モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第三章

#23



「なあ、キャサリンを追ってる理由は何だ? あの女は何をやらかした?」
「それは言えない」
「へえ。じゃあ力づくで言わせるって手もあるけど、どうする?」
「私を力で動かそうというのか?」
 ロイは嘲笑った。
 確かに。この人数ではロイに勝ち目はない。捕まって拷問にでもかけられれば厄介だ。だがロイとて矜持がある。脅されて素直に喋るような事はできない。
 それにグリードはダイヤモンドの事を何も知らないのかもしれない。誘拐と関係があるか無いかまだ判断がつきかねる。なのに今喋ってしまったらいらぬ情報を与えてしまう事になる。
 キャサリンは誘拐犯に繋がる重要な鍵だ。余計な横槍を入れられたくない。
 ロイの頑なさにグリードは「素直になった方が得だぜ?」と言った。
「俺は女を傷つけるのは嫌いだが、時と場合によっては主義も変える。…あんたのツレって好い女だな。シャンとしてて。あれはてめえの女か?」
「…貴様っ!」
 グリードが何を言ってるか分ってロイは顔色を変える。
 まさかと思った。
「中尉に何をしたっ!」
「まだ何もしてねえよ。指一本触れちゃいねえ」
「本当だな?」
「へっ……女を傷付けるのは趣味じゃねえ」
「……中尉は何処だ?」
「アンタのツレは中尉さんなんだ。もしかして側近の部下ってやつか? 好い女連れてるからお楽しみ旅行かと思ったが、あくまで仕事らしいな。それとも仕事にかこつけて部下としっぽりお楽しみかい?」
「中尉は私の忠実な部下だ。……なぜ中尉の事まで知ってるんだ?」
 グリードに二手も先をいかれてロイは焦る。
 思った以上にマズイ状態だった。まさかホークアイを人質に取られるとは思っていなかった。ロイの見通しが甘かった。自分の浅慮にホゾを噛んでも遅い。今回の行動はあくまで私的な事だからブレダ以外には知らせていない。いつのまにホークアイの事まで知ったのか。油断ならない相手だ。
「どうしてツレの事まで知ってるか?…って顔だな。カラクリを言っちまうと、最近胡散臭いのがうちの店の周りを嗅ぎまわってるようだから、いつもより用心してたのさ。そしたら今日、その胡散臭い野郎が昼間に中央広場でヨソ者と接触してるじゃねえか。気になったんで後をつけさせてもらったのさ」
(じゃあ昼間広場にいた時から私は奴らに見張られていたというのか?)
 あまりの迂闊さにロイは唖然とした。
 周囲には気を付けていたつもりだったのに、向けられた視線に全く気付かなかった。情報屋の方が目をつけられている可能性を考えなかったロイのミスだ。注意力が足りなかった。
 相手は元軍人。しかも特殊部隊だ。ロイに気付かれず後をつける事など簡単だったろう。
 ロイは半分プライベートの気分だったから警戒を怠った。用心深く頭脳長けた誘拐犯に繋がる者かもしれないのだから、慎重に慎重を重ねなければならなかったのに。油断がこの結果を招いた。
 今更言っても仕方ないが。
「……参ったな。完敗だ」
 ヘタな演技は無駄だった訳だ。
「昼間うちの店の前を通っただろう。こいつらが顔を見てお前が焔の錬金術師だと分った。後をつけて、泊まってるホテルから誰と来たのかまで調べ上げた。どうやら他の軍人は来てないようだな。二人だけのお忍び旅行か。ツレを置いてきたのは足を怪我したからだって? ……俺の部下がそのツレの部屋を見張ってるが、まだ手は出しちゃいねえ。お前の返事如何では攫ってこなきゃなんねえから、素直に応えてくれや。俺は女に手を出すのはヤなんだよ」
「……自分の迂闊さに呆れて反省する気すら起きん」
 ロイは降参、という風に手を上げた。
 ホークアイの存在を知られた段階でロイの負けだ。
 ホークアイには銃があるが相手側も元軍人のスペシャリストだし、数がいる。足を怪我していなければ対応できるだろうが、あの足でどこまで戦えるか分らない。銃撃戦になればホテルが警察に通報するのが早いかホークアイから銃を取り上げるのが早いかのスピード勝負になるだろう。今回の件は仕事ではないのだからそこまではさせられない。
「質問には答えるから中尉には手を出すな。グリードだって事を大きくして軍と事を構えたくないだろう? ここに来た事は側近に教えてある。私達が帰らなかったら探しに来るぞ。私はこれでも部下には慕われてるんでな」
「へえ、人望あるんだ?」
「優秀な部下がいてこそ仕事はまわる。その為の人材は確保してある」
「その人望溢れる大佐様がどうして単独で動いている? こんな所まで来て。調べものなら部下を使えばいいだろ。下っ端ならともかく、大佐にまでなった野郎が一人で動くなんて、普通だったらありえない事だ。てめえが直々に動いている理由はなんだ?」
「ああ、ありえない。……だがここに一人で来たのは仕事じゃないからだ」
