モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第四章

#26



(なんだ、これは?)
 ロイの常識ではありえない事態。だが見た物を疑うほど頑ではない。むしろ柔軟なロイはグリードが伝説のホムンクルスだという事を信じた。信じるしかなかった。
 次から次へとよく驚かされるものだ。あまりの驚きに怒りも吹き飛ぶ。
 凄い再生能力だ。ロイの焔で殺せるだろうか?
「グリードは…本当にホムンクルスなのか?」
「ああ」
「一体どうやって生まれてきたんだ?」
「それは内緒だ。俺の親の事を知りたきゃ自分で何とか調べるんだな。だが一つ言っておく。下手に嗅ぎまわったらお前は消されるぜ?」
「誰が私を殺すというのだ? 貴様の仲間か?」
「いんや。仲間じゃねえよ。むしろ逆だ。俺を追ってる連中がお前を殺す。俺を追ってるのは他のホムンクルスと軍だぜ」
「貴様の他にもホムンクルスがいるのか? なぜ軍が?」
「そりゃ簡単だ。軍とホムンクルスは繋がってるんだ。アメストリス軍は色々非合法な研究を重ねている。イシュヴァールは巨大な実験場だった。ここにいる俺の仲間は戦時中、軍の人体実験の材料にされて生き残った連中ばかりだ。戦後のドサマギで逃げ出して自由を手にしたが、所在が分かれば証拠隠滅の為に消されるか、もしくは研究所に逆戻りだ」
「人体実験? まさかそんな…」
「そんな事はありえないと綺麗ごとを言うつもりか? お前だってあの戦争に行ったんだろ? 女子供を平気で虐殺した連中が自軍の下っ端を実験材料にしないなんて、どうして言えんだ? お綺麗な夢見るのもいい加減にしろや」
 グリードの正論にロイは反論の言葉もない。
 脱走兵というのは当たっていたが、理由までは想像しきれていなかった。戦争の残酷さに逃げ出した者は多いからそういう連中だと思っていたのに。
「何も知らない大佐様にはショックだったかい? ……だがもっとショックな事を教えてやろう。俺達は捕まりゃ死刑だが、事実を知ってしまったお前も同じく殺害対象だ。あの連中は秘密を知ってる人間を生かしておかない。軍の上層部はホムンクルスの事も人体実験の事も知っていて、秘密に近付いた人間を片っ端から始末している。本当だせ?」
 ロイは最早グリードの言葉を疑っていない。ホムンクルスという事実がある以上、否定する材料がないのだ。
「だからまあ、俺らは軍には近付いては欲しくねえのさ。軍は敵だ。けど、テロリストみたいにあからさまな敵対行為は面倒だし疲れるからしねえ。それに得になんねえし。折角生き延びた命だから面白可笑しく生きてえだけだ。……けど俺達を敵にまわすっていうなら戦うぞ。手段は選ばねえ。ガキだからって遠慮はしねえし悪魔にだってならあ。なぜなら軍の方がよっぽど酷ぇ悪魔だからな。悪魔に対抗できるのは悪魔だけだ。正論吐くバカは死ぬ、おひとよしも死ぬ。悪魔で結構。人間ていうのは悪魔に利用されて搾取されるだけで終わる間抜けな生物だからな」
「……だから私に口止めしたのか」
「ああ。あんたの口からペラペラここの事を喋られちゃ困るんでな。下っ端ならいいが上の方は俺らの事を知ってるから、オレ達が生きてるのを知ったら潰しにくる。軍は適当な理由つけて俺らを全員を皆殺しにするだろう。……お前の軽い口が俺達の命を握ってるなんぞゾッとしねえ。だから使えるものは使わせてもらう。お前が余計な事を喋ったと分ったら、お前の大事にしてるガキを攫うぜ? 後生大事に守っても無駄だ。一生守りきる事なんてできやしねえ。自分の大事にしてるものを守りたきゃ他人のテリトリーに入ってくんな」
 脅されても今度は怒りが湧かなかった。
