第五章
数日後、ロイとヒューズはエドワードの泊まるホテルを訪ねた。
二人は数日の間になんとか、自分達の常識と理性と現実に折り合いをつけた。
特にヒューズはアルフォンス(ヌイグルミ)を真剣に愛していると言い張るエドワードに、同性愛なんて小さい事だったんだなと反省した。
男が好きだっていい。人間の形をしていれば。だがヌイグルミはいかんだろう、ヌイグルミはと頭の中でグルグル回る。
仕事場でもヒューズが『ヌイグルミが……ヌイグルミが恋人っていうのはどうか……』などと怪しい事をブツブツ呟いているのを目撃されて、体調不良というのは本当なんだなと納得されたが、どちらかというと不調なのは精神だった。
ヌイグルミ恋人説があまりにカルチャーショックだったので、ヒューズはエドワードが誘拐犯で愛娘を攫った憎むべき相手だという事をしばらく忘れていた。
大事な事なのに。
ヒューズの胸の内は数日の間に変化していた。犯人がエドワードだと分かって裏切られたと激昂したが、理由があるのだと明朗な顔付きと真剣な声で言われて、ヒューズは自分の憎しみが胸の奥に仕舞われ憤りが表には出なくなったのを感じた。
憎いという感情が犯人探しの動力なら憎しみを無くせば興味も失せる。今のヒューズはただエドワードの動機のみ知りたかった。真剣に生きていた筈の子供が何を思ってそうしたのか聞きたかった。
ヒューズの胸の怒りが溶けたのは、エドワードの目が家族を見るのと同じように真剣な輝きがあったからだ。
少なくともエドワードは浮ついた気持ちでそうしたのではないと分かり、理由如何によっては許すしかないのかと葛藤と不満と安堵が混ざって溜息と共に怒りは流れた。
エドワードの言葉では自分はたまに見張られているから動けないという事だが、誰が見張っているのかと聞けばホムンクルスだと言う。冗談かと思えばロイは急に真剣な顔になるし、ヒューズは笑ってはいけない気分にさせられて二人の真剣さに引き摺られるように言われるままに頷いた。
エドワードが事の真相を話すというので、ヒューズとロイは呼ばれるままにエドワードの泊まっているホテルに来た。
エドワードはちょくちょく泊まるホテルを変えているらしく「だから盗聴器の心配はない」と笑った。内容は笑えないが。
「オレの家に来ないのは盗聴器が心配だからか?」
「それもあるけど、やっぱりアルの姿をヒューズ中佐の所で目撃されるのはまずい。用心には用心を重ねなくちゃならない」
「そんなに警戒してるのか?」
「してもしすぎるという事はない。敵は軍全体だから」
「大袈裟だな」
ヒューズは軽く言ったが、エドワードの表情は厳しく言葉は嫌な感じに消えた。
「エド?」
エドワードは背後を振り返った。
「どうやらアルが来たようだ」
ガシャガシャと妙な金属音をさせて廊下を歩く人間がいる。と思ったら自分達のいる部屋の前で止まった。
「……開いてるぞ」
ノックの前にエドワードは言い、立ち上がって相手を迎え入れた。
ドアが閉まるとエドワードは相手の固い装甲に額をつけ、抱き締めた。
「……おかえり」
「ただいま兄さん」
万感の思いで数日の不在の寂しさを埋めるような恋人達の空気に辟易する者はいなかった。なぜなら、それどころではないからだ。
「………………誰だ?」
「アルフォンスだよ」
「あ、こんばんわ中佐。先日はどうも」
巨大な鎧が可愛い声で挨拶した。
「…………アル……フォンス?」
「見た目が違うっ! 今度はデカイ!」
ヒューズとロイは、エドワードの恋人のアルフォンスの立派な体躯に目を見張った。
覚悟を決めていた筈なのにその覚悟がガラガラと崩れる音を聞いて、二人は顔を見合わせた。
「何で外見が変わってるんだ? あのヌイグルミはどうしたんだ?」
ロイの当然の質問にエドワードは隣にアルフォンスを座らせて紹介した。
「これが本物のアルフォンスだ。この間会ったヌイグルミのアルフォンスは、アルフォンスの魂を分けたアルフォンス・ダッシュだ」