「仕事じゃねえ? じゃあ何だ? 嘘言ったらマジで女攫うぞ。部下連れて来て仕事じゃねえって言われても信じられるか。それに事件とか言ってたじゃねえか」
「中尉は私の事を心配しただけだ。詳しい事は中尉にも説明してないから、彼女は私の行動の動機は知らない。賢い彼女は私の行動に危険があると判断してついてきたのだ」
「じゃあツレの女はてめえのお守って事か?」
「そのようなものだ。今回の事は仕事とは関係ない。軍の依頼でも調査でもなく、私がプライベートで知りたい事があったのだ」
「だから一人で動いてるっていうのか。……だがさっきテメエはキャサリンが重要参考人だとか言ってたよな?」
「それは嘘じゃない。非公式でまだ軍は知らないが、彼女はある犯罪に加担している。それが故意か、知らないだけなのか、ただの偶然か分からないが、彼女は重要な手掛かりだ。私は彼女に話が聞きたくてここまで来た。彼女の居場所を知りたい」
「キャサリンはどんな犯罪に加担したっていうんだ? あの女は決して性格は良くないが悪女というわけでもねえ。そこそこ悪くてそこそこ素直な可愛い女だぜ?」
「可愛い女が皆潔白だったら、女に騙される男はいなくなる。キャサリンは確かに犯罪に関わっている」
「だからどんな犯罪かって聞いてんだよ? それとも何か? 俺達もその犯罪に加わってるかもしれないと疑って警戒してんのか?」
 焦れたグリードに迫られてロイは仕方なく言う。
「別に君らだけを疑ってるわけじゃない。私は関わりある全ての人間を疑っている。その中には私の身内も入っている」
「へえ……そうなのか? 猜疑心の塊みたいな野郎だな。そんなんで肩凝らねえか? お前友達いないだろ」
「友は分ってくれる人間が一人いればいい。軍が綺麗な場所でないのは経験者の君らの方が知ってるはずだ。常に警戒していなければ足元をすくわれて泥の中に突き落とされる。だから疑い続ける。比喩でなくそれが軍だ。私の疑いは用心と保身の為だ」
「おいおい。大佐さんがそんな事言っちゃっていいわけ? 若くて出世すると妬まれるんだなあ。ンな世界面倒臭くならねえか? 腕っぷしさえあれば日の当たらない世界の方がよっぽど生きやすいぜ。体裁繕わないから本音で生きられる」
「軍にいなければ犯罪者は捕まえられないし規律も正せない。確かに軍は汚い膿を沢山抱えているが、それだけが軍じゃない」
「ふうん。あんたは軍が作る世界を肯定してんだ」
「そうだ」
「いつか自分がもっと偉くなって腐った部分を削り落として軍を正そう…とか思ってる?」
「悪いか?」
「悪くねえが……くはははははは。そりゃあいい」
 グリードは大きくこう笑した。身を捩って笑うグリードは笑いを収めると真面目な顔つきになった。
「……あんたぁ良い奴だなあ。ふざけた野郎だと思ったが真面目に働いてんだ。イシュヴァールでも頑張ったのもその性格のせいか」
「笑いたいなら笑え。私は私ができる事をやるだけだ」
「馬鹿にしてんじゃねえよ。ただてめえがちと哀れになったんで思わず笑っちまっただけだ」
「なぜ哀れむ? 馬鹿にしたいならすればいい」
「うーん。馬鹿にしてるさ。無駄な努力御苦労さんて感じでな。……けど哀れむのはてめえが無知すぎて何も知らなさすぎるからだ」
「私が何を知らないというんだ?」
「全部だ。この国はどんなに努力しても良くはならねえ。そういう風に決められてる。全ての筋書きを書いて世界を操っているやつがいる。そのシナリオにテメエはいねえ。脇役にすらなれねえ野郎がどんなに頑張ってもこの国は変わんねえよ」
「神が運命を決めているとでも言うのか? グリードのような人間がそんな抽象的な事を言うなんて意外だな」
「俺の言ってる事を抽象的だと思ってる時点でてめえは駄目なんだよ。お前みたいのはさっさと早死にするか、軍に見切りをつけて逃げ出すかのどっちかだ」
 グリードの様子は案外真面目でロイは反応に困る。
 若造が理想ばかり語っていると嘲られるなら分かるが、グリードの反応は想定したものと少し違った。
「まるで鋼のと話している気分だな」
「あ? ……何か言ったか?」
「いや。…グリードは軍の何を知ってるというのだ?」
「へっ、それは自分で調べな。俺が言ってもどうせ信じねえ。それに軍の秘密を知ってしまえばてめえは消されるぞ」
 その言い方が増々エドワードに似ていて、ロイはどうしてこう謎かけばかりする人間と知り合うのだろうと思った。
「どうして私が殺されなければならない?」
「秘密は隠してるから秘密という。秘密が漏れたら、知った者を消せっていうのは常套句だろ」
 笑えない発言にロイはグリードの言った事がでたらめだったらいいなと思った。だが嫌な予感ほど当たるものだ。
「せいぜいてめえは長生きしろよ」と同情されてロイは複雑な気分になる。
 なぜ悪党に同情されねばならない。やはりこの男はエドワードに似ているとロイは思った。
 一体どうしてこんな会話を交わしているのかと展開の急転の理由を聞きたくなる。自分はダイヤモンドの出所を知りたかっただけなのに。