 人は自分の命の危険を回避する為なら何でもする。グリードのやり方は乱暴だが筋が通っている。関係ないエリシアを巻き込むなと言いたい所だが、ロイが動いているのはエリシアとその両親の為だと始めに説明してしまったのだから、今更無関係だと言う理屈は通らない。
 エドワードの事を言いたくなかったからだが、今は後悔している。こんな事なら始めから本当の事を言うべきだった。
「エリシアには手を出すな。……分った。約束しよう。私はここで見て聞いた事を誰にも喋らない。副官にも親友にも、もちろん上にも言わない」
「もし約束を破ったら……」
「エリシアを危険な目には合わせられない。確かに私はエリシアを一生守る事はできない。貴様とは敵対しない方が得策だ」
 それに彼の仲間の事を考えると上層部には知られたくないと思う。人体実験の事実が本当なら、上層部は彼らの生存を知れば本当に皆殺しにするかもしれない。捕まっても研究所で実験動物扱いだ。そんな事は許されていい事じゃない。イシュヴァール戦争ではイシュヴァール人を使った人体実験が行われていたのを、知り合いの医者から聞いている。まさか自軍の兵までそうしていたとは。事実が漏れる事を警戒する上層部は手段を選ばないだろう。
 エリシアの事を除けばグリードの言っている事は正しい。放っておくのが一番だ。
 しかしホムンクルスとは。自分の目で見てもまだ信じられない。
 そんなものまで軍は作り出していたのか。死なない人造人間。夢の存在。
 だが夢は実現すれば悪夢に変わる。
「約束、破るなよ?」
「私も自分の身が可愛い。味方である軍に殺されるのだけは避けたいから約束は守る」
「賢い返事だ。その賢さがずっと続く事を祈るぜ」
 言いたい事は終わったというグリードに、今度はロイから問いかける。
「鋼の錬金術師の事を聞きたい」
「あのガキがここに来た理由か?」
「そうだ。鋼のはなぜグリードに会いに来た。何の目的があったんだ? どうやって鋼のはグリードに辿りついた?」
「そりゃ言えねえな。それはあいつとの取り引きだ」
「鋼のと何か取り引きをしたのか? 一体何を?」
「聞けば何でも答えるなと思うなよ。錬金術師は等価交換てのを基本にしてるんだろ? 謎を知りたきゃ対価を寄越しな」
「金か?」
「金で買えるような謎じゃねえ。あのガキとの取り引きはとびっきりだった。あんなに楽しい思いをしたのは久しぶりだったぜ。はした金じゃ換算できねえな」
「私は取り引きできるような物は持っていない」
「じゃあ諦めるんだな」
「グリードは鋼のをどう思った? 会ってどう感じた?」
「どう、とは?」
「……鋼のは謎の多い子供だ。私はその秘密を知りたくてあの子の側にいる。対価はないが……知っているなら教えて欲しい」
 真面目なロイの雰囲気にグリードは「ふうん?」と興味が湧いたようだ。
「テメエもあのガキが胡散臭いと思ってるクチか?」
「ホムンクルスほど胡散臭くはないが、ただの天才児だとはとても思えない。内側にグリード並の何かを飼っている気がする」
「へえ。……あんた見る目があるなあ」
 グリードは素直に感心した。
 瞳は値踏みから計算するような色に変わる。
「じゃあ一つだけ教えてやるよ。あのガキは俺に会いに来た時から、俺がホムンクルスだって事を知ってたぜ」
「まさか…」
「そのまさかさ。あのガキはお前の知らない事を沢山知ってるぜ。俺の存在よりあのガキの方がよほど貴重だ。アンタの疑いは正しいよ。あのガキはただのガキじゃねえ」
「鋼のがホムンクルスの存在を知っていた?」
「そうだよ。あのチビ、堂々と俺と渡り合いやがった。普通、俺はガキなんか相手にゃしないが、アレは別だ。あいつは俺が知る中でもとびきりだ。やってる事もこれからやる事も面白くてたまんねえ。退屈しなくていいや」
「エドワードの何を知ってるというんだ?」
「俺が教えられるのはそこまでだ。無料で教えてやったのはお前があのガキの情報をくれた代わりさ」