第四章
「……大佐、大佐」
「…………中尉? 仕事はちゃんとやります、サボってません……」
「何寝惚けてるんですか? 起きなくていいんですか?」
「……あ?」
軍の仮眠室にいるのではないと気付いて、ロイは目を開けて見慣れない天井と見慣れたホークアイの姿を確認した。
「もう九時を過ぎましたよ。お疲れなのは分かりますがそろそろ起きて下さい。やる事があるんでしょう?」
「九時?」
ロイはガバッと起き上がった。グリードとの約束は十時だ。ホテルから西地区までは歩いて三十分はかかる。車なら十分弱だ。
ロイは慌ててバスルームに飛込むとシャワーを浴びて眠気を覚ました。
「大佐、どうしたんですか?」
ロイの様子にもっと早く起こした方が良かったかしらとホークアイは思った。
「十時に人と約束している。すぐにホテルを出るから君は待機していてくれ」
「どちらまで行かれるんですか?」
「昨日と同じ場所だ」
ロイは身なりを整えると部屋を飛び出した。
ロイとホークアイは同じ部屋に泊まっている。夫婦という設定だから仕方がない。公になればまずい事だが仕事と割り切っているホークアイは気にしないし、ロイもわきまえているからさして問題はなかった。
ロイは昨日目をつけていたパン屋に入ると朝食用のパンを買い、食べながら歩いた。
昨日は頭痛が酷くてロクにものを考えられなかったが、熟睡したせいで頭の中が冴えている。時間を置いたので冷静さを取り戻す事もできた。
収穫があった。わざわざここまできた甲斐があった。……のは良い事なのだろうか? エドワードの名前が出てロイは分らなくなった。
昨日グリードが言った事は全てが真実なのだろうか?
キャサリンの居場所の事、そしてエドワードの事。
エドワードの素性をロイに聞く事によってロイに疑惑の根を受け付けようとした、という可能性もある。
…考えすぎか。だが考えても考えすぎるという事はない。まだまだ謎は多く残っている。
こんな事ならブレダでも連れてくれば良かったなと思った。全部を一人でするには時間も人手も足りない。エドワードがどんな陰謀を企てているか知らないが、よくあちこち動けるものだ。ラッシュバレーに行ったりダブリスに行ったりエドワードの行動範囲は広い。
キャサリンとエドワードの接点を見つけてしまったロイは、方向性を修正しなければならないと思った。
……グリードに協力を持ちかけてみるべきだろうか?
あの男は得体が知れなかったが狭量でも頑でもなさそうだ。ただ信用はおけない。どこか量れずしかも俗物的だ。グリードの部下は軍を嫌っているがグリード個人はどちらでも良さそうだった。
しかし悪人と取り引きするという事はそれなりの代価がいる。利用するのはいいが利用されるのは困るから、話を持ちかけるのは最終手段にしようと思った。
デビルズネストの入口には人相の良くない男が立っていて、ロイを見ると入れというように顎で示した。
ロイは階段を降りて店に入る。朝見る酒場は化粧を落とした女のようだ。さっぱりとして、だが見えなくてもいい所まで見える。
「グリードは?」
「今来る。その辺に座って待ってろ」
中にいた男がそっけなく言った。
すぐにグリードはとりまきを連れてやってきた。
「よう」
「おはよう、昨日は世話になったな」
ロイの嫌味をグリードは気にしない。
「その辺に座れや。立ったままでもいいが」
「今日は店で話をするのか」
「午前中は休みだからかまわねえ。わざわざ奥行く事もないだろ」
「……それで私に話したい事とは何だ? 昨日の続きか? なんで昨日話さなかったんだ?」
「……まず第一に確かめたいんだが、お前は今回の事は私怨で動いてると言ったな」
「ああ」
「じゃあここでの事を軍には報告しねえな?」
「それは……確約はできない。場合によっては知らせる事になるかもしれない」
「駄目だと言ったら?」
「軍の命令があれば嫌とは言えない。そのときどきの状況によって対応を変える」
「いや変えるな。一貫しろ。ここでの事は一切喋るな。店の名前も出すな」
グリードはここの事を軍に知られたくないようだ。もしかしたら元軍人達は脱走兵かもしれない。
「なぜこの店の事を知られたくない? 確かに非合法な事もしてるだろうが、それはこの店に限った事じゃない。クスリや女を扱う店は他にごまんとある。調べられても言い逃れくらいはできる筈だ」
