モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第三章

#22



「へえ、案外若いんだな」
 中心にいた男がロイを値踏みするように近付いた。夜なのにサングラスをかけている。独特の雰囲気があった。
「……もしかしてお前がグリードか?」
「初対面の野郎にお前呼ばわりされる覚えはないが、確かにオレがグリードだ」
 男はロイの予想に反して若かった。年はロイと同じくらいか。一筋縄ではいかない男達をまとめる立場にあるせいか、態度は堂々としている。確かに大柄ではなかったが、油断ならない雰囲気をかもしだしていた。体つきでいったら背後にいる男の方がよほど体躯には恵まれている。アームストロング少佐並だろうか。
「私を呼んだ理由は? グリードとは初対面の筈だが?」
「へっ。それを聞きたいのはこっちだ。何故この店に来た?」
「何故って、私は観光でこの街に来ただけで……」
「そういう誤魔化しは時間の無駄だからやめようぜ。お互いオープンに話し合おうじゃねえか、マスタング大佐さんよう」
 名前を呼ばれて流石にロイは言葉に詰まる。
 なぜロイの素性を知っているのだ? どこまでバレている?
「ようこそ、マスタング大佐。イシュヴァールの英雄に会えるとはこりゃ嬉しいねえ」
 グリードはニヤニヤ笑いながらロイの驚愕を揶揄った。自分の放った言葉の効果を楽しんでいる。
 ロイは演技を捨てた。名前がバレている以上、確かに時間の無駄だ。
「……何故私がマスタングだと?」
「知りたいかい?」
「ああ。私は突発的にこの街に来た。事前に計画していたわけではない。なぜ私の事を知っている?」
「簡単な事だよ。アンタの名前はイシュヴァール戦争で広く知られてる。焔の錬金術師。……ここには軍人崩れも沢山いてな。勿論イシュヴァール戦争にも参加した。あんたの顔を知ってる奴は結構いるんだぜ?」
 ロイは迂闊さにホゾを噛んだ。
 情報屋もそんな事を言っていたではないか、軍人崩れがいると。イシュヴァール戦争に参加した軍人は多く、そしてあの戦争をきっかけに退役した者も沢山いた。ロイの顔を知っている者がいてもおかしくない。
 好意的でない男達の視線に晒されて、ロイは背後にも気を配った。
 ロイの目付きにグリードはしょうがないなあという顔になる。
「そう警戒すんなって。酒でも飲んで話をしようぜ。てめえだってこの店に用があったからわざわざ来たんだろ? そう逆毛を立てて非友好的態度をとってると、うちの連中がいつまでたっても気ぃ抜けないだろうが。……ほら、酒持ってこい」
 グリードに言われて酒とグラスが運ばれてくる。
「ほら飲めよ。……警戒しなくても何も入れちゃいねえ。ンなつまらない真似するんだったら、店で酒出した時にとっくに混入してるよ。……マーテル、毒味してやれ」
 男達の中に混じって一人だけ女がいた。年はホークアイと同じくらいか。腕から顔にかけて大胆な刺青が彫られている。化粧気のない顔は素顔でもなかなかの美人だった。
 グリードからグラスを受け取りマーテルが酒を飲む。
「ほら、平気だろ。俺はまどろっこしい事は嫌いなんだ。アンタを嵌めるくらいなら力づくでブチのめす。……座れよ。飲みながら話そうぜ」
 仕方なくロイは言われた通りにする。
 勧められた椅子ではなく、適当に置いてある木の箱に腰掛け酒を舐めた。
 これはどういう事だろう?
 ロイから見たグリードはおかしな男だった。ヘラヘラ笑いながらも目付きは鋭くロイを見ている。かといって敵愾心は感じられない。ロイに敵愾心をもって見ているのはグリードより周りの男達だ。
「……気にすんな、マスタングさんよ。ここにいる奴らは皆軍に捨てられるようにして辞めた奴らばっかだ。アンタも参加したならイシュヴァールで一般兵がどんな扱いされたか知ってるだろ? 憎まれるのも出世のオマケだと思って諦めるんだな」
「……そちらにいる女性も軍人だったのか?」
「マーテルか。そうだ。コイツは特殊部隊にいてな。イシュヴァールん時は最前線に出された。大怪我してさらに酷い目に合わされて軍を見限った」
 グリードの言葉は嘘には聞こえず、ロイは鎮痛な思いになる。イシュヴァール戦争の英雄などと祭り上げられていても、それは死体の山を築いたという事だ。無辜の市民を虐殺したロイは無事にセントラルに戻る事ができたが、重症を負って帰還した兵も多かったし、生きてるだけマシという状態の者が沢山いた。障害が残っても保証など満足いくほど与えられず、不満を持って軍を辞める者も多かった。最前線にいたというならその苦痛は想像できる。
 マーテルが近付いてきた。
「お酒のおかわりいる?」
「いやいい」
「じゃあちょっと失礼するわね」
「……あ」
 マーテルは持っていた酒をロイの手に零した。
「おい、冷たいじゃないか」
 抗議するロイにマーテルは悪びれなく言った。
「その手袋、イシュヴァールで見たわ。この店で使われちゃ困るのよ。地下で火が出たら皆焼け死ぬわ」
 バレていたかとロイは濡れた発火布を脱いだ。
 確かにそうだ。ロイの焔は絶対の武器だが、ここで使えば火事になる。
 本当は延焼させずに攻撃する事もできるが、攻撃方法を今敵に教える事もない。しかし手袋を濡らされたのは痛い。
 初手は相手の方が一枚上手だったという事だ。
「他に身体検査はしなくてもいいのか?」
「銃くらいで逃げられるとは思わない方がいいわよ。みんな実戦経験は豊富だから。自信があるなら試してみれば?」
「遠慮しておく」
 ロイは弱くないがそれは素人相手の話だ。同じ軍人で、しかも特殊部隊にいたような者を発火布無しで相手にするのはごめんこうむりたい。そういうのはハボックの役目だった。
 諦めて相手の出方を待つ。すぐにどうこうする気は無さそうだ。ホークアイを置いてきて良かったと思った。
「さて、あんたに聞きたいんだが、どうしてうちの店を探っていた?」
 グリードに聞かれ、ロイは応えた。
「隠しても時間の無駄のようだな。キャサリン・グレゴリーの行方を探している。イーストシティに来た事は分っているのだが、その後の消息が掴めない。この店の従業員という事は知っている。彼女の消息が知りたい」
「キャサリン? うちの女か。……あんたはキャサリンを追って来たのか?」
 予想外、というような素の顔をグリードはした。
「そうだ」
「何でだ? 何の用がある?」
「彼女がある事件に関わりがあると情報が入った。彼女の握っている情報が欲しい。だから探しにきた」
「どんな事件だ?」
「それは言えない。極秘事項だ」
「キャサリンはいないぜ。しばらく店を休むと連絡があった。行き先を知りたきゃ自宅の方へ行けよ」
「何処へ行くと聞いてないか?」
「親戚の所に行くと言ってたぜ。それ以外は知らねえ」
「いつ帰るとかは聞いてないのか?」
「聞いてないね」
「そんなに適当なのか? どんな店でもそれだけ休んだらクビだ。そこまでルーズな店には見えないが」
「元々キャサリンはバイトだ。アイツの親父はここいら辺の顔役だから義理で雇った。いてもいなくても構いやしねえ」
「キャサリンの行方は本当に知らないんだな?」
「同じ事を何度も言わせんなよ」
 ロイは行き詰まったのを感じた。グリードは明らかに怪しい雰囲気だが、嘘と決めつける事もできない。