モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第五章

#33



「……これが全ての真相であり秘密であり行動と理由であり……贖罪と希望だ」


 エドワードの告白はさすがにロイとヒューズの度胆を抜いた。荒唐無稽な話だと一蹴するにはエドワードの雰囲気は真剣すぎ、触れれば斬れる刃のごとき危うさで否定の声すらあげられなかった。
 エドワードはこの日の為に全ての秘密をひたかくしにしてきたのだろう。子供が秘密を箱に隠しておくようにエドワードは胸の内に全てを隠して、開けるその日を待っていたのだ。
 全てを話し終えて、エドワードは疲れた顔を隠さずアルフォンスに寄りかかった。
「御苦労様」
「なんか…自分で言葉にすると今更ながらに堪えるなあ」
「疲れたなら後はボクが引き継ぐよ?」
「いや。始めたのはオレだ。最後まで責任を持つさ」
 甘い雰囲気のようだが、ロイはもうエドワードを十五歳のガキだと思えなかった。
「鋼のは本当は二十一歳か。……充分大人じゃないか」
「外見がこうだからな。外側に引きずられて分りにくいけど、中身は成人してるよ」
「いや、言われてみれば二十一歳に見えなくもない」
「そう?」
「どうりで大人びているわけだ。六歳も年を誤魔化して。年齢詐称だぞ」
「本当の事を言うわけにはいかないだろ」
「全くだ」
「大佐は……信じたの、オレの言った事?」
「信じたというより……話を聞いたら、難解な立体パズルが全部綺麗に嵌まったような感じを受けた。しっくりしすぎて反論する気にもなれない。驚きすぎていちいち突っ込むのも面倒だが………今言った事は全部本当なんだろ?」
「そうだよ」
 ロイは台風の中で傘を開くかどうか迷っているような気分だった。開けば雨は少しはしのげるが傘は壊れるだろう。ささなければずぶぬれだ。
 ショックが重奏のように響いて、反動で軽口と笑顔が出た。精神がどこに直結しているか分からなかった。
 エドワードの語った真実はロイの横っ面を張り飛ばした。常識がすべて塗り替えられた。
 エドワード個人の事情、時間の移動、国の実態、ホムンクルスによる支配、イシュヴァール戦争の真実、人体錬成、魂の定着、機械鎧、度重なる死闘、スカー、シンの皇子。
 ……情報過多でパンクしそうだが不思議と一つ一つが鮮明で忘れられそうもなかった。
 そして一番胸に堪えたのが。
 ロイはヒューズを見た。
 エドワードの告白はヒューズの魂を縛った。
 叫ばない慟哭を乗せてエドワードはヒューズの死を語ったのだ。



『ヒューズ中佐が死んだのはオレ達のせいだ。賢者の石を追い求めたオレ達に関わり過ぎて、中佐は知らなくていい事を知ってしまった。イシュヴァール戦争の真実か、またはホムンクルスと軍の関係か。黙って迎合できる人じゃなかったから、ホムンクルス達は中佐の口を塞いだ。中佐は抵抗したけど、ホムンクルスにグレイシアさんの姿を写しとられて抵抗できなくなった。
 オレ達が殺したようなものだ。中佐には未来も守るべき者もあったっていうのに。……グレイシアさんとエリシアの涙が忘れられない。真実を知ってオレ達を責めないあの人の目を、もう一度絶望で曇らせたくなかった。だからこの時期徹底的に中佐の目を中央の仕事から逸らしておきたかった。中佐が軍の秘密を嗅ぎ付けないように、事件を起こし中佐の目を他に向けておきたかったんだ』
『それが連続誘拐の理由だというのか?』
『半分は。……もう半分は中佐に忠告する為だ。中佐はグレシアさんの姿をしたホムンクルスに殺された。奴らは人の弱味を利用する。それが一番手っ取り早いからだ。ヒューズ中佐は大佐に協力してこの国を良くしようとしている。けどそれは甘い考えだ。この国は根元から腐っている。秘密を知れば消され理想は霧散し家族は泣く。その事を理解して欲しかった。オレが言っても信じなかっただろう。笑って「エリシアもグレイシアも俺が守る。指一本触れさせない」と軽く流しただろう。それじゃ駄目なんだ。そんな気軽な決意では何も守れない。……だから知って欲しかった。絶望を。中佐はエリシアが人質に捕られただけで抵抗できなくなるって、思い知って欲しかった。守るって事の難しさを認識して欲しかった。理想は現実の前ではただの紙屑だって知って欲しかったんだよ。中佐とグレイシアさんを悲しませ苦しませる事は分っていたけど、それより死なれる事の方が何十倍も辛い。グレイシアさん達を本当の意味で泣かせない為に、俺は今泣いてもらおうと思ったんだ。やり方は乱暴で計画は甘かったけど、成功した。……中佐は命日に……死ぬべき日に死なず生き残った。中佐はエリシアが攫われた事で個人で守るには限界があるって理解した。オレの目的は達した。ただそれだけの為にこの事件を起こしたんだ』
『本当に俺は死んでいたのか?』
『うん』
『ホムンクルスに殺された?』
『うん』
『俺が死んだ後の……未来の世界のグレイシアとエリシアはどうなった?』
『家の中は火が消えたみたいだった。哀しみが霧のように二人を覆って……見てるのが辛かった』
『そうか』
『自分のした事を正当化するつもりはない。犯罪だと間違った事だと理解した上で行動した。誹りは受けるし殴りたいなら殴ればいい。これは自己満足でやった事だ。オレは中佐が生きてくれて嬉しい。死ななくて生きて笑っていてくれる事が嬉しい。全部自己満足という我侭で起こした事だ』
『他の家の子供を攫ったのは何故だ?』
『カムフラージュ。エリシアだけを攫ったら怪しまれるかもしれない。エリシア以外の子供は皆親や祖父がイシュヴァール戦争に賛成した者達だ。攫ったのは単なる嫌がらせだ。子供は関係ないから傷つけてない』
『エドは……未来の世界から来たんだなあ。その目で全部を見てきて……過去に戻ってきたのか』
『うん』
『一人で……辛かったな』
『全部自業自得だから。してきた事のツケを払わなければ死ぬ事すら許されないと思った』
『エド……俺はエリシアが攫われた事は許せない。その時の気持ちは残っている』
『うん。中佐には非難する権利がある』
『けど、お前の話を聞いて思った事がある』
『何?』
『助けてくれてありがとう。俺の命をそこまで心配してくれてありがとう。死なずに済んだのはエドワードのおかげだ。感謝する』
『違うよ、中佐。中佐は……』
『俺が今生きてられるのはお前のおかげだ。ありがとうな。今まで一人で辛かっただろう』
 ヒューズに頭を撫でられて、エドワードは両手で顔を覆った。隠しても漏れる嗚咽に身体は震え、今まで流せなかった涙が滂沱になり手を濡らした。
『ち……中佐っ』
『なんだエド』
『生きててくれてありがとう。……死ななくて……本当に良かった』
 小さな声だった。だが何より鋭く聞く者の胸を抉り、場にはしばらくエドワードの嗚咽だけが響いた。
 ヒューズはエドワードがこの一言が言いたくて大胆な行動に出たのだと、やっと理解した。