな低温沸騰したような声に、ヒューズは驚く。
エドワードは膝の上で拳を握る。
「違うよ。……中佐が俺を綺麗なモノのように扱うから、違うって言いたかっただけだ。中佐とオレは何も変わらない。綺麗なんかじゃない」
「お前さんは綺麗だよ。生意気なガキで小憎らしいけど、可愛いもんさ」
「それは『オレ』という人間を知らないからだ」
大人の余裕でエドワードの言葉を本気にしないヒューズに、エドワードは聞こえないように呟いた。
『この世界』のエドワードは人体錬成を行っていない。
だからロイもヒューズもエドワードが『綺麗な人間』だと思っている。
だが違うのだ。誰が知らなくてもエドワードは汚れた人間だ。自分が一番良く知っている。
何も知らないヒューズ達は、エドワードを普通の子供のように[綺麗なモノ]として扱う。それがエドワードにはたまらなかった。
オレは綺麗なんかじゃない、と思う。
ロイやヒューズの情のある目に晒されると、何もかもをブチまけたくなる。汚い自分の内面を、過去を、してしまった過ちを。だが反対に誰にも知られたく無いと思うのだ。
エドワードの汚さ矮小さをヒューズ達に知られたくない。やり直しのきく世界で、今度こそ新しい未来を切り開きたい。その為にエドワードは全ての真実を自分の胸だけに秘めてきたのだ。しかし……それは甘い考えだ。
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