モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第五章

#28
◇真実◇



 ニューオプティンからイーストシティまでは直通列車が通っている。距離は長いがルートは最短で、半日あれば到着する。 路線は直通だが途中駅で燃料補給の為にしばらく停車する。
 乗客はその間列車を降りて食事をしたり休憩をとるのだ。



 ハクロ少将は家族でイーストシティに向う途中だった。
 イーストシティへの移動は旅行ではなく転勤だ。ロイ・マスタングがセントラルに栄転する事が決まり、後任にハクロ少将が任命され、イーストシティに移る事になった。
 若輩者で階級も下のロイの後釜という事でハクロの機嫌はあまりよくない。セントラルに栄転するなら自分の方こそ相応しいと思っているのに、上層部はロイを推してロイはまんまとセントラル行きの切符を手に入れた。イーストシティは東の要だからハクロの移動も栄転といえばそうなのだが、ハクロにはそうは思えない。
 憎々しいロイ・マスタングがセントラルに行くというのに、なぜその背中を見送って後始末のように後任に収まらなければならないのか。
 ハクロは転勤が決まった時から不機嫌を隠そうともしない。
 ロイ・マスタングは評価は高いが、まだ二十代で経験も浅い。先輩たる自分に学ばなければならない事はまだ多々あるというのに、他人の手などいらないという態度だ。生意気な後輩がハクロは大嫌いだった。




「パパぁ。イーストシティって遊園地があるの?」
 幼い愛娘がハクロに甘えるように問いかける。部下には厳しいハクロも娘には甘い。
「はは、あるとも。後でお父さんと行こうな」
「ほんと?」
「本当だとも」
「うわあ、約束だよ?」
 子供達は無邪気な笑顔を見せた。ハクロの気分も和む。
 前回の事があるので移動には細心の注意を払った。移動日は直前まで明らかにせず、乗客名簿からも名前を削った。またテトリストの標的にされてはたまらない。一人の時ならともかく家族連れでは抵抗できない。
 セントラルでは誘拐事件が相次いでいるという。護衛の人数を増やし移動には気を使った。
 途中、汽車は燃料補給で停まるので、停車駅で昼食をとる事にした。
 護衛の人間は全員私服姿だ。軍服では目立って密かに移動した意味がない。
 乗り継ぎ駅なので他の列車も沢山停車して乗り降りする客も多い。
 ハクロ一行は辺りを警戒しながら中のレストランに入って行った。




「遅いな」
 ハクロはトイレの方向を見て言った。食事の後、妻と娘がトイレに立った。女性のトイレが長い事を知ってるのと、駅には一ケ所しかトイレがないので混んでいると聞いて待っていたが、三十分も帰って来ないのはおかしい。遅すぎる。もうすぐ列車が出てしまう。
 護衛がついてるので安心していたが急に不安になり、部下に迎えに行くように指示する。
 部下は戻ってくると報告した。
「……奥様は中にはいらっしゃいません」
「なに?」
 護衛の途方に暮れたような顔に、ハクロは何を言われたか理解したくなかった。
 護衛に連れてきたのは男性だけなので、彼らはトイレの外で待っていたと言う。夫人と子供は中に入ったきりずっと出て来なかった。
 ハクロに命じられた護衛がウエイトレスを連れてトイレの中に入ると、中に夫人も子供も見当たらなかった。トイレの中で化粧直しをしていた女達に聞いても誰も知らないと言う。
 ハクロはまさかと思い、部下に探しに行くように指示する。もしかして先に列車に戻っているのかもしれない。望みを抱いて列車に戻ったが席には誰もいなかった。長男を部下に任せハクロは必死に妻子を探した。
 突然いなくなった理由が分からない。理解したくなかったのかもしれない。
 用心深い妻は子供連れで見知らぬ場所を勝手に歩くような事はしない。なのにいないという事は、自主的にいなくなったのではないという事だ。
「ハクロ少将、奥様が見付かりました」
「なに? 何処だ?」
 ハクロは意識を失い駅のベンチに寝かされている妻の姿に駆け寄った。
「おまえっ……。一体どうしたっていうんだ?」
「分かりません。レストランの裏で壁に寄り掛っているのを発見しました。…近くにお嬢様はいませんでした」
「なんて事だ」
 ハクロは青くなりながら妻の手を握った。
「お前はお母さんについていなさい」
 長男に妻を任せてハクロは医者を探すように言った。引き続き長女の捜索も続ける。
 引きずられるようにしてやってきた医者は妻の脈や目や口の中を見て聴診器を当てた後「軽い貧血です」と診断した。
「間違いないのか?」
「倒れた時に頭をぶつけているかもしれませんが、外傷は見当たりません。じきに意識を回復するでしょう」
「そんな悠長な事は言っていられないんだ。一緒にいた娘が行方不明なんだぞ」
「それは……大変ですね。そういう理由でしたら薬で強制的に意識を回復します」
 医者はカバンから小さな瓶を取り出すと夫人の鼻先に近付けた。
「……ん……あ……」
 ゆっくりとハクロ夫人の目が開く。
「あなた? いったい……」
「大丈夫か?」
「何がですか?」
 夫人はどうして寝ているのか分からないという顔で夫を見た。
「お前はレストランの裏で倒れていたんだ。医者が言うには貧血だそうだ。何でそんな所に行ったんだ? ロザリアはどうした?」
「私? ……よく思い出せない。……ロザリア? あの子はどこですか?」
 夫人は不思議そうに夫に聞いた。
「私の方が聞きたい。お前が倒れていた近くにはいなかった。あの子がいないんだ」
「嘘っ……。探して下さい、わ、私も探します!」
 慌てて立ち上がろうとした夫人だが、クラリと視界が揺れて立ち上がれず夫に支えられる。
「お前はまだ休んでいなさい。今部下が探している。私も探しに行く。……きっとお前が倒れたので驚いて、あの子は小さいからどうしていいか分からず慌てて戻ろうとして、迷ったんだ。探せば見付かるさ」
「あなた……」
「俺も探しに行く。おまえはここで休んでいなさい。いいね、絶対に動くんじゃないよ?」
 ハクロは妻を安心させるように言うと、娘を探す為に駆け出した。




 その後駅員を動員してハクロは娘を探したが、その姿を発見する事はできなかった。
 ハクロは軍に人員を要請し、子供の捜索が始まった。
 同時に誘拐の可能性があると報告した。
 一緒にいた夫人はトイレに入った後の事を何も覚えておらず、どうして外にいたかも分からなかった。
 日が暮れる頃子供の失踪を誘拐と断定し、正式に捜査が開始された。
 そして二時間後、一本の電話が軍に入った。