第五章
そうしてしばらく雑談を交わしていると、入口の方で微かな音がした。
「アルだ」
エドワードが立ち上がったのでロイとヒューズも後ろをついていく。
ドアが開いた。
「アル、おかえり。……どうだった?」
エドワードが明るい声で迎えた。
アルフォンスがエドワードの胸の中に飛込む。
「バッチリ。うまく行ったよ」
「宝石は?」
「お腹の中。……ほら」
アルフォンスが腹部を開いて石を取り出す。
「へえ、これがなんとかっていうエメラルドか。なんかアメ玉みたいだな」
「兄さんにかかっちゃ貴重な宝石も台なしだね。……それにしても兄さんのその格好。やっぱり可愛い! ドレスが装飾過多なのを除けばすごくいい」
「シンプルだとつまらないだろ。無理矢理女装させやがって」
「だって見てみたかったんだもの。ボク頑張ったんだから御褒美くれたっていいだろ」
「お前だけならいいが、大佐に見られたじゃねえか」
「大佐? ……………………って、どーして大佐とヒューズ中佐がいるのぉ?」
アルフォンスは直立不動になった。
「ボクハ人形ダヨ。腹話術、ウマイデショ」
平坦な声で下手な演技をするアルフォンスにエドワードは「あー、いいんだよ。もうバレバレだし。……遅いから」と諦めた声で言った。
「兄さん、なんで二人がここにいるの?」
「大佐に今回の誘拐が見抜かれてた。オレが後をつけられた」
「さすが大佐。相変わらず優秀だ。そして兄さん、油断しすぎ。駄目じゃないか」
「こんな奴褒めんじゃねえよ。おしゃべりしている時間はねえ。……アル、奥の部屋にロザリアが寝てるから後を頼む」
「うん。兄さん、見付からないように気をつけて帰ってね」
「アルもあと数時間よろしく」
「じゃあセントラルで」
「ああ、セントラルで会おう」
エドワードとアルフォンスは強く抱き合った。
「大佐。アルが来たからオレ達はここを出るぞ。時間がない。急ぐから…………頼むからしっかりしてくれ」
「あ……う…………」
「エド? ………………ナニそれ?」
言葉もないロイと状況が飲み込めないヒューズは、下にいるアルフォンスを凝視した。
「何って……アルフォンスだ」
「アルフォンス? これが?」
ヒューズは絶句してエドワードとアルフォンスの姿を見比べた。人間疑問が沢山ありすぎると何処から聞いていいかわからなくなるようだ。
アルフォンスはペコリと頭を下げると「こんばんは。マスタング大佐、ヒューズ中佐。こんな姿で失礼します。ボクはアルフォンスです。兄がいつもお世話になっております」と言った。可愛らしい声だ。
ロイは引き攣った顔でエドワードの両肩をガッシリと掴んだ。
「鋼の」
「なんだ? ウザイから手を放しやがれ。男と引っ付く趣味はアル以外ない」
エドワードはロイの顔が近付くのを本気で嫌がる。
「君の恋人は二メートルを越す鎧マッチョだと言ったな?」
「ああ」
ロイはアルフォンスの姿をもう一度見て言った。
「嘘つきっ! ちっちゃいぞ!」
「突っ込む所はそこかよ!」
エドワードも叫ぶ。
「どこが鎧マッチョだ? どう見てもウサギのヌイグルミ、マッチョどころかファンシーランドの住人じゃないか!」
「あ、ボクがウサギなのは兄さんをアリスに見立てたからです。『不思議の国のアリス』です。ボクが時計ウサギ。ほら、時計を持ってるでしょ」
身長四十センチ程度の黒いウサギのヌイグルミが、小さな手で懐中時計を差し出した。
ありえない現実にロイは逃避したくなってきた。
薬物の幻覚症状だと言われた方がまだマシだ。
エドワードの恋人にとうとう会えると聞いて楽しみにしていたのに、現れたのがウサギのヌイグルミだったので、肩透かしどころか動揺と目眩の嵐だ。
今まで色々な物を見て知識を高め経験値を積み、いかなる事があろうと動揺は外に出すまいと日々努力してきたが、これは想定外だ。ロイのマニュアルの中にはない予想外。
ありえない事なんてない、とホムンクルスと天才児は言うがぬいぐるみとの恋愛はありえないだろう。ありえるという認識がおかしい。これで驚かないわけがない。
ロイはヌイグルミと女装の少年の禁断の愛を目の当たりにして動揺を隠せない。
『こんな馬鹿な事があってたまるか』と、ぬいぐるみをひっ掴んで中身をバラして解体したくて仕方がなくなったが、ヌイグルミながら丁寧な口調がどうにも憎めなくて大人げない態度もとれず、態度を決めかねる。さすがに大人の余裕でさらりと交わす事は無理だった。というか無理に決まってる!
「ア……ア、アルフォンス君?」
「はい」
「君はその……鋼のの共犯者なのか?」
「はいそうです。ボクが誘拐の実行犯です」
堂々言われて色々な事が理解できてしまったロイだ。
確かにこれなら今まで不可思議だった誘拐も身代金奪取も可能だ。動いて歩いて走って飛びついて自在に喋って、自我もある人形。そんな物が目の前にある。
ロイは自分の中の世界がいかに狭かったか思い知った。ロイの知らない所で世界は広がっている。ホムンクルスに人体錬成にヌイグルミ。世界は広い、広すぎる。
そうか。常識で考えていたから身代金奪取の方法が分からなかったのだ。
「君は……鋼のの恋人だと聞いたのだが」
「兄さんそんなことまで話したんですか。やだなあ」
やだと言いつつ満更でもない様子だ。照れたように身を捩る様は外見が外見だから可愛いが、あまりにシュールメルヘンでロイは理解不能に陥る。
これは精神の修行か? とロイは内心ダラダラ汗をかきながら思う。
ヌイグルミは愛らしいが、ロイは愛を欠片も感じなかった。
「鋼の」
「なんだ?」
「アルフォンスはヌイグルミにしか見えないんだが、これはどういう事なのかな? 君の恋人は人間ではないのか?」
ああ、それが一番聞きたいのだと、ロイは真剣に問う。
ヌイグルミと愛を語られるくらいなら生ホモの方が十倍マシだ。
エドワードはロイに負けじと真剣に言った。
「アルは人間だよ。ただ今は身体がないから魂を人形に移してるけど。……突っ込みたい所は沢山あるだろうけど、説明は後々。今はひたすら逃げるだけだ。見付かったらアンタらも共犯者だぞ。注意して逃げろよ」
エドワードはもう一度アルフォンスと別れを惜しむと、狼狽えるロイと頭の中が白くなっている柔軟性の欠けたヒューズを引張り、夜の闇の中へ消えて行った。
|