モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第三章

#20



 ロイは広場にある噴水に腰掛け、甲羅干中のカメのような表情を晒していた。色男が台なしだ。
 一見緊張感とは対極にいる。
 周りにはカップルや親子連れ、壮年の夫婦など観光客らしき人間がいた。
 ロイの腰掛けている隣に人ひとり分空けて男が座った。帽子を被りタバコをくゆらせた腹の出た割腹のいい中年だ。人の良さそうな顔をして、仕事の途中でひと休み、という雰囲気だ。
「何か分ったか?」
「それなりに」
 ロイは男を見ずに話し掛け、男もロイを見ずにハトをからかいながらタバコを持ってプカリと煙を上げた。
「アンタが知りたいのはダイヤの流れだったな」
「ああ。グレゴリーの姪から持ち込まれたという情報だ。水源はどこだ」
 男は短くなったタバコを携帯灰皿に捨て、新しいのに火を付けた。
「姪の名前はキャサリン・グレゴリー。父親はロデオ・グレゴリー。親父の方は西地区ハーレー通りで『ブラックストーン』という酒場を経営している。今回の事は娘単独の行動らしい。親父は関わっちゃいない」
「父親は無関係だというのか?」
「マフィアの身内だからといって全部が悪党じゃないって事だ。ガラは悪いが商売はそれなりにまっとうだ。お堅い軍人さんから見ればワルは皆一緒に見えるだろうが、今回父親の方はシロだ。娘は父親に内緒で叔父にダイヤの処分を頼んだらしい」
「娘は何処からダイヤを手に入れたんだ?」
「それはまだハッキリしないがいくつかあてはある。キャサリンは家の近くのバーでホステスをしているが、その辺が怪しい。店にゃ胡散臭い人間が沢山集まってる」
「店の客から受け取った?」
「客か店か、どちらかだろうな。だがモノがモノだからただ貰ったわけじゃないだろう。キャサリンの叔父の事を知っていて処分を頼んだのかもしれない」
「店は普通のバーじゃないのか? 暴力バーとかか?」
「観光地の大人の遊び場としては普通だ。酒と女が買えて、ちょっと冒険すればクスリも手に入る。ぼったくりバーじゃないし普通に遊ぶ分にゃ安全な方だろう。中にはえげつないやりかたで搾り取る所が沢山あるからな」
「そんな『普通の店』だが何かありそうだな」
 情報屋はガリガリと帽子の上から頭を掻いた。
「一見どこにでもあるような店だが、実は西の歓楽街の中でもとびきり怪しい部類に入る。あの辺は流れ者が集まりやすい場所だが、その店の連中は全員外から来た人間で出身が全く分からない。店はそれなりに流行っている。普通外から来た人間が成功すると妬みを買いやすいし、その地区を治める組織とうまくやらないといやがらせと抗争の挙句潰される。だがそこに集まった男達は腕っぷしが強くて、逆に地元の組織を潰して乗っ取っちまった。他所から来たモンがブイブイ言わせて地元衆とキナ臭い事になるかと思いきや、そこの頭は話の分かる人間で地元とうまく折り合った。連中は強えし裏でのルールもそれなりにわきまえている。つー事で、あそこのバーは治外法権なのさ。下手な連中は近付かないし、一般の客は金さえ払えばそれなりに遊ばせてもらえるので店は繁盛している」
「いかにも胡散臭そうだな。……私が客のフリをして行っても大丈夫だろうか?」
「さあな。あそこの連中はどうも読めねえ。チンピラの集まりなのにヤケに結束が固いから、内側が探りにくい。組織としちゃまとまってる。頭にゃ絶対服従だし、マフィアっつーより軍人崩れっぽいな。用心深く鼻がきくから行ったらヤバイ」
「キャサリンに会うにはその店に行かないとならないんだろう?」
「それがキャサリンの所在が掴めない。イーストシティから戻ってきてから店には顔を出してない。自宅にもいない。旅行中という事だが何処に行ったか不明だ」
「父親の店の様子は?」
「変わった様子はない。親父さんの酒場は観光客より地元の人間が集まる場所だ。アンタが行ったら目立つぜ」
「やはりバーの方に行かねばならないか」
「止めた方が無難だ。あそこの連中は静かに遊んでいる分には安全だが、いったんルールを侵せば容赦がねえ。いくらアンタが最強の錬金術師でも室内じゃ戦うのは難しいんじゃないのか? あそこにいるのは男だけじゃなく女も大勢いるんだ。巻き込むぜ。女の顔にヤケドの痕なんて残すなよ」
「戦いに行くんじゃない。ただ店を見に行くだけだ。観光客も入る店なら私一人が紛れても大丈夫だろう」
「……俺は忠告はしたぜ」
 男はフラリと立ち上がるとそのまま人ごみに消えていった。
 ロイは男が立ち上がった拍子に落ちた紙を素早くポケットに入れた。道沿いの店を冷やかしながらホテルへの道を歩く。
 歩きながら拾ったメモを開く。
 メモには『デビルズネスト・グリード』とあった。
 ロイはメモを灼くと燃えカスを靴底で踏みつぶした。