「アルフォンスダッシュ……」
「人形に魂を分けたと言っただろ? これはそういう事。アルにしかできない錬金術だ。アルは自分の魂の欠片を無機物に移せるんだ」
「それは錬金術なのか? そんな錬金術は聞いた事がないぞ?」
「前例がないからな。アルにしかできない限定高等錬金術だ。もちろんオレもできない」
「そんな錬金術があるなんて…」
ロイは理論を必死に考えた。しかし考えても分からない。そんな錬金術はファンタジー小説にもない。
ヒューズの方は話を聞いてもよく分からなかったが、意識を物に移せるなんて便利な力だと感心した。
「エド。物に精神を移すとずっとそのままなのか?」
「まさか。意識は数日で無くなる。自然に消えて普通の無機物に戻る。錬成陣も残らない」
「精神を分けるなんて……危なくないのか? 元の精神に影響はないのか?」
「確かにあちこち一遍に動かすと疲れるけど、慣れれば大丈夫ですよ」と、アルフォンスが可愛い声で言った。
鎧の大きさと声のギャップにヒューズは「その鎧は脱がないのか?」と聞いた。
「顔が見たいんだが。それが脱げない理由でもあるのか?」
「うーん。脱いでもいいですけど、驚かないで下さいね」
そう言ってアルフォンスは鎧の頭部を外した。
「………!」
声をあげなかったというより咄嗟に声が出せなかった。頭部を外した鎧の中は空だった。中味がない。
驚きを通り越して理性がうまく働かない。
「やっぱり初めて見ると驚くよね、コレ」
「悲鳴を上げたら容赦なく蹴飛ばそうと思ったが、二人ともさすがに肚が座ってんな」
エドワードとアルフォンスは感心したが、ロイもヒューズも驚きすぎて声が出ないだけだった。
「そ、それは? 何故中味がないんだ?」
「だから言ったじゃねえか。今アルには肉体がないんだよ。人の言うことはちゃんと聞け」
エドワードは平然と言ったが、聞いている大人達はそれで納得できるわけがない。
気を落ち着けながらロイが聞く。
「鋼の。アルフォンスの肉体はどうした?」
「今はない」
「今は? ……何処にあるとか、保管してるとかいう返事なら分かるが、今はないとはどういう意味だ?」
「言葉通りだよ」
「じゃあアルフォンスはどうやって動いているんだ? 魂を移すというが元の魂はどうなっているんだ?」
「アル、見せてやれ」
アルフォンスの身体の中を見ろと言われて、ロイとヒューズは恐る恐る中を覗き込んだ。
中に何か見えた。
「見えるだろ。この錬成陣を媒介にして鎧にアルの魂を定着させた。錬成陣はオレの血で書かれてて、血液の鉄分と鎧の身体が同調して拒否反応を防いでいる。……錬成陣に触るなよ。それを傷つけられるとアルが死ぬから」
二人は慌ててアルフォンスから離れた。
「血の錬成陣を媒介に金属に人間の魂の定着だと? ……元の肉体はどうした?」
「扉の向こう……つっても分からないだろうな。この世界でない場所にある」
「もしかして『真理の扉』というやつか?」
「知ってるのか?」
「存在はグリードに聞いた。人体錬成を試みた物だけが開ける扉だとか。…………君は開いたのか?」
ロイの詰問口調にエドワードは口元を上げた。肯定とも否定ともとれるどちらか分からない表情だったが、水面下で厳しい現実を生きた男の顔が見えた。
エドワードの手がアルフォンスの膝を触る。まるで愛撫するかのように宥めるように安心させるように。優しい仕種だった。
「それを含めて全ての話をするよ。……長くなるからリラックスして聞いてくれ。長い、長い話だ。そして夢物語のようでもあり悪夢でもあるが……ただの現実だ。沢山質問があるだろうが、まずは全部聞いてからにしてくれ。信じきれないかもしれないが、嘘は何一つ言わない」
選択のように祈りのように告白のように告げるエドワードに、ロイとヒューズはいつのまにか息をのみ呼吸をする事を忘れていた。
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