「ふん。俺らは軍が嫌いなんだよ。自分の庭に入りこまれるなんぞゾッとするぜ。……お前はダブリスには観光に来たって事になってるんだろ? ずっとそれで通しとけ。本当の事を言っても良い事ないぜ。これは心からの忠告だ」
「それでは私に何か悪い事が起きるとでも?」
「おうよ。……その辺は鋼のおチビさんにでも聞くといい。あのガキは色々事情通だぜ」
「お前、鋼のの事…?」
「昨日あんたに教えてもらった後調べたからな。……そらっとぼけやがって。あのガキと結構親しくしてるみたいじゃねえか」
「調べたのか……」
素早い。グリードの情報網は侮れないようだ。
「当たり前だろう。俺は用心深いんでな。あのガキが鋼の錬金術師とは笑えるぜ。……全部知っていながらよくまあ平気で軍にいられるよ」
「鋼のが何を知っているというのだ?」
「それはあのガキに聞きな。俺はただで教えるつもりはないぜ」
「ここでの事を黙っている事と交換だと言ったら?」
「お前はそんな取り引きできる立場にゃねえ」
「どういう意味だ」
「お前が動いてるのはマース・ヒューズって野郎の為なんだろ? くくくく、泣かせる友情じゃねえか」
「お前っ!……」
グリードの顔に浮かんだ嘲笑にロイはいきり立ちそうになる自分を抑えた。気持ちを乱したら負けだ。
「昨日喋りすぎたな。……お前の言った事は嘘じゃなかったな。最近攫われたガキはヒューズ中佐の娘だってな。それで親友のあんたも激怒してるってわけだ」
「そこまで調べて何がしたい?」
グリードは掛けていたサングラスを外した。この男はどこか獣の臭いがする。
「これは取り引きだ。……俺は平穏が欲しい。軍に嗅ぎまわられるなんぞまっぴらだ」
「取り引きする材料はなんだ?」
「喋り過ぎたって言っただろ。あんたが下手うって俺の生活を脅かしたら、また親友のガキが攫われるかもしれないぜ?」
「貴様っ、エリシアを!」
「おっと怒るなよ大佐。俺は女は傷付けねえ主義だ。ガキでも女なら大事にするぜ。……けど俺の生活を脅かすっていうんなら話は別だ。……容赦はしねえ」
グリードの苛烈な目に本気を感じ取って、ロイも厳しい顔を隠さない。
「一つ忠告しておく。エリシアに……あの家族に何かしたら殺す。捕まえて軍に引き渡す前に消し炭にしてやる。必ずだ。何処に逃げても必ず見つけだして殺す。簡単には殺さない。死なない程度に火力を落とし少しづつ灼き殺す。……私は本気だ」
「へえ……。それがあんたの本気の目か。……いい目ぇしてんじゃんか。その目でイシュヴァール戦争を生き抜いたんだろ? ……けど俺を殺す事は不可能だ。お前には難しい」
「私を見くびってもらっては困るな」
「別にてめえを見くびっちゃいねえよ。俺には殺されない理由があるのさ。……ロア」
背後に控えていた男が呼ばれてグリードに近付く。
「……やれ」
「はい」
返事と同時にロアと呼ばれた大男が手にしていたハンマーを素早く振った。
「なっ!……」
ロイは咄嗟に反応できなかった。
ロアの振るったハンマーはグリードの側頭部を直撃し、勢いのまま上頭部をなぎ払った。口より上が吹き飛び血と肉片が飛び散る現実にロイは発火布を嵌めようと動いたが、その動きも止まる事態が起きた。
何が起こったのか分からない。いや理解しているが認めたくなかった。グリードの消し飛んだ頭部があっという間に再生したのだ。ロイが呆然としている間にグリードは何事もなかったかのように首をコキコキと動かし、何も言えないでいるロイを面白そうに見た。
「……まあこういう訳でな。俺は殺しても死なない。てめえにゃ殺せないっていうのはこういう訳だ」
「貴様……何者だ?」
「ホムンクルスだよ。作られた人間ってやつだ」
「まさかありえないっ! ホムンクルスなどいる筈がない!」
ロイの叫びにグリードはニヤリと笑う。
「じゅあ今お前が見たのは何だっていうんだ? まさか幻覚でも見せられたと思ったのか?」
「……………………」
「この世にはありえない事なんかないんだ。どんな悪夢も現実だ。自分の目で見たものを信じなくて何を信じるんだ?」
「……ホムンクルスだなんて……」
ロイはあっけにとられてグリードを凝視した。
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