 ロイは中央地区にあるバールにフラリと入った。観光地ではたいていこういう店で夜の観光情報が手に入る。
 ビールを注文し、カウンターにいるバーテンに話し掛ける。
「今日ここに来たばかりなんだが、どこか良い店を知らないか?」
「お兄さんは観光客かい? どこの人だい?」
 店のマスターらしき人間がビールを手渡しながらにこやかに対応した。だがその目には探るような色がある。
「ニューオプティンからだ。さっきついたばかりで何処に行ったらいいかさっぱりなんでね」
「一人で来たのかい?」
「いや、女房と二人だ」
「奥さんと来たのに夜の観光はまずいんじゃないのかい?」
「いいんだよ、女房はどうせ」
 ぶっきらぼうなロイの対応に「どうしたんだい?」とバーテンは聞く。
「いや……本当なら一人で来るはずだったんだ。最近仕事が忙しかったから代休使って骨休めしようと思ってたんだが、旅行を知った女房が勝手についてきちまって、挙句に疲れたといってホテルで寝ちまって、なら来るなっていうんだ。………………仕事だって、家族のために必死になって毎日日付けが変わるまで働いて働いて、なのにそれが当然の顔してるんだから、女っていうのは本当に腹が立つ。毎日午前様で、少しくらい労ってくれたっていいと思うのに『出世したいなら働くのは当然』という目で見やがって。ちょっと休憩に入ると探しに来て嫌味の連続だし、人を虫けらでも見るかのように蔑んだ冷たい目で見るし…。少しは俺も休ませろ遊ばせろっ!」 
 途中から本音を混ぜたロイは声を荒げ、周りの目に気付いてバツの悪い顔になる。
「旦那も大変だあ。おっかない奥さんなんだな

 隣にいた男が分かるぞと頷いている。男にも覚えがあるのか視線が親しみを帯びる。
 周囲にいた男達も一様に頷いている。皆それなりに何かあるらしい。
「でも奥さんと一緒の旅行で旦那が遊んじまったらマズイんじゃないのかい?」
「大丈夫だ。女房は頭痛持ちで寝る時には睡眠薬を飲むんだ。さっき寝る時飲んでいたからきっと朝までぐっすりさ」
「その隙に旦那は一夜のアバンチュールか。遊ぶんならこの辺もいいが少々値がはるから、西地区に行けばそこそこの値で遊べるぜ」
「西地区か。……歓楽街だったよな確か。だがダブリスは初めてなんだ。間違ってぼったくりバーや危ない店に入ったら困る。……お勧めの手頃な店はあるかい?」
「飲むんなら看板に魚の絵のついたとこにしときな。地元の組合いのシルシだからぼったくられる事はない。女を買うなら『チャシャ猫』か『ドリームランド』がいい。好い女が揃ってるし価格は他の店と変わらない。カジノに行きたいなら『ナイフエッジ』ってバーに行って話を通しな。案内してくれるぜ。ただし財布の中身の保証はできないけど」
「……『デビルズネスト』って店は知ってるか?」
 聞いた途端男の顔がやや強ばった。
「どこでその名前を聞いたんだ?」
「役所の同僚からだ。こっちに来た時に寄ったって聞いたから。女と……それ以外のモノが一緒に買えるって聞いたけど……行ったらマズイか?」
 バーテンはグラスを磨く手を止めて小声で言った。
「……まあアンタは素人さんだし一回くらいなら行っても大丈夫だろうが、あんまりお勧めしない。良い噂は聞かない店だ」
「タチの悪い店なのか? けど同僚が行って大丈夫だったと言ってたぞ?」
「いや、普通にしてりゃ普通の酒場だ。けど裏におっかないお兄さん達が控えてるから、酔って暴れたりしたら後悔する事になる。女以外のモノを試してみたいって気持ちも分かるが、分別あるなら止めといた方が無難だ。普通に女の子と遊んできなよ兄さん」
 クスリに手を出すのは勧めないとバーテンは忠告した。
 クスリをやりながら女と寝るのは格段だというから、家を離れ非日常に来た観光客が一度くらい試してみたいという気持ちも分かるが、常識的には勧められない。クスリは非合法のものだし、万が一ハマってしまったら目も当てられない。客は真面目な堅気と踏んでバーテンは親切心でそう言った。
「そうだな。万が一女房にバレたらえらい事になりそうだしな。普通に遊ぶか」
 ロイは小心者を装ってそう締めくくった。
 概要は大体分った。歓楽街が開けるのは日が沈んでからだ。
 ロイはこれからの行動の手順を頭の中で組み立てると、西地区までブラブラと歩き始めた。