モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第五章

#34



「一連の誘拐事件がヒューズの選択を迫る為だけに起こされたとは、君は大胆なのか乱暴なのか大物なのか…」
 ロイは呆れるしかない。エドワードの誘拐の目的がヒューズだったなんて。いくら考えても分からない筈だ。確かに金品はオマケだ。
「全く狡いぞ。君が何でも知ってるはずだ。未来から来たのなら一度全部経験した事だからな。テストを受ける前に答えを教えてもらったようなものじゃないか」
「オレだって色々迷ったんだよ。最初は母さんを助けるのに必死だったし。母さんはオレがいた未来ではとっくに死んで……オレ達は人体錬成を冒して手足が無くなりアルは肉体全部が消えて、機械鎧は痛いし賢者の石はなかなか見つからないし……そんな未来にならないように、ただそれだけを願った。アンタは狡いと言うが……全部知ってるって事はけっしていい事じゃない。オレは死ぬ運命の人を知っていた。なのに助けたのは母さんと中佐だけだ。歴史を変えてしまうのが恐くて史実をなぞった方がいいと目を瞑った。大事な事を知っていたのに、未来を知っている事がバレるのが恐くて動けなかった。タッカーの暴走を知っていたのにニーナの母親を助ける事ができなかった。オレは……臆病で卑怯者だ」
「鋼の。顔を上げろ。知っていたからといって全てを自分で何とかできると思ったら大間違いだ。人ひとりの力には限界がある。天才だからといって驕るな。君はちっぽけな人間だ。それを知ってるくせに何故一人で背負おうとする。その傲慢さこそが君の悔恨の原因だ。悔やむならひたすら前に進め。自分の足で歩けるのなら絶望するな」
「絶望なんてしてねえよ。そんな暇はねえ」
 ロイに叱咤されると反射的に気力を取り戻せる。エドワードはいざという時優しくないこの男の優しさに、未来も過去も変わらないなと思った。
「しかし君らは壮絶な人生過ごして、この上まだ荒野を歩こうというのか? 安穏と生きる道もあるのに」
「大佐だって真実を知った今だって戦う事をやめないくせに。皆マゾだよな。知らないフリしてりゃ適度に幸せな人生が送れるのにさ」
「しかし……」
 ロイの目付きに愉快というような色が現れてエドワードは警戒する。
「君の最愛の恋人が『弟』だったとは。……さしもの私も近親相姦までは想像つかなかった。完敗だよ」
「……うるせえ」
「人形フェチかと思って一歩引いたが、近親相姦ホモとは……。ここまで予想外の相手とは、君はどの分野においても規格外だな」
「オレが誰と付き合おうがテメエに迷惑かけたわけじゃないんだから放っておけ。つか関わるな」
「だって」
「男が、だってとか言うな」
「君、恋人と肉体関係があるって言ってたよな」
「………………………………そんな事言ったか?」
「『ぶちゃけ揉まれて突っ込まれてた』」
「うぎゃーーっ!」
 エドワードが本気で叫ぶ。
「十三歳でそれとはやるな、鋼の」
「何もやらねえっ! 脳内から消去しろ!」
「どうやったらそんな衝撃的告白を消去できるんだ?」
「お望みなら渾身の一撃で全てを忘れさせてやってもいいぜ。…準備はできてる」
「私が忘れても今聞いたヒューズが覚えているぞ。ヒューズの頭までかち割る気かい? …………あ、ヒューズが石になってる」
「ぎゃーーっ! 中佐、忘れてお願いプリーズ!」
「兄さんたらそんな楽しい会話をしての? ボクも混ぜてよ」
「君のお兄さんは恋人の君に会えない欲求不満を私にぶつける事でストレス解消していたんだ。困った子だ」
「してねえっ!」
「未経験のガキだと思ってた子供に同性とのセックスをほのめかされて、こっちの方がストレスだったな」
「…………………………嘘つけ」
「辛いなら泣けばいいものを。あの時素直に泣いてたら慰めてやるくらいはできたんだぞ」
「テメエの前で泣くくらいなら涙腺掻き切らあ」
「ヒューズの前では素直に泣くくせに」
「あれは……目にゴミが入ったんだよ!」
「言い訳がヘタすぎて突っ込むのも躊躇うな」
「なら無視すりゃいいじゃん!」
「無視されると膨れっ面になるくせに」
「ならねえよ!」
 二人の喧嘩のような言葉の応酬を見て。
「なあアル」
「中佐、大丈夫ですか?」
 ヒューズの顔は強ばったままだ。
「エドって……あんなに明るかったっけ?」
「そうですよ。あれが素です」
「じゃあ今まで恰好つけてたわけだ」
「兄さんなりに背伸びして頑張ってたんですよね」
「でもこっちの顔の方が全然良いな」
「はい。可愛いですよね」
「可愛いけど……一応アレはお前の兄だぞ」
「でも可愛いです」
「そのうちヒゲも生えて男臭くなるぞ」
「男なんだから男臭いのは当然です」
「それでいいのか?」
「兄さんは父さん似だからああいう中年になるんでしょうね。父さん見てると兄さんの未来版かと思ってドキドキしちゃいます」
「…………………………………………アル」
「はい」
「エドと別れる気は…」
「ありません」
「兄弟として健全な道を…」
「歩きたくありません。不健全大歓迎です」
「不健全……プラトニックは…」
「卒業しました」
「…………お前、エドに……その……やらしー事してるのか?」
「恋人の特権です」
「いやしかし、兄弟だし……」
「今更。この世界にはちゃんと『弟』がいるから、ボクは恋人のスタンスでいいです」
「他の女は…」
「興味ありません」
「ウィンリィちゃんなんか可愛いと思わないか?」
「思うけど、ウィンリィの豊かな胸より兄さんのぺったんこなの胸の方が千倍トキメキます」
「ときめくんかい」
「はい」
「それって…」
「変でもいいんです。幸せなんだから」
「幸せなのか?」
「はい」
「エドもか?」
「見れば分かるでしょ。兄さんはボクといるのが幸せなんですよ」
「まあ幸せなら……それが一番だな」
「はい」
 ヒューズはアルフォンスの頭部をガシャガシャと撫で、表情のない筈の鎧が嬉しそうに笑ったのが分かり、まあいいかとロイとエドワードの喧嘩を眺めた。
『平凡な日常こそ最大の幸福である』という格言を思い出し、全然平凡でもなんでもないが幸福なんて人それぞれだと、絶望と希望を与えた悪魔のように純粋な錬金術師を眺めて、弟兼恋人と一緒にそのぶざまさ愛しさに目を細